水野最近、私自身もよく悩むところですが、必ずしも法的な問題でない相談が多くなっています。レピュテーションリスクはもちろん、倫理的な問題などが法的問題と切っても切り離せなくなってきています。先ほど法務機能の多角化の流れについてもお話しいただきましたが、こういう法的な問題以外の問題も法務として積極的に取り組んでいくのかどうかについてはいかがでしょうか。¶102
野口企業のほうがそこは法律事務所よりも楽かもしれないです。この問題の本質は何なのかと考えたときに、これは社会的な批判の問題だと思えば広報部を入れますし、政府との信頼関係を毀損する問題だということであれば、それは政府渉外部です。こんなにリスクを取っている企業とは契約できませんとパートナーが言ってくる可能性があるということであれば、それは営業部の問題です。問題の本質はいろいろあるのですが、我々はそれを振る先が同じ組織の中にあるので、常にそういう人たちとネットワークを築いていて、「これはうちに来たけれど、多分そちらの問題だよね、解決するにはどうしたらいいかな」という形でいつも相談できます。一緒に決めるときもあるし、完全に判断をお任せするときもあります。¶103
ここは、茅野さんのお話を是非お聞きしたいです。¶104
茅野2つあると思うのです。例えばレピュテーションの部類でもリーガルにとても関係するようなリーガルレピュテーション的なもの。これが本当に合法なのか違法なのかグレーなのかというときには、それは明らかに法務の管轄です。法務にあまり近くないレピュテーション関連でも、今度は法務の機能として、マネジメント(経営側)の善管注意義務を勘案し、妥当な経営判断というか、ビジネスジャッジメントルールの範疇となる結論を導き出すようなプロセスとなるようにマネジメントを支援するという役割を、法務はやはり担っているのだと思います。ですから、そのときには結論自体に法務としてイエスとかノーとかは言わないのだけれども。¶105
水野法律家は基本的人権など、法を通して民主主義国家における普遍的な価値について学んできた存在ですよね。そういう前提で、私はこういう場面で自分の意見が求められていると思って、結構意見を言いたくなってしまうタイプなのです。先端技術領域においてELSI(倫理的・法制度的・社会的課題)・RRI(責任ある研究・イノベーション)が重視されるようになってきている流れがありますが、不透明・不明瞭な領域において法的視点はそれでもやっぱり比較的に価値観がしっかりしている面があります。ですので、法務が価値創造に貢献できる領域の1つではないか、という仮説を持っています。¶106
野口そういう側面はあると思います。それに、外部の弁護士の意見は最終的に、それを受け取った企業がどう判断するかに委ねられていると見ることもできると思います。本当にそのとおりだなと思ったのなら、水野さんの意見は、最終的にはその経営者の方の意見になったわけですから。¶107
茅野それは特に大事だと思うのです。先ほどのイシュー・スポッティング(issue spotting)の話になりますが、たくさんのイシュー(課題)やリスクを並べられても、どれが本当に重要で、どれが重要でないかということが分かりません。フラットにイシューが見えている世界に、外の世界や他企業のこともご存知の外部の弁護士も入って、イシューにメリハリを持たせ、課題の重要度合いを明確にする、というのはまさに先ほどの経営判断の議論に戻ってきますが、とても大切だと思うのです。¶108
野口おっしゃるとおりですね。¶109
茅野そのような声というのは、最後に採択しないかもしれないけれども、それを知っていると知らないとでは全然違います。¶110
Ⅳ 法務の能動性
1 組織としての受動性と態度としての能動性
水野法務が価値創造に寄与できることを前提としたときに、法務が受動的であってはならない、法務にも主体性、能動性が必要だという意見がよく言われています。¶111
茅野これは実務的には、絶対能動的になっているほうが楽ですよ、法務の人間としては。なぜなら、最後にギリギリになって契約のドラフトが出てきて、明日までにこれ見てくださいと言われたら、できないですし。¶112
野口もっと早く入れておいてくださいという話ですよね。¶113
茅野大変実務的なコメントですが、最初のプロポーザルの段階から営業部署と一緒に作業をしていれば、とても楽なはずです。¶114
野口態度としては、できるだけ早くから情報をキャッチしておくことは大切です。普段からいろいろな人とネットワークを広げておいて、最初の端緒は「今こんなことをやっていて」というちょっとした雑談であったりするのですが、「ああ、そうですか、では次回一度会議に呼んでください」という形で早くからプロジェクトに関わっていく。ですから、いろいろな所から積極的に情報収集するという意味では、能動的であるべきだと私は思いますし、先ほどの水野さんのお話もそうですが、言うべきか言わざるべきかと思ったときに、純粋に法的な話ではないかもしれないけれども、こうだと思うよと意見を言うということも含めて能動的であるべきだと思います。しかし、私は法務というのは、自分から問題を作りにいくわけでもなければ、ビジネスを作りにいくわけでもない、やはりニーズがある所に応えるという意味では常に受動的な存在ではあるとは思います。ただ、そのように性質が受動的かということと、態度が受動的か能動的かというのは少し違う話で、態度は能動的であるべきだと思いますね。¶115
水野野口さんがおっしゃった組織の性質としての受動性と、態度としての能動性の分け方というのは、茅野さんも同じような考え方ですか。¶116
茅野似ていますね。例えば営業部署と法務部が同じ建物の中にいると、法務部に入る情報量は圧倒的に多くなります。エレベーターの中で会って、案件の話を少しするだけでも違います。そのような会話を通じて、案件の進捗度合いが分かったり、場合によっては、法務部が考えていたよりも進捗が早いので、もう少し具体的に話を聞く必要があることを認識したりします。¶117
野口おっしゃるとおりですね。¶118
水野態度としての能動性を確保するためにどのような工夫があり得るでしょうか。¶119
茅野例えば会議に際しても、法務部に来てもらうのと営業部署に行くのだけでも違いますよね。営業担当から法務担当に電話がかかってきて会議を依頼された場合、では法務部に来て打合せをしましょう、ということももちろんできるけれども、そうではなく、そちらの営業部署に行って、その部署内を歩き回ると、別に関与している案件の担当者がいて、その人とも立ち話ができたり、小さなことでもそういう工夫はできると思います。¶120
野口私も、いろいろな人とまめにキャッチアップする重要性はあると思います。ですから、1~2週間に1回必ず会っている人たちもいますし、経営会議に出ればいろいろな部署からの話も出てきます。その中できちんとボールをキャッチしたり拾ったりして次のアクションを起こす、またはそれをやっている人にちゃんと伝えてアクションを取ってもらう、というアンテナの高さは必要だと思います。あとは、興味を持って臨むことがすごく大事ですね。¶121
ただ、私は、ビジネスの話を聞いてもあまり心に刺さらないという法務の人はいてもいいと思うのです。この人は鉄オタで、この人はアイドル推しで、というのと同じように、自分のアンテナに響くものと響かないものは、全員ある程度生まれ持っている部分もあるし発展できるものもある。最後には全員が自分の強みを活かして活躍することが一番成功すると思っています。¶122
ですから、「(企業内)法務の成功例はこうだ」という情報はいろいろあるけれども、1つの像を絶対条件だと思って、これができなければ成功しないと思う必要はなくて、法務という仕事の中で、自分の得意なところを活かした仕事のやり方を見つけていけばいいと思います。なぜなら、法務の貢献の形は実に多様なわけじゃないですか。法務部員が本当にたくさんいるGoogleのような企業に勤めていれば、仕事の内容もやり方も1つではなくて、すごく多様なんだということが実感をもって分かる。いろいろなタイプのリーダーもいます。私はプライバシーにしか興味がないですといったらその専門家になればいいし、ゴシップが大好きならそれに適した仕事もあるし、技術の話を聞くとワクワクするならそこに近い仕事もある。自分をよく知って、自分のスキルが活かせる所で能動的に貢献するということが、すごく重要だと思います。能動的に動くことが性格的に苦手な人でも、来たものを丁寧にやることが大切という仕事もあると思います。¶123
茅野来たものだけをやるというのは、どうなのでしょうか。もちろん、そういう仕事のやり方もあるでしょうが、あまりその組織で評価されないですよね。¶124
野口でも、役割によっては、それで仕事のほとんどが成り立つものもある気がします。例えば、エマージェンシー・レスポンス(危機対応)の人は、自分から危機を作りにいくわけではないですし。¶125
茅野本当に、全くのエマージェンシー(危機)であれば話は別ですが、予兆のある「エマージェンシー」も多く存在するのではないでしょうか。起きてみて、起こるべくして起きたような事象。法務として、コンプライアンスの観点からこの案件や事案には、懸念要素があるから、将来的に何か起き得る可能性を否定できないし、むしろ、気を付けなければならない、というものもあります。ある意味、「フラグを立てなければならない」案件に対して、アンテナを張るようなトレーニングが重要かと思います。それはやはり能動的なマインドセットだと思います。ですから、単に待ちだけの姿勢というのは、難しいのではないでしょうか。¶126
野口そうですね。例えば、苦情のレスポンスをしている人も、同じように受け身な仕事かもしれませんが、そのうちに、こんな苦情が多いなということに気付いてきて、それを根本的に解決するためには何をすればいいのだろうと考えられるようになると、確かに次のレベルに行ける気がします。そういう意味では、自分で考えることはとても大事ですね。そうすれば、マネージャーとしては、じゃあこうしてみたら?というふうに、能動的に動くように背中を押してあげられる気がします。¶127
2 コンプライアンスの捉え方
水野法務の能動性について考えるときに、前提となるコンプライアンスに対する意識やルールの捉え方が重要になってくると思います。私がよくする話として、コンプライアンスの定義をオックスフォード・ディクショナリーで調べると「wishまたはcommandに従って行動すること」とされており、日本でよく和訳されている「法令遵守」という言葉はcommandしか訳されていないため誤訳なんじゃないか、コンプライアンスというのはルールを遵守するだけではなく、もっと複雑な概念なんじゃないかということがあります。ここで飯田さんにお話しいただきたいのですが、飯田さんが共編著されている『リーガル・ラディカリズム』(有斐閣、2023年)等において、ルールやコンプライアンスの新しい捉え方について書かれていますが、今のご議論をどのように聞いていらっしゃったでしょうか。¶128
飯田コンプライアンスと言うとき、単なる法令遵守を超えた倫理とか社会規範とかも対象に含まれるということは、多くの企業に認識されつつあるのかと思います。ですが、日本で社会規範と言うと、つかみどころがなくてなかなか難しいですよね。先ほどの話とも関係しますが、日本では「社会からの期待」が非常に重視されて、社会規範が強すぎるということがあります。そのことは企業法務の文脈で出てくるコンプライアンスでも同じで、冒頭の報告書では「社会からの期待」がキーワードの1つとされ、それに法務機能がどのように応えるかということが問題とされています。¶129
水野いかに実験を許容するとか、あるいは失敗を許容するとか、それを前向きに捉えていくといったことを、どのように日本の社会に埋め込んでいくか、日本の企業に埋め込んでいくかということを考えたとき、ルールやコンプライアンスの考え方、捉え方を変えていかなければいけないのではないかという問題意識を私は持っています。飯田さんが書かれている、「ルールを破って育てる」視点というのは、そのような問題意識と一緒なのでしょうか、違うのでしょうか。¶130
飯田大体同じようなことかと思っています。『リーガル・ラディカリズム』の中の論文で書いたのは、簡単に言うと、ルールは破られることを通じてこそ育っていくのだ、ということでした。¶131
ルールを破るということには、少なくとも3つほど効用があります。1つは、関係している人たちの利害が一致しているという錯覚を崩して、非効率な不文律が発生することを防ぐ、ということです。ただし、破る際には理論による根拠付けを経る必要があって、これは先ほどのエクスプレインの話と同じです。ルールを破る理由をちゃんと説明することは、結局のところルールの存在理由を説明することと同等ですから、先ほどのエクスプレインと同じような話になるのではないかと思います。ただ破るだけだとよろしくない。¶132
水野ただ破るだけでは駄目だけど、破る理由等の説明があれば生まれてくるものがあると。¶133
飯田そうですね、ルールがちゃんと根拠付けられて、どういう根拠によってそのルールが存在しているのかといったことですね。ルールの独り歩きを防ぐことになります。¶134
2つ目は、「他でもあり得ること」を示すという効用です。ルールがあると、それが当然のように思われるということがあります。論文の中では柔道着の色の話を例として挙げました。柔道着というものは白とか生成りに限ると思われていたのが、現在ではそうではないわけです。重要なのは「ルールだから」で立ち止まらないということです。つまり、ルールによる思考停止を防ぐということになります。¶135
3つ目が、およそルールというものは誰かの利益を守るためにあるわけですが、どういう人の利益を守るのかということを更新していく、という効用です。ルールが守るべき利益の範囲は、多分ずっと更新していかなければいけないのだと思います。もともと存在するルールが比較的狭い範囲の人たちの利益しか考えていなかったということもありますので、もし守るべき利益の範囲を拡大したいのであれば、それまでのルールを破る必要があります。¶136
以上のことは企業法務を念頭に置かずに書いたのですが、これが企業法務の中でできるのかどうかですね。どういう条件があれば、今話したようなことができるのか。特に社会規範が強い日本でどうするか。¶137
水野この議論を企業法務について考えると、企業内の働き手としての法務部員としての立場、価値創造や経営判断に貢献していく法務機能としての立場などでも受け止め方が違いそうです。¶138
飯田もしかすると、それは区別する必要があるかもしれません。¶139
水野ルールを静的に捉えるか動的に捉えるかというのは、欧米と日本の差異としてよく語られますが、これはどうしようもないものなのですか。¶140
飯田おそらく、ルールというもの自体のイメージなのでしょうか。先に「正しいこととか適切なことというのを求めてしまう」という話がありましたが、どこかに「正しい」解釈がある、という前提があるのかもしれません。¶141
水野これは、いわゆるよくある判例法か大陸法かという法体系の対比の話なんでしょうか。日本の法学が歴史的に法解釈学に注力してきたこともあるかもしれませんが。¶142
野口私は、教育のあり方も少し影響していると思います。親になって子供の受けている教育を見ながら思うのは、高校生ぐらいまで、日本の教育では基本的に、正解のある問題を与えられて、その正解にたどり着く訓練をやることが大半を占めていますよね。正解がない中で考えてやっていく訓練をあまりしませんし、「余計なこと」を言ったり考えたりすると怒られることすらある。そして、校則などのルールは守るべきだということにもすごく厳しくて、ルールの理由を考える訓練もほとんどしない。私は、読み書きが苦手なお子さんの支援をしている「読み書き配慮」というグループでボランティアをしているのですが、政府が合理的配慮として、試験の際にデバイスを使って読み上げをしたりタイピングをしたりしてもよいとガイドラインなどで書いていても、「一人だけ例外を認めることはできません」とルールを変えたり例外を認めたりすることにすごく消極的な学校が日本にはまだまだたくさんあります。真剣に配慮に取り組んでくださる学校ももちろんあって、その違いは結局、校長先生や担任の先生が、試験・授業・評価のやり方といった学校のルールを、目的や状況に応じて柔軟に適用できると理解されていらっしゃるのか、ルールを絶対視されていらっしゃるのか、という点に帰結すると最近感じています。この点、海外の学校の先生方のほうが、合理的な根拠があればルールを変えるのは当然だと考えていらっしゃる方が多い印象です。¶143
茅野私は中学生で渡米し、現地の学校に入りましたが、一番驚いたことが、生徒が先生に対して、なぜその校則が必要なのか、と質問するのが当たり前であり、先生もまた、その質問に対して、ロジカルに答える場面です。授業中、生徒が大きなマフィンやピザを食べていました。日本では考えられない光景です。先生が注意すると、生徒が「何で?」と聞いたのです。それに対して、先生は、きちんとエクスプレインできたのです。不衛生で、食べこぼしがあると、ネズミが出てくるリスクがあるからと。単にルールだから飲食禁止、なのではなく、なぜそのルールが存在するのかということを先生が説明した、ということに感心しました。¶144
先ほどマスクの話があったので、コロナ禍でのマスク着用ルールについて少し話をしたいと思います。日本はコロナ前からマスク着用が日常的だったので、コロナ禍でも皆マスクを着用していたと思います。私はたまたま2017年~2022年までニューヨークに駐在し、コロナ禍のニューヨーク・シティを体験しました。ご存じのとおり、ニューヨーク・シティは当時感染者や死者も多く、悲惨な状況になりました。そして、マスクは公共の場でしなくてはいけない、という法律が施行されました。¶145
それまでは、ニューヨークではマスクをする習慣がありませんでした。しかし、マスク着用の法律が施行され、多くの人達がこのルールをきちんと守ろう、他者に守らせよう、と一生懸命になり、逆にマスクを着用していない人たちとスーパーや地下鉄の中で口論になったりしました。その後、コロナも落ち着き、マスク着用も不要とされたときのトランジションは実に興味深かったです。普段は、自由を好み、ルールであっても、ましてやルールでもなければ、何をしても容認するはずのニューヨーカーが、マスクをしていない人たちに対して結構冷たい目で見るようになったこと。この変化は何だろうと思ったのです。もちろん、公共衛生が関係することですから、普通の規則とは比較できないかもしれませんが、マスク着用という全く新しいルールができ、多くの人達がルールを遵守するようになり、そのルールがなくなった後もある一定の期間、前のルールが、新しいノーム(norm)、行動基準のように変化した。これは社会現象的に面白いと思いました。¶146
野口なるほど、面白いですね。やはり、茅野さんのおっしゃったように、納得できる理由のあるルールであるかどうかというのが、大切なのかもしれないですね。¶147
茅野そうかもしれないです。公共衛生という。¶148
野口コロナは、ほかの人に感染させてしまうリスクがあるから、自分だけ病気にかかっていてもいい、というわけではない。人に迷惑がかかるから、社会の共同体としてルールが必要だということに対して、すごく納得できるものがある。¶149
教育の影響だけが全てではないかもしれませんが、何でこのルールはあるのか、何でこのルールを自分は変えたいと思うのか、変えることによってもっとこんなふうに良くなるということを自分で考えて提案し、議論したり行動したりするエネルギーが日本には少し欠けている気がします。逆にこれが正解だからやっておいてくださいと言われると安心するというか、そういうメンタリティーがすごく醸成されてしまっている気がするのです。¶150
茅野アメリカの判例制度と言いますか、法制度が判例の積上げで成り立っている、というのは大きいように感じます。¶151
野口法が発展していくものかどうかという。¶152
茅野発展するものだと思います。¶153
野口日本でも法学部に行くと、法はもともと動的なものだと教わります。それこそ、憲法13条の幸福追求権の中に、プライバシーが入ってきて、環境権が入ってきて、時代とともに社会のニーズに応えて発展する動的なものだということも習うわけじゃないですか。もちろん日本の判例に拘束力はないけれども、そういう動的な機能も日本の法体系のなかに存在しているはずですよね。¶154
飯田あります。あるのに、ということですよね。¶155
茅野アメリカですと大変に日常的な事案が、判例(ケーススタディー)として出てきます。したがって、人々の中で、法律はある意味生活の一部になっているのかと思います。¶156
Ⅴ 法務と経営
1 日本企業の経営層は法務をうまく使えていない?
水野リーガルオペレーションズもそうですが、法務も経営や事業の中で位置付けて議論されるべき意識が高まっていると思います。そのような中で、法務部門の意識改革も必要なのですが、経営層の意識改革も必要なのではないか、経営層が法務をうまく使えていないのではないか、という問題意識も出てきています。経営層が法務機能をうまく使えていないのはなぜなのか、うまく使うためにはどうすればよいのかについてご意見いただけますか。¶157
茅野法務を使うという表現がどうなのかなと思いました。「使う」とか「使われる」という関係ではないように思いました。¶158
結局企業というのは、経産省の報告書で言うところの「事業」ですが、案件がいろいろ育ち、そのビジネスが前に進むことが会社にとってとても重要なのです。なおかつ今日、まさに国内のM&Aや、海外のM&Aが日本の企業でも増えている中で、より高度な法務機能が求められています。結果、法務機能が経営者の目に、より留まるような形になってきているのかとは思います。法務部も頑張らなければなりません。難しい案件を作り上げるチームの中の重要なパートナーとしての法務の位置付けは、経営にとって認識されてきていると感じますが、そのような関係性は一朝一夕だとは思わないです。すぐに経営に認められるような法務部にはならないと思うので、案件関与の積上げを通じて経営に影響力を与えるのが重要でしょうね。¶159
水野では、経営層はそのことに気付く必要はないのでしょうか。¶160
茅野もちろん気付いてはほしいのですけれども。¶161
水野そこの意識改革を促すことをあえてする必要はないですか。¶162
茅野例えば先ほども話に出た企業法務ランキングなどは重要ですね。今日はステークホルダー資本主義という言葉がまだ出てきていないですけれども、企業にはいろいろなステークホルダーがいるわけです。企業というのは、ある意味、単に業績だけではなく、いろいろな観点から評価される時代になってきました。企業の財務面のみならず、非財務面が重要になってきている状況下、ある企業の法務部が外部による評価を受けているのかどうか、というのも、非財務の部分の1つの要素になってきています。このような評価を通じて、自社の法務部は外部評価される法務部なのだから、その法務部は企業の価値向上にも貢献している、ということになり、経営者もその点に気付く、ということかと思います。様々なランキングがありますが、中でも日本経済新聞がわざわざ企業法務のランキングを作成しているということは、法務の役割が経済にとって重要であり、この考えが、経済紙の読者層に定着してきているのかなと思います。¶163
水野法務部門または機能の外部評価が非財務情報としての重要性を持つというのは新鮮な視点でなるほどと思います。¶164
野口法務部に相談するメリットを見えやすくすることも大事ですよね。自分がやりたいことを手伝ってくれるのが法務なのだと思ってもらえたら、すごく価値が高いなと思ってもらえると思うのですよね。だから、どのようなことを法務はできるのか、ということを発信するのも大切かもしれないです。例えばM&AとかTOBとかは、法務のリードがないと、なかなか経営者1人でやることはできない。しかし、そうではないところでも、法務の意見を聞いてよかったというエピソードを、いかにたくさん共有できるか。それができれば、「法務はそんなに重要ではない」と言う経営者の方は減るのではないでしょうか。結局、あまりうまくアピールできていないということなのかもしれません。¶165