茅野やはり法務の仕事は大変面白いのです。これは、今日特に申し上げたいことです。私はアメリカのロー・ファームにてキャリアを開始し、数年後、事務所のパートナーに昇格し、給与も良く、個室のオフィスを有し、秘書もいました。それでも、伊藤忠商事の法務部への転職は大変に魅力的なものでした。日本の企業の法務部に特別な役職もなく入社することをアメリカのロイヤーの友人に伝えると、何でそのようなことをするのか全く理解してもらえませんでした。しかし、それでも私が商社の法務部への入社を強く希望したのは、法務部での仕事が大変に面白い、そして、営業部署とともにビジネスを通じて価値を創造できる、という確信を持っていたからです。営業部の人間とビジネスを一緒に作ることができるということに、ワクワクしました。¶043
価値を創造する、と言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、価値創造は必ずしも大きなものだけではありません。例えば、プロジェクトの初期段階で、相手方に提出するための提案書やパワーポイントを営業部署と法務部署とで協働し、良いものを作る、というのも価値の創造の1つです。このように、企業内法務ですと初期段階から案件に積極的に関与することができ、とても面白いと思ったのです。と申し上げますのも、外部の弁護士事務所にいますと、ある程度案件が進まないと、クライアントからのご依頼が来ないのです。しかし、インハウス(企業内法務)であれば費用も掛からないだろうということで、営業の部署が早い段階から相談に来てくれます。もちろん価値創造には、大きなものもあります。例えば、大型プロジェクトのストラクチャリング。¶044
法務部では、このように、案件の様々な過程において、また小さなことから大きなことまで、価値を創造する機会に恵まれます。法務担当だと、契約書の交渉を行う機会も多いと思います。相手方との交渉において、この条項を譲る、譲らない、といった場面に遭遇しますが、単に「勝ち」「負け」ではなく、両者が納得できるような解決策(ソリューション)を創造することができれば、一番理想的ですし、本当にやり甲斐があります。まさに、『ハーバード流交渉術』(ロジャー・フィッシャー=ウィリアム・ユーリー〔岩瀬大輔訳〕、三笠書房、2011年)という本が提唱する、両当事者の利害をよく理解し、互いが納得する解決を見出す、というポイントです。私はこれが交渉の上で最も重要なスキルの1つだと思っています。これを実現することにより、自社にとっても相手方にとっても、Win-Winとなり、両社のため、ディール(deal)の成功のための価値創造ができた、と言えるのかもしれません。¶045
水野法務による価値創造には小さなものも、大きなものもあると。小さな価値創造の集積というのはイメージがしやすいです。¶046
茅野法務の役割を考える上で、車の例えが良いと思います。車はアクセルとブレーキからなっているわけですけれども、車は基本的に前進するものです。つまりアクセルが主役です。ブレーキも重要ですが、常に使用するものではありません。ビジネスに置き換えると、法務は、営業部署が前進することを支援する部隊です。したがって、基本的にはアクセルなのです。よほどのことがない限りブレーキというのは完全に踏まないのです。スローダウンしたりすることはあるかもしれないけれど。¶047
例えば、営業部署が検討している案件は良い案件なのだけれども、無視できない多大なるリスクも孕むものだとします。全くマネージできないリスクなのであれば、法務として案件に反対しなければならない場合もひょっとするとあるのかもしれません。どのプロジェクトにもリスクはつきものなので、案件自体に反対するのではなく、リスクを軽減するような策をストラクチャーや契約に織り込む、という解決策が存在するのかもしれません。このように法務がブレーキをかけるのも、広い意味での付加価値だと思います。¶048
法務部署によっては、その機能が案件「審査」と案件「推進」と2つ存在するところもあります。2つの帽子を被っているわけです。このように2つの役割を有すると、法務としてどのようなブレーキをかけるのが会社全体にとって有意義なことなのか(車を停止するためのブレーキなのか、減速するためのブレーキなのか)、比較的に明確になるように思えます。¶049
水野野口さん、いかがでしょうか。¶050
野口そうですね。これから法律家になりたい方に参考になるようにご紹介すると、例えばGoogleではいくつか違うタイプの法務的な役割があり、全てに価値創造があると思います。今、茅野さんがおっしゃったような、契約やディールを作り上げる過程に参加するというのは、すごく分かりやすいビジネスの価値創造への参加の形だと思います。¶051
他には、弊社のようにプロダクトを世に出していく会社では、「プロダクト・カウンセリング」と呼ばれている仕事もあります。新しいプロダクトをどんなふうにデザインすれば適法になるのか。もしまだ法律がないとしたら、その法律がない中で、どうデザインするのが社会的に適切なのか、というようなことをプロダクト部門と相談しながら一緒に作っていく。それもすごく価値創造的だと思います。¶052
もちろん、弊社ぐらい大きくなれば訴訟を起こされてしまったり当局から調査を受けたりもする。それは一見、すごく価値創造から遠いように見えるけれども、先ほどもお話にあったとおり、そこで裁判所や当局とぎりぎりやり合って、裁判官や当局には見えていない現場の必要性や、解決策の現実味などをすり合わせることによって、より現実に即した判例や社会のルールを作っていく意味での価値創造もあるわけじゃないですか。だから、後ろ向きのようにも見えるし、もちろん、そういう面もあるかもしれないけれども、その中にも新しい価値創造の機能はあると思います。その他、新しい立法に対して、法的観点から政府との交渉において政府渉外部をサポートすることもあります。¶053
プロダクトについてのアドバイスをする場合、製品の価値創造はあるけれども、法的な価値創造はあるのかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、確かにあると思います。それこそ検索エンジンはその最たる例かもしれません。最初にGoogleの創始者たちが検索エンジンを作り始めたとき、彼らは法的なことはあまり考えていなかっただろうと思います。こんなに世の中にウェブサイトが乱立して、どこに何があるのか調べられないのは大変だという課題があり、彼らはエンジニアの視点から、全部サイトをコピーしてきて調べられるようにすればいいじゃないかと、無邪気にガレージでそういうソフトウェアを作り始めたのです。そして、それはあっという間に社会にとって本当に必要な機能になった。当時、このプロダクトは著作権法違反ですかと言ったら、もしかしたら日本では違法だったかもしれない。アメリカではフェアユースがあったからできたのだと思いますけれども、日本にはフェアユースがないから、これは違法だったかもしれない。でも、こんなに便利なもの、生活になくてはならないものが違法だというのは困るよねとなって、後追いで著作権法が改正され、社会のルールを変えていった。ある意味、プロダクトを通じたルールの形成なわけです。そういう意味で、どこの部門で、どのように携わっていても価値創造はあると思いますし、どれくらいの価値を創造できるのかは自分のマインドセットの持ち方だったりすると思います。¶054
水野ビジネスに併走するビジネス担当の「ビジネスイネーブラー」と、様々なサービス・商品などのプロダクトの適法性を担保する役割を担っているプロダクト担当の「プロダクトカウンセル」、トラブル・訴訟等を担当する「リティゲーション」など法務部門の中でも役割やセクションを分けている企業も増えているように感じますが、これは人単位で分かれているものなのか、兼務していることが多いのか、どういうものなのですか。¶055
野口会社によって違うと思います。弊社の場合は、米国本社の法務部はかなり大きいので結構はっきり分かれています。小さい会社はそうでもないかもしれませんが、大きくなるに従って専門化してくる部分もあります。特にプロダクトのアドバイスは相当技術的なところまで理解していないと正しくアドバイスできないので、それなりの専門性が必要です。ただ、エンジニアや同僚に教えてもらえれば学びつつ対応できるようになっていきます。弊社でも、企業の中で部門や役割を変えながら成長していく人はたくさんいます。私のいる日本法人では法務部が小さいのと、米国にたくさんの専門家がいて彼らの知恵を借りながら仕事ができるので、専門性の強弱はありますが、その時々のニーズに合わせて、全員が全ての部門の機能をそれなりに兼務して活躍しています。¶056
水野この法務のそれぞれ違った役割というか、すごくざっくり言えば攻めとか守りの帽子というのは、伊藤忠でも分かれているものなのですか。¶057
茅野次のお話になるのかもしれませんが、攻めと守りには法務部員としてのマインドセットと言いますか、物事の見方や自分と営業の人間との関係性が重要になります。守りだけのマインドセットでは、営業から見たときに価値がないと思われても仕方ありません。法務の人間は常に営業のパートナーでいることが大事だと思います。我々は総合商社なので、ビジネスの範囲も地域も広い。法務部員として、会社が拠点を有する世界中の国の法律を知っているか、様々な業界法を全部知っているかというと、そうではない。考え方としては、ビジネスの根底にある、会社法などの基本法の概念は、法務部がそれこそガーディアンとして、守備範囲とする。しかしながら、各部署にとっての専門の業界法は基本的にそのビジネスを担当する営業部署が責任を持ってフォローすることになっています。そのような役割分担を法務部と営業部署で行っています。その意味では、前の議論に戻りますけれども、法務の機能というのは当然、営業にも存在します。¶058
水野なるほど。冒頭の経産省の報告書においても、法務機能は企業価値を維持・保全する消極的な意味でも、新たな事業を創造し、価値を生み出す積極的な意味でも価値創造に貢献できると整理していたのですが、お二人の話をうかがっていてそのことが具体的なイメージとして伝わってきました。法務に対するイメージや見方が変わってくるのではないかと思います。¶059
2 企業ごとに異なる価値創造の形
野口価値創造を考える上で1つ重要なことは、価値創造を許すような会社の風土、文化になっているのか、どこまで経営層の方が広く意見を法務から求めようとしているのか、ということではないかと思います。法務部がどこまで価値創造に貢献できるのかは、こういう点と大きな相関性があると思うのです。どちらが鶏でどちらが卵なのかは、難しいところだなと思いながら茅野さんのお話をお聞きしていたのですが、営業やプロダクトや経営の側に、法務の人たちがパートナーとして突破口を見つける手助けができるという認識がないと、そういう場面に法務の人を招待しようという発想もなかなか生まれづらいと思います。一方、そこに呼ばれた法務の人がどれだけ、呼んで良かったと思ってもらえるような貢献ができるのかということとの相関だと思います。¶060
それぞれの法務部員の強みは何か、ということとも相関性があります。私は部長なのでいろいろな方を見ながら仕事を割り振ったり育てたりするのが大事な役割なのですが、全ての人に得手不得手があり、それが悪いことでもないと私は思っています。すごく細かいところを丁寧に見るのが得意な方もいらっしゃるし、そういう方にはこういう仕事が向いているというのもある。細かいところはあまり得意ではないけれども、すごく全体像を考えるのが得意な方もいらっしゃる。それぞれ得意な価値創造の形も違いますし、皆さん経験を積んで成長していきます。いろいろな強みを持つ人が適切に組み合わさって、必要な場面で強みを発揮することで、良い法務というのはできあがっていくように思います。¶061
茅野野口さんも私も外の事務所にいたので、クライアントとしておいでになる会社を見ていると、同じ法務部と呼ばれる部署でもすごく違うのです。¶062
野口そうですね。¶063
茅野営業部署だけが弁護士事務所に相談に来るような会社もあれば、常に法務部の人が一緒においでになる会社もある。そのようなところを見ることによって、その法務部が会社の中でどのような位置付けにあるのか、信頼されているのか、営業のパートナーなのかということは見えてきますね。営業部署からしてみたら法務部というのは目の上のたんこぶだから、よほどぎりぎりにならなければ相談に行かないような部署だと言っている会社もありました。だから、あながち経産省の報告書も間違っていないと経験則で思います。¶064
野口そうですね。逆に、うちの法務部が駄目と言っているから、弁護士事務所に「そうでもないよ」と言ってほしいから来ました、という場合もありますよね。¶065
同じように、外部の弁護士でも「できない」とすぐおっしゃる方はいらっしゃるのです。企業内ではできると思ったけれど、この弁護士に相談したら「できない」と言われたので、それは困るからこちらの弁護士にもう1回聞き直します、という場合もある。¶066
水野ちょっと余談になってしまうかもしれませんが、私は法務部ではなく事業部の方から相談を受けることも多いんです。だから、事業の企画が進行してくるとやがて法務部が出てきて、対立構造になってしまったりすることもあります。¶067
野口法務部を説得してほしいということですね。¶068
水野はい、そういう役割を期待されていると感じることはあります。ただ、企業内で交通整理できるはずのことも多いと感じます。¶069
飯田さん、この法務による価値創造のところで、一歩手前の話として法による価値創造というのがあるのか、ないのか。法社会学あるいは法哲学でもずっとあるテーマだと思うのですが、今のご議論をどのように聞いておられましたか。¶070
飯田先ほどのお話のように、個々の契約での価値創造という場合もありますし、あとは規制関係のところで新しいルールを作るという場合も含めて、これも価値創造と言えると思います。価値が具体的にどのような意味で、そしてどの価値に焦点を当ててお話しするかにもよるのですが、どれもルールによる価値創造ではありますね。¶071
水野企業内で法務を担当している方たちも、こういう法による価値創造とか、あるいは新しいルールを作っていくとか、そういったところに当然入ってくるわけですよね。¶072
飯田はい、本人がそのように認識しているかどうかは別として、実際は新しいものをどんどん作っているわけです。¶073
水野そうですね。私もよくルールメイキングの価値みたいなことに言及するのですが、結構、法務部員の方を含むビジネスパーソンにポカーンとされることが多くて。ご自身がルールメイキングに関与している感覚が持てないようなんです。¶074
飯田多分、裁判官も同じような感じで、ルールメイキングをしているという感覚は特にないかもしれません。¶075
水野どうしてその感覚をあまり持てないのでしょうか。¶076
飯田ルールがもともとある場合、まずその解釈をする必要があります。解釈には本当は創造的なものが入っているはずなのですけれども、本人の意識としてはルールからそのまま導き出されていることにしているにすぎない、ということでしょうか。「正しい」解釈をしているという意識ですかね。¶077
野口ルールや法律を、どう捉えているかというのがまずあるような気がします。絶対的な決まりのようなものがあって、それを当てはめることだけが法律の解釈だと思っている人がいます。もしかしたら大学や、もっと遡って小学校や中学校のときから、ルールというものは絶対的に決まったものとして与えられるのであり、それに従うことが正しいことで、ルールを変えようとしたり、ルールに疑問を持ったりすることはよくないことだ、というように育ってきたため、そういうマインドセットが定着してしまっている面があるのかもしれません。¶078
例えば、この間、ルール形成についての意見交換会に参加したことがあったのです。その中で、政府の役割は何かということが話題になりました。我々は、これがルールですと役所に一方的に決められることには懸念を持っています。現場をよく知る立場から政府と対話をして、何が一番良いルールなのかを自分でも考えて提案して、一緒にルールを作っていくことが大切だと思っています。しかし、日系企業の方の中には、「お上がここからここまではやっていいとはっきり言ってくれればルールがすごく明確になって、私たちも事業部に対してアドバイスがしやすくなるのに」という意見もありました。そのマインドセットの違いというか、誰かが正解を決めて自分にくれるのではないかと期待しているのだとしたら、価値創造を自分で諦めている部分があるのではないかと思います。¶079
茅野まさにコーポレートガバナンス・コード(CGコード)ができたときに、コンプライ・オア・エクスプレイン(comply or explain)というのは、日本の企業にとって、今までにはない回答、と言いますか、アプローチを求められました。¶080
水野日本企業にとっては逆にCGコードに従わないことのほうが挑戦になってしまうという。¶081
茅野本当にそうですね。これをやれと言って、やらなくてはいけないのだというのは分かるものの、別にそれをコンプライしなくてもいいけれど、コンプライしなかったときにはちゃんと説明してくださいねというのは、大変に大きなマインドチェンジです。コンプライしなくてもいいけれども、ちゃんとエクスプレインする。その文化というのはまだ完全に定着していないのかもしれません。¶082
野口そういう意味で、茅野さんも私も、アメリカナイズされているかもしれません。反対意見も、本来ないといけないかもしれないですね。¶083
3 動的なルールを前提とした法務のあり方
野口ただ、ルールの機能として、社会に予見可能性や法的安定性を提供するという側面は確かにあります。これをやっておけば安心だ、という形でリスクを最小化する機能がないかと言ったら、それは確かにあります。そこをどこまで求めるかという意味で、過度に求めすぎている面が日本にはあるかもしれないな、と思います。どこまでリスクを取ることが許されるのか、というのは、分野によってかなり異なることも事実で、リスクを取ってはいけない局面も絶対ありますし、リスクを取らないことで相対的に安心安全な社会が実現している面も確かにあると思います。¶084
私のいる情報法の世界は、ある意味、全ての法分野の中で一番動いているところだと思っていて、だからこそ動的なルールへの許容性はかなり高いことが必要だと思っています。一方で、予見可能性が重要だなと思う場面もないわけではないです。例えば、今の共同規制のあり方というのは、私は結構、賛否両論だなと思っているところもありまして。運用の問題でもあるとは思うのですが、共同規制の最先鋒の1つであるデジタルプラットフォーム取引透明化法(特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律)などについては。¶085
水野急にすごく具体的な話になりましたが、私自身も興味があるところです。あれはどうですか。¶086
野口少しモヤモヤしているところもあります。¶087
あの透明化法の基本理念は、プラットフォームの世界は変化が激しいので、全部法律に規制を書き込んでおくのは不適切だ、ある程度企業に自主性を持たせつつ、事業の内容を透明化してみんなで見て検証し、フィードバックをする、そのフィードバックに対しては、まさにコンプライ・オア・エクスプレインです、というものです。けれども、実際には、役所のほうは「フィードバックには従いませんでした、理由はこうです」というエクスプレインを期待もしていないし、許さないような雰囲気が少しあるように思います。¶088
水野日本型の共同規制とコンプライ・オア・エクスプレインの問題が地続きだというご指摘は興味深いです。¶089
野口ここは是非飯田さんのご意見をお聞きしたいのですが、日本にはいわゆる行政指導の文化というのがあるじゃないですか。法的拘束力はない、だから本来従わなくてもいいけれども、政府が指導しているのだから事実上やらないということは許されないような形で、特に規制産業の中でずっと活用されてきた。ルール・オブ・ローに則っているのかといったら、行政処分ではないから、内容に異議があっても行政訴訟もできない。だから、根拠法がそれほど明確でなくても自由に内容も決められるということで、ある意味立法機能を代替するような形で活用されてきた側面もある。社会的評判や行政機関の権威をもとに、事実上従うことを期待する、この行政指導の文化が、現在の共同規制の中に入ってきているような印象を受けるのです。¶090
それは、日本の重要な法規制の一形態として、良いと評価すべきなのか、そうではないのかというところが、私はいつもモヤモヤしています。ハーバード・ロースクールのローレンス・レッシグ教授がもう20年以上前に、社会の行動を規制する4要素として、法律・市場・社会規範・アーキテクチャー(技術)を挙げていますが、その枠組みで言うと、社会規範の一形態として、社会的評判が、企業の行動を変えるための1つのベクトルとして働くことは、あって然るべきだと言えると思います。¶091
日本とアメリカの非常に大きな違いの1つは、この社会規範の強さだと思うのです。例えば、コロナ禍のとき、法律で決められていなくても、日本では全員マスクをする、そして海外からいらした方もそれを見て全員する、マスクをやめるときも「やめていいですよ」と政府が言って安心させる、というのが、分かりやすい例です。一方、法律で義務付けられたとしても、私にはマスクをしない権利があるという人がいるのがアメリカでした。どちらがいいのか、というのは、場面によっても違うので、一概には言えません。¶092
ただ、行政指導の話に戻ると、アメリカの本社と話していて、すごく分かってもらいづらいものの中に、この行政指導に従うことの必要性があります。「罰金は幾らですか」「ないです」、「サンクションはありますか」「ないです」、「では、やらなくてもいいのでは?」「いや、そういうわけにはいきません」、「事実上強制力があるということですか」「そうです」、「分かりました。でも、内容が不服だから、従うとしてもまず上訴して内容を修正しましょう」「できません」、「なぜですか」「理屈上は強制力がないからです」、というようなやりとりから分かるように、法規制の中に法的拘束力のないものをおりまぜつつ、実質的に強制しようとする局面は日本特有の法的構造として存在していると思います。そして、適正手続を重視するアメリカ本社の立場からすると、すごく分かりにくいし、少しずるく見えるかもしれません。¶093
飯田行政指導については本当に従前から指摘されているところです。プラスの面もあれば、もちろんマイナスの面も多くて、個人的には、規制の根拠が分かりにくくなる点で長期的に見るとマイナスのほうが大きいかなと思っています。あれが力として作用する理由としてはいくつかありますが、今の例で言えば、行政機関からの評価のようなものを非常に重視してしまうという要因は大きい気がします。¶094
企業もそうですが、大学もそうであるわけです。文部科学省が言っていること、例えば授業のシラバスをこう書けとか予習と復習の時間の目安を示せとか、単なる指針なのに大学はそのとおりに従い、だんだん本来のルールと区別がつかなくなる。¶095
水野業法による許認可が関わっている場合は分かりやすいですけど。¶096
飯田それはそうですね。でも、許認可が特に関わっていないはずの場合でも同じなんです。¶097
野口もしこれを5回無視したら次は立法するぞ、というようなプレッシャーが、そこにあるのかもしれないですね。¶098
飯田実際にはそう言ってはいないのでしょうけれども、プレッシャーはあるかもしれません。あと、何か別のところで不利益を受ける可能性があるとか。目を付けられるのを嫌がるということ、それから社会の目を気にするということは背景としてはありそうです。国や行政に逆らうと周りの目も厳しくなるという場合もありますね。結局、先ほどの社会規範に戻ってくるのですが。¶099
野口そうだとすると、本当にコンプライ・オア・エクスプレインなのかというと、疑問に感じることもあります。コンプライしないけれどもその理由を説明することで納得してもらう、という選択肢は事実上存在しないようにも感じるときがあるのです。¶100
水野なるほど。先ほどからCGコードから共同規制、伝統的な通達行政などを例に日本企業のルールの捉え方を問題にしてきたわけですが、これはルールを課す側・設定する側の問題でもあるというご指摘と受け止めました。¶101