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違憲審査制のあり方は、「生きる憲法」の一部であるとともに、その生成・展開の基盤でもある。21世紀に入ってからの「違憲審査の活性化」、最高裁判事経験者による退官後の積極的発信、法科大学院制度の導入を受けた憲法学における判例への向き合い方の変化が相まって、新たな角度から憲法判例が分析されるとともに、停滞感のあった憲法訴訟論についても議論が進展しつつある。個々の最高裁判事について、憲法に関する個別意見を素材とした研究も見られるようになってきている。¶001

2012年から約10年間、実務と理論が相互に作用するプラットフォームであった「論究ジュリスト」でも、憲法判例を検討する特集がしばしば組まれてきた。その創刊号(2012年)の特集はずばり「憲法最高裁判例を読み直す」であり、平成から令和へと元号が変わる直前の第29号(2019年)には「平成の憲法事件を振りかえる」を特集している。¶002

令和に入ってからも、衆参両院の一票の較差(最大判令和2・11・18民集74巻8号2111頁最大判令和5・1・25裁判所Web〔令和4年(行ツ)第103号ほか〕)はもちろん、岩沼市議会事件(最大判令和2・11・25民集74巻8号2229頁)、那覇孔子廟事件(最大判令和3・2・24民集75巻2号29頁)、在外国民審査権事件(最大判令和4・5・25民集76巻4号711頁)といった大法廷判決が続いており、性同一性障害特例法に関する事件も大法廷に回付された。下級審で判断が分かれる同性婚や、統治機構上の論点を含めて、多くの憲法問題に対する最高裁の憲法判断が俟たれる状況にある。¶003

こうした状況を踏まえれば、有斐閣Onlineロージャーナルで憲法に関する初の大型特集を組むにあたり、あらためて「違憲審査制の現在」を問うことには、企画の常套手段にとどまらない意義があるだろう。その際、①憲法判例の現在、②憲法訴訟論の現在、③違憲審査の担い手の現在の3つの柱を立て、単なる判例の解説・批判にとどまらず、違憲審査制の現在を多角的に照射することを試みた。¶004

それぞれの論攷については執筆者自身による概要、そして本体をお読みいただくとして、例えば①②については、最新の最高裁判決、さらには最高裁調査官による解説に立ちいっていわば内部を透視するものからより鳥瞰的に判例の傾向や動態を説明するもの、憲法訴訟に関する伝統的な論点を丁寧に取り上げるものから憲法訴訟の実践に近いところから手探りで新たな問題を提起するもの等、違憲審査制の現在へのアプローチの違いも、合わせて楽しんでいただければと思う。憲法訴訟の社会的背景や機能論、下級審と最高裁の相互作用といった、従来からその重要性が説かれながら、解釈論に傾斜してしばしば手が回らない問題群についても、③という形で、裁判所の内と外から解明が試みられている。¶005

本特集は比較憲法研究の重要性をも、あらためて浮き彫りにしている。日本国憲法の違憲審査制を論じるにあたっては、まずその母国アメリカが手本とされ、1980年代以降は連邦憲法裁判所を擁するドイツも好んで参照されてきた。これらの比較研究が、なお日本の実務と学説に汲めども尽きぬ源泉を供給していることは、本特集のいくつかの論攷から見て取ることができよう。しかるにRoe v. Wade(410 U.S. 113 (1973))が判例変更される等の激震にアメリカ連邦最高裁判所が見舞われていること、その一方でイギリス、カナダ、オーストラリア等、比較憲法の対象が拡大・深化してきたことは、日本の違憲審査制の現在を考える上で新たな視座を提供している。最高裁自身が他の最高裁判所・憲法裁判所との交流に積極的に取り組む姿勢を見せる中、時々の論点や判例に囚われない、憲法学の確かな意義と課題を、手応えをもって感じることができたことは、特集に関わった者として望外の喜びである。¶006

力作をお寄せいただいた各執筆者に感謝するとともに、本特集が違憲審査制の現在をより良く理解し、そして建設的な批判を含む実務と学説の相互作用を促すものとして、現在そして後の読者に受け入れられることを期待したい。¶007

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特集/違憲審査制の現在 一覧

 

  • 宍戸常寿「はじめに」

 

Ⅰ 憲法判例の現在

  • 松本哲治「審査基準論・利益衡量論と憲法判例」
  • 白水 隆「憲法判例の創造性と硬直性」
  • 高田倫子「処分違憲論再考」

 

Ⅱ 憲法訴訟論の現在

  • 青井未帆「『権利の救済』と違憲審査制」
  • 山本真敬「憲法判断の方法」
  • 山本龍彦「先例拘束性と憲法判例の変更」

 

Ⅲ 違憲審査の担い手の現在

  • 奥村公輔「憲法裁判所『的』機関の違憲審査と最高裁判所の違憲審査」
  • 佐々木くみ「令和2年最大判と違憲審査の担い手」
  • 山羽祥貴「憲法訴訟と民主政」
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