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Ⅰ 憲法訴訟論の地平

1970~80年代に憲法学の主流をなしたかつての憲法訴訟論が、それと知らずに潜在的には接続していたおそらくは生産的な問題系は、現在の我々にとって相対的に見えやすいものとなっている。憲法規範の意味内容をアプリオリに導出する装置(ドグマーティク)を仮構するのではなく、裁判官もまたその特有の地位と責任において憲法規範を相応の限界に縛られつつ実現しようとする1つのアクターでしかないと割り切る「語用論」1)的なアプローチには、違憲審査を行う裁判所の民主的正統性や、社会権をはじめとした防御権的な構成になじみにくい(そのため司法による実現にも困難がある)権利条項の意義といった理論的・実践的諸課題に正面から対処しうるという利点があることは確かである。そこでは、議会や執政・行政府、そして国民といった各主体がそれぞれの資格と能力において憲法解釈を行いつつ国家の意思形成に参与するという過程を前景化することができるからである。この方向性は近年、カナダの実践および学説を参照した対話的違憲審査の理論(以下「対話理論」とする)の提唱2)によって注目を集めることになった。¶001