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左から、山野目章夫、川端伸子、西川浩之、星野美子、山城一真

Ⅰ 現状の確認

山野目政府は、2022年3月、成年後見制度の利用促進基本計画(第二期)を決定しました。そこでは、成年後見制度について、他の支援による対応の可能性も踏まえて、本人にとって適切な時機に必要な範囲・期間で利用できるようにすべきであるという意見のほか、後見・保佐・補助の3つの類型を一元化すべきであるとか、終身ではなく有期(更新)の制度として見直しの機会を付与すべきであるとする意見があったことが示されております。法務大臣は、この動向などを受け2022年5月、同年6月に民事法の研究者や成年後見制度に関わる専門職等を構成員とする研究会が立ち上げられるところから、その研究会に法務省の担当官を参加させることとしたと表明しています。¶001

ここで述べられている研究会が、公益社団法人商事法務研究会に設けられた「成年後見制度の在り方に関する研究会」であり、その報告書が近いうちにまとまろうとしております〔本座談会収録後の2024年2月、同研究会報告書がまとまり、また、法務大臣は、同月、法制審議会に対し成年後見制度の見直しを諮問した。諮問第126号〕。¶002

このような情勢を踏まえて、本日は成年後見制度にご知見を有しておられる皆様にお集まりいただき、座談会を催すことといたします。参加者の自己紹介をお願いいたします。¶003

川端川端伸子と申します。今は一般社団法人権利擁護支援プロジェクトともすという所で仕事をしています。もともとはケアワーカーから福祉の現場に入りまして、医療ソーシャルワーカーを経て、高齢者虐待防止に関連する仕事を13年ほどした後に、昨年3月末まで5年間、厚生労働省で成年後見制度利用促進専門官をしておりました。¶004

今日お話をさせていただく先生方には、厚生労働省の在任時代は大変お世話になりました。ありがとうございました。第二期成年後見制度利用促進基本計画には立案に関わったという立場になります。本日はよろしくお願いいたします。¶005

西川司法書士の西川浩之です。山野目さんや星野さんとともに、「成年後見制度利用促進専門家会議」に出席させていただき、制度の運用改善を中心に、これまで意見を述べさせていただきました。今日のテーマは、成年後見制度改革の動向ということですから、制度の見直しの話に及ぶのかなと思っております。実務に就いている専門職としての立場から話ができればと思います。どうぞよろしくお願いします。¶006

星野星野美子と申します。私は社会福祉士で、成年後見の実務に、2002年に初めての方の後見人を受けてからずっと携わっております。所属している公益社団法人日本社会福祉士会では、この制度が2000年に改正される2年前から、社会福祉士も成年後見制度に関わっていくということで準備を始めてきたと理解をしております。今現在、私は日本社会福祉士会の中の成年後見に係る担当理事をしながら、西川さんと一緒に成年後見制度利用促進専門家会議、成年後見制度の在り方に関する研究会にも参加させていただいております。どうぞ、今日はよろしくお願いいたします。¶007

山城早稲田大学の山城一真です。私は民法、特に契約法を研究しております。成年後見法を専門的に研究してきたわけでは必ずしもないのですが、成年後見法で論じられる事柄は、契約と人との関係を考える上でも重要な問題ですから、この数年来の動向には関心を持ってきました。¶008

本日の座談会でも1つの焦点となるかと思いますが、成年後見制度の改革が論じられつつある背景には、障害者権利条約の要請への対応という課題があります。その重要性を認識しつつ、どこまでを民法で受け止めるべきか、その点を見定めていくことが今後に向けての1つの課題であると認識しております。本日はよろしくお願いいたします。¶009

山野目ご紹介が遅れましたが、司会を承ります私は、早稲田大学の山野目と申します。務める法科大学院におきまして、民法の教育研究に従事しております。本日は、どうぞよろしくお願いいたします。¶010

このようなことで、成年後見制度の議論をお願いしてまいりますが、今しがた、少しお話が出ました成年後見制度利用促進基本計画について、川端さんから、経緯や背景のお話を頂きます。¶011

川端第二期成年後見制度利用促進基本計画は、それまで5年間、第一期基本計画を実行した中で課題となる点をワーキング・グループで明らかにし、立てられた計画となります。¶012

第二期基本計画は、成年後見制度そのものの見直しについて、委員が指摘したことを掲載しているという点が大きな特徴となっています。成年後見制度を更新制、有期の仕組みとして見直すべきである、3類型を一元化すべき、あと障害者権利条約の勧告が出されるという話もありましたので、その勧告を受けた見直しということについての指摘も書いています。成年後見制度のスポット利用に向けて、厚生労働省サイドが総合的な権利擁護支援策の充実を進めていくと書いているのも特徴です(7頁)。¶013

この制度の見直しのほか、第一期基本計画から各地域で整備を進めてきた中核機関、いわゆる市町村ごとに整備している権利擁護センター、成年後見センターのような相談窓口の仕組み、この法的位置付けの見直しについても言及しています。あとは民法改正までの間、運用改善をどうするかということもまとめていて、成年後見制度だけでなく、広く権利擁護支援の担い手をどう育成していくのかということについても触れているという特徴があります。¶014

Ⅱ 法定後見の何が論点か?

1 後見の開始・終了の要件

山野目どなたもご存知でいらっしゃるように、成年後見制度は法定後見と呼ばれている部分と、任意後見の制度とから成り立ちます。法定後見のほうからご議論をお願いすることにしましょう。法定後見の制度の見直しについては、何よりもその開始をどのような要件で考えるか。それと表裏の関係になりますが、その終了をどのような要件で考えるか、について、現行法の在り様がこれで良いかという観点からの問題提起がされています。¶015

山城後見の開始や終了については、本人の意思をより尊重するという観点から、現行制度の基礎でもある自律の理念を徹底させようという動向が生じていると受け止めていますが、そのきっかけとしては、障害学ないし障害法の発展が重要であったと思います。大づかみに申しますと、障害の捉え方として、心身の機能障害に着目する伝統的な医学モデルに対して、社会的障壁という側面に着目する社会モデルが提示された。この考え方によると、障害の有り様は、外的な条件によって左右されることとなりますから、法律行為に関する判断能力も状況依存的なものとして捉えられるはずです。そこで、成年後見制度の側にも、本人の能力を十分に活用するための支援に関する条件整備が期待されるようになった、こうした脈絡があります。¶016

これを踏まえて現行法を見ますと、後見等の開始は、精神上の障害という原因と事理弁識能力の不十分さという結果に着目して規律されています。これは医学モデルに基づく制度設計ですが、社会モデルという観点から見直すと、本人の判断能力についても、医学的評価だけでなく、福祉等の観点を踏まえた多元的な評価が期待されるはずです。こうした考え方をどのように受け止めるかが、開始要件については1つの焦点になると見ています。¶017

次に、後見等の終了ですが、現行法は取消しの審判がされるまでは、一度言い渡された後見等がそのまま継続することを前提としています。しかし、それでは、本人の状態像の変化に即して必要な支援を与えることが難しくなります。そこで、実施されている後見等が、本人のニーズに合致するかどうかを検証する仕組みが求められます。その方法として、例えば、後見等に期間を設けて、定期的にその内容を見直す仕組みを導入することなどが考えられそうです。この点は、川端さんから、第二期基本計画との関係で言及されたとおりです。¶018

このように、開始と終了のそれぞれについて論点がありますが、両者に共通するのは、本人に対する支援の必要性を個別具体的に検証しようという理念です。こうした考え方は必要性の原則と呼ばれることがあります。何をもって必要性と言うか等、基本的な点を詰めていく必要がなお残されていますが、その点を留保しつつ申しますと、この考え方を徹底するならば、必要性は、個々の法律行為ごとに考えなければならない、したがって、本人に対する支援の要否や内容も、法律行為ごとに考えなければならない、そのような制度構想も視野に入ってきそうです。具体的には、不動産の売却や相続の放棄等、問題となる行為ごとに支援の要否を検討するという行き方です。¶019

最後に、民法の解釈との関係にも一言触れたいと思います。今申し上げたような議論を解釈論の平面で受け止めますと、判断能力があるとか、自ら意思決定をすることができるといった状態のイメージが、従来の前提とは変わってくるのではないかと感じます。つまり、本人による決定というときにも、適切な支援を受けることによって本人自身が意思決定をすることができるかという観点から議論を進めていく必要が生じるだろうと考えます。¶020

山野目後見の開始の側面においても、終了の段階にあっても、それぞれ課題があることが、山城さんのお話でよく分かりました。福祉のお仕事をしておられて、星野さん、川端さん、いかがでしょうか。¶021

星野今、山城さんからもお話がありましたとおり、いろいろ運用が変わってきたところは確かにあったと思います。成年後見制度の利用の促進に関する法律が施行されて、第一期基本計画が策定されたところで、医師の診断書の書式が改定されるということが平成31年4月にありました。そこでは、今話があったとおり、医学モデルでありながらも、社会モデルというか、本人の日常生活の状況を、例えばどんな支援を受けているかということが、医師が診断書を記載する際に必要な情報となりました。それにあわせて、本人情報シートというシートが開発されて使われるようになりました。本人情報シートでは、日常的に本人が誰からどんな支援を受けているかということを医師に伝えるためのシートであるとともに、本人が制度を利用するということについて、どんな意向を示しているか、成年後見制度を申し立てることについて知っているのかどうか、そういうことも書かれるようになりました。まさに医学モデルから社会モデルへ変化しようとした動きだと感じています。¶022

これが申立てのところで、非常に多く使われているということから、運用がだいぶ進んできたと思います。ただ、その一方で、成年後見制度という制度は、本人が自ら望んで使おうというのはまだまだ少ないと思います。やはり、周りの方が支援の方策が尽きたというか、もう対応方法がないということで、周りの人のニーズに沿った形で申立てがされるというのが、まだまだ多いと思います。私は本人情報シートをたくさん見させていただく中で、本人の目線ではないなと感じるものが残念ながらまだまだ多いと感じます。こういったところは努力して、運用面の改善を図るだけでは、やはり、不十分になってきているのではないかと感じているところです。¶023

制度の終了のところもそうですが、そもそも終了させるという感覚は、今はほとんどないと思います。つまり、ご本人が亡くなることによる終了、あるいはご本人の能力が回復するということは確かにあります。能力が回復したことで取消しがされている事案がないわけではありませんが、多くの場合は見直しが行われていないため、制度利用が決まったものがそのままずっと続いていくのが当たり前だとみんな思っている。そこで、見直すための仕組みがきちんとできれば、終了するということにつながっていくのではないかと感じています。以上です。¶024

川端本人情報シートはすごく役に立つなと思っています。例えば、生活上の課題とそこへのサービスの利用がどうなっているのか、本人はこの制度を利用することについてどう考えているのか、本人のどのような行動に周りの人が困っているのか、などということを、整理して書くことができるという点がすごくいいなと感じています。福祉分野の人間は、課題と支援ということに着目して人を捉えているのですが、裁判官は法律行為を見て成年後見がどう必要なのかを捉えています。そのような違いがある中で、本人情報シートは、いわば家庭裁判所と福祉分野の言葉を通訳するようなシートになっているのだろうなと感じています。¶025

一方で書く側が、本人にとっての生活の課題ではなくて、支援者にとっての課題をたくさん書いていると、星野さんは言ってくださったのかなと思います。まだまだ支援者にとって都合の良い制度利用になりがちという点があるなとは感じます。¶026

山野目本人情報シートは、新しい制度を考える上でもヒントになりそうですね。¶027

西川申立書を作成する司法書士として気付いていることなのですが、それまでももちろん本人にとっての必要性は考えていたのですが、どうしても代理行為目録を見ながら、これが必要かな、必要ないかなという発想だったのが、本人情報シートができてからは、本人情報シートの記載を参考にして、今、川端さんがおっしゃったような観点から、本人にとっての必要性を考えるようになったと思います。必要性がこれから要件あるいは考慮要素になってくるというときに、それをどう裁判所に伝えるのかという観点が非常に重要になってくるだろうなと思っております。¶028

2 成年後見人の代理権の在り方

山野目実態上、あるいは運用上、本人情報シートが用いられるようになったり、診断書が改良されたりして、裁判所に伝えられる情報が豊富になってきています。そのような豊富な情報を裁判所が用いて運用することの根拠となる民事法制上の規律の見直しということが、これからそれ故にこそ問題になってくるでしょう。¶029

終了に関しては、星野さんのお言葉の中に、終わりのことを考えていないというご指摘があって、これが状況を象徴していると感じます。事実上、終わらない後見になっている現在の制度を改めていくということを1つの大きな課題として取り組まれなければなりません。開始についても、一旦、成年後見が始まりますと、現行法におきましては、成年後見人になった者が、包括的な代理権を有します。これについても様々な問題があると想像します。¶030

西川ご承知のとおり、民法3条の2に、「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする」という規定があります。そのため、意思能力を有しない方が、法律行為によって自分に権利を帰属させたいときには、自分自身だけではできないので、代理の仕組みを使わなければならないということになります。理屈の上ではそうなのですが、その一方で、解釈上、意思能力は、対象となる法律行為ごとにあるかないかが決まるとされていると思いますので、ある人が判断能力を欠く常況にあるからと言って、全ての法律行為ができないということではありません。さらに、意思無能力による無効は、表意者保護の趣旨から設けられている規定であるため、表意者である意思無能力者側からしか主張できない、つまり、取引の相手方から無効を主張することはできないと解されています。そうしますと、実際には、判断能力が不十分な方であっても、周りにその方の利益を考えて支援をする方がいれば、少なくとも日常生活を送るだけであれば、代理の仕組みを使わなくても、ほとんど支障なく取引や生活ができてしまいます。法律行為をして自分に権利を帰属させることも可能になります。¶031

このような考え方は、最近では意思決定支援の考え方によっても正当化されているように思います。意思決定支援の考え方では、およそ全ての人には意思がある、つまり、法律行為の効果を生じさせるような確定的な意思があるかどうかは別として、全ての人には意思や選好、選好というのは選択対象に対する好みの程度、好き嫌いの優先順位といったものだと思いますが、そういったものがあると考えます。遷延性意識障害の人であっても、快・不快の感情はあるし、意思もあると考えるわけです。そして、意思能力とは別の意思決定能力という概念があると考えて、この意思決定能力は、本人の個別能力と支援者の支援力、その総合力だと整理します。¶032

その上で、全ての人に意思や選好があるのだから、判断能力が不十分な人であっても、意思や選好は当然あり、意思決定能力もあると推定します。たとえ、判断能力が不十分であったとしても、周りの人の支援があれば意思決定はできると推定し、もし、本人に意思決定能力がないと判断せざるを得ないような場面があったとすると、それは支援者の支援が足りていないからだと考える。周りの人が本人の意思決定を支援するプロセスを踏んでいけば、本人にとって代理が必要な場面というのは、本当はそれほど多くないのではないかと考えられるようになっています。¶033

そのような考え方が広まると、法定代理人に包括的な代理権を付与して、本人を保護するという仕組みが、過剰な本人保護の仕組みではないかという疑問が生じます。現行法の成年後見人への包括的全面的な代理権の付与は、被後見人の行為能力をほぼ全面的に制限する仕組みとセットになっていますから、本人の生活の全てを法定代理人が決定できるし、むしろ決定しなければならないという仕組みになっています。これは本人の自律という観点から問題ではないかという指摘がされています。少なくとも、重要な法律行為をする必要が生じた局面に限定して、その際に、本人の近くに本人の利益を考えてくれる人がいない場合に限って、法定代理人による代理の支援が必要なのであって、全ての場合に法定代理人が必要ということはないのではないかということです。¶034

保佐・補助の場合もほぼ同じようなことが言えます。保佐人・補助人に対する代理権の付与は、本人の行為能力の制限とは結び付いていませんし、本人の同意を得て代理権が付与されているのですが、本人不在のまま保佐人・補助人の意思表示のみで本人に効果が帰属する法律行為をすることができるということになると、本人の意思や選好が尊重されないということになりはしないか、もっと本人の自律を尊重すべきではないか、ということです。¶035

取消権の行使も問題です。本人だけでなく、成年後見人等が取消しをするということが、広い意味での代行的決定の仕組みになっているのではないかということです。こういった代行的決定の仕組みが、過剰な保護、あるいは本人の自己決定に対する過剰な制約になっているのではないかという疑問が提起されているのだと思います。¶036

山野目たとえ話で申し上げますと、Sサイズの骨格の方が、LLサイズのジャケットを与えられて着てみよと求められても、ダブダブの衣服になってしまって、どうも具合が悪いというのに近いような状況が、現在の民法が定めている代理権の規律にあるかもしれません。それはなるほどと感ずるとともに、然は然りながら、どうしても代理権が要るという場面もあるかもしれません。¶037

川端福祉サイドは、後見類型程度の判断能力の方に、契約のその都度その都度必ず成年後見制度が必要とは思っていないのです。例えば特別養護老人ホームの入所の際、ご本人が後見類型程度の方だなと思っても、ご本人のことをしっかりと考えて支えてくださるご家族がいる場合には、成年後見人を立ててもらわずに契約しているのが今の状況です。¶038

それでもやっぱり成年後見人が必要と感じる場面があります。1つはこちらが全く意思を受け取ることができないような遷延性意識障害の方のような場合です。その方の権利を行使してくれるような、例えば、病院と契約、支払いをしてくれる家族が全くいないということになってしまうと、必要な療養生活を組み立てることができないので、成年後見人に来てほしいということになります。高齢者の方で、脳梗塞を起こして身寄りがなく、入院中全く意思を確認することができませんというような場合は、後見人がいないと困るということになります。¶039

あとは、私は虐待分野の仕事が長かったので、他者からひどい権利侵害、搾取、虐待を受けていて、精神的に支配されてしまっている認知症高齢者、知的障害者、精神障害者といった方に、代理権を持った人による生活の立直しのための契約行為が必要という場面に何度も出会いました。このような方には、成年後見制度が必要な場合もあると感じています。¶040

一人暮らしで身寄りがいない認知症高齢者の家に、悪質事業者が上がり込んでしまって一緒に暮らして、毎日怒鳴ったり、脅したり、そしてノートに「〇〇さんに遺産を残す」と100回も200回も書かせたりしていると、行政が訪ねて行っても、ご本人は「〇〇さんに遺産を残す」としか言わないというようなことも起こります。安全な所で、安心して暮らしてもらえるようにこの方の生活を立て直していくためには、成年後見の申立てをして、成年後見人によって状況を整理し、契約をしてもらう必要がありました。極端な例として挙げましたが、判断能力が不十分な人の財産や、いわばATM代わりのように年金を狙った搾取、虐待というものは珍しくなく存在していて、毎年毎年虐待の件数は増えています。家族を頼れないとか、家族から虐待を受けているという場合には、成年後見制度を使った生活の立直しが必要なことがあります。¶041

ただ、後見人が状況を整理し、福祉関係のサービスを契約して生活が整うということになってきますと、ご本人の代理をずっと他者がしていかなければならないという場面はなくなっていきます。搾取とか虐待によって、人は、本来その人が持っている力を失ったぼんやりした状態(パワーレス状態)になります。しかし、怒鳴られたり脅されたりしない安心した生活の中で、エンパワメントされてパワーが戻ってくると、意思をしっかり示せるようになるということは多いのです。行政の人が保護先に訪ねて行って「いつ行ってもぼんやりしてたのに、あの人は笑う人だったんだね」とか、「あんなことができるなんて知らなかったよ、歌ってたよ」と驚く、というようなことはよく起こります。¶042

なので、生活の立直し、環境が整った後は、療養や福祉サービスの契約に対して、支払いをしたり、確認をしたりする別の仕組み、日常生活自立支援制度が仕組みとしてありますし、持続可能な権利擁護支援モデル事業もそれを目指していますが、そういうものがあれば包括的代理権といったような大きな代理権を他者が持つ必要はなくなると思います。¶043

3 行為能力制限のゆくえ

山野目お二人のお話を伺っていて、次第によく分かってきたこととして、実は現在の民法が定めている成年後見人の代理権の在り方も大いに問題ではありますが、それと密接な関連をもって、後見が開始されると、本人の行為能力が制限される。被保佐人に関しても、若干の規律の相違があるとはいえ、類似の状況が生ずるところを、どういうふうに考えるかという論点も併せて議論しなければいけません。¶044

ここまでの議論で、代行(的)決定という概念が登場してきて、それが問題であるといったようなお話が出ておりまして、実はこれは日本の国内でのみ指摘されていることではありません。外から日本に対する要請として求められているという事項もありますね。¶045

山城この間の議論の経緯を振り返りますと、出発点として重要なのは、やはり障害者権利条約であろうと思います。¶046

簡単にご紹介しますと、障害者権利条約は、2006年に国連総会で採択されて、2008年に発効しました。日本では2007年に署名した後、2014年に批准し、同年2月19日から発効しています。成年後見法との関係で重要なのは、法律の前に等しく認められる権利に関する条約第12条ですが、その第2項では、障害者が生活のあらゆる側面において、他の者との平等を基礎として、法的能力を享有することを認めるべきことが定められています。この規定の解釈についてはここでは深入りしませんが、確認しておくべき点は、ここに言う法的能力が、権利能力だけではなく、自身が享有する権利を行使する能力、つまり行為能力も含むと理解されていることです。そこで、各国とも成年後見制度の見直しを迫られるようになったというのが、この間の大きな動向です。¶047