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Ⅰ 起点の位相

1990年代以降の統治構造改編(constitutional change)は80年代の「臨調・行革審」路線と地続きで理解すべきだが1)、その出発点を93年6月の衆参各院での「地方分権の推進に関する決議」(3日衆院・4日参院)に求めることも間違いではない2)。同決議の2週間後の宮沢内閣不信任決議(6月18日)から「政治改革」が動き出し、それに続く96年の橋本内閣下での行政改革会議発足から99年の中央省庁改革関連法に至る「行政改革」の流れがある。それらと並走して99年の改正地方自治法(以下、「99年地自法」)に着地する第1次「分権改革」も、この国のconstitutional changeの構成要素だったのである。だからこそ、「分権改革」の評価は「統治構造改革の30年」総体の見方に直結するし、また逆に「統治構造改革の30年」の評価次第で「分権改革」の見方も変わる。「分権改革」を含む「統治構造改革」が多様な諸勢力の「混声合唱」(西尾勝)の中で進行したことも3)、その評価を難しくしている。「改革」への様々な評価を、待鳥聡史は①「熱病論」、②「新自由主義論」、③「平成デモクラシー論」の3種に整理する4)。こうした評価のためのアプローチ自体の分類もあり、例えば伊藤正次は「アイディア(idea)」着目型と「利益(interest)」着目型に区分している5)¶001