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事実の概要

被告人は公害病である水俣病の症状にさいなまれながら、水俣病患者認定申請を2度にわたって棄却され、昭和46年10月になってようやく水俣病患者に認定された。そこで、被告人は新たに認定された17名とともに、公害の原因企業であるチッソと直接交渉して被害の回復を図ろうと考え、同年10月から昭和47年10月にかけて断続的にチッソと補償交渉を行ったが、チッソ側は要求に応じず、交渉はほとんど進展しないまま推移していた。チッソは廊下への出入口に鉄格子を設置し、50名ないし100名の従業員を動員して警備にあたらせたが、患者および支援者と従業員との間でしばしば衝突が繰り返され、双方に負傷者が続出した。そのような状況のもとで、被告人が昭和47年7月19日、20日、21日および同年10月25日にチッソ従業員に対して全治1~2週間の傷害を負わせた行為が起訴の対象とされた。¶001