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Ⅰ はじめに

2022年2月24日に戦端が切られた露ウ戦争が19世紀的な侵略戦争の再来であり、第二次世界大戦後の国際法秩序に対する重大な挑戦であるといわれて久しい。ロシアのウクライナ侵攻を侵略と認定しようとした安全保障理事会決議は、当事国であり常任理事国でもあるロシアの拒否権行使によって採択されることはなかったが、その後の緊急特別総会で採択された決議1)UN Doc. A/RES/ES-11/1, 2 March 2022.は本戦争を侵略と呼び、国連憲章2条4項違反を認定した。同決議に加えて、翌年2月23日に緊急特別総会において採択されたウクライナにおける包括的で公正な永続的平和のための決議2)UN Doc. A/RES/ES-11/6, 23 February 2023.も141か国という多数の賛成票を集めており3)「票読み」の現場感覚については例えば次の文献を見よ。野々村海太郎「安保理の機能と現実」国際法研究11号(2023年)32頁注3、吉川元偉「ロシアのウクライナ侵略への国際連合の対応」同号11頁。、国際法秩序に対するロシアの挑戦に国際社会が集団的に立ち向かっている様子を確認することができる。¶001

このような現状に対し、当のロシアは自らの行為を国際法に基づいて正当化するのみならず、西側諸国のダブル・スタンダードを繰り返し批判してきた。これはいわゆる“whataboutism”と呼ばれる論法であり、ロシアに加えて、中国や第三世界の国々も、かかる論法を少なからず採用して、既存の国際秩序の正当性を批判している点は見逃せない4)酒井啓亘「国際法学者は国際社会における『法の支配』の夢を見るか①──国際社会における『法の支配』への憧憬と猜疑心と」書斎の窓687号(2023年)30頁~31頁、根岸陽太「〈訳者補遺〉ロシア・ウクライナ危機における国際法言説──『ルールに基づく国際秩序』の擁護・批判・改革」ジャン・ダスプルモン(根岸訳・解説)『信念体系としての国際法』(信山社、2023年)154頁~176頁。。これらの対立の根底に、各国の国際秩序理解の相違があることは明白である。すなわち、一方では「ルールに基づく国際秩序」(international rules-based order)がロシアに対する対抗言説として提唱され、他方ではこの「ルール」が明確化されておらず、かかる秩序は覇権国に資するものでしかないとしてその欺瞞性が指摘されている5)John Dugard, “Editorial: The Choice before Us: International Law or a ‘Rules-Based International Order’?”, Leiden Journal of International Law, Vol.36 (2023), pp.223-232.¶002

本稿は、国際秩序の認識における以上のような対立を念頭に置きながら、戦争と国際法秩序の歴史的展開について、国際法による戦争・武力行使の規制(jus ad bellum)と国際社会の平和および安全の確保のための制度構想(国際安全保障体制)に着目して検討し、その上で現状を位置づけることを目的とする。国際法における戦争の規制の歴史的展開は、正戦論から「戦争の違法化」(outlawry of war)に向かう過程として一般に提示され、そこでは、古代から続く正戦論、18世紀後半以降のいわゆる「無差別戦争観」6)ただし、論者によって「無差別戦争観」の意味するところは多様であり、この時代において単一の戦争観が支配的であったわけではない。柳原正治「いわゆる『無差別戦争観』と戦争の違法化」世界法年報20号(2001年)3頁~29頁。、そして20世紀初頭にその端緒を有し、国連憲章における武力行使禁止原則の確立によって達成された戦争の違法化、というプロセスが描かれてきた7)松井芳郎『武力行使禁止原則の歴史と現状』(日本評論社、2018年)2頁~31頁、柳原正治「戦争の違法化と日本」国際法学会編『日本と国際法の100年(10) 安全保障』(三省堂、2001年)263頁~287頁。。また、国際安全保障については、覇権国の台頭を防ぐことで自国の存立を確保し、結果として国際社会における安全をもたらすという勢力均衡(balance of power)が、第一次世界大戦を経て集団安全保障体制に代替されたというプロセスとして提示されてきた。¶003

しかしながら、このような歴史描写がやや単線的に過ぎる点には注意が必要であり、本稿はかかる見取り図を少しでも豊かなものとしようとするための些細な試みでもある。具体的には、本稿は、まず戦争と国際法秩序の関係をjus ad bellumと国際安全保障の関係として複合的に把握することで、国際法秩序の維持手段としての戦争()と国際法秩序によって禁止された戦争()に整理し、その史的展開を追う。その上で、戦争に対する国際法秩序の反応としての集団的不承認に着目し()、最後に露ウ戦争において耐えている国際法秩序の様子を描き()、結論に代えて今後の課題を提示する()。¶004

なお、本論に進む前に、次の3点について予め断っておきたい。第1に、本稿の用語法についてである。まず、本稿では「国際秩序」と「国際法秩序」とを次のように区別して用いている。すなわち、国際秩序とは国際社会における主要なアクターたる国家の自己保存と諸国家の共存のために一定の利益や価値が共有されている状態を意味し、国際法はかかる一定の利益・価値のひとつとして位置づけられる8)このような考え方を提示したのは、いわゆる「英国学派」の代表格であるブル(Hedley Bull)であった。ヘドリー・ブル(臼杵英一訳)『国際社会論──アナーキカル・ソサイエティ』(岩波書店、2000年)9頁、17頁。国際秩序と国際法秩序については、次の論考も参照。森聡ほか「国際秩序を捉える3つの視角」森編著『国際秩序が揺らぐとき──歴史・理論・国際法からみる変容』(千倉書房、2023年)2頁~6頁[田中佐代子]。。この意味で、国際法やそれによって形作られる秩序(国際法秩序)は国際秩序の確立のための必要条件ではない。そして、このように理解される国際法秩序と本特集に掲げられたその「創造」・「耐久」・「破壊」との関係については、国際秩序の確立のために中核となる規範が国際法によって提供され(「創造」)、その中核的規範に対する違反(「攻撃」)に対して、秩序を守るためにビルトインされた諸制度が機能し(「耐久」)、それでもなお最終的にかかる諸制度が機能不全に陥り、中核的規範が法の平面において妥当しないものとなること(「破壊」)を、それぞれ意味するものとして差し当たり整理しておきたい。第2に、本特集の他の論稿との関係で、戦争と国際法秩序との関係を包括的に検討することは行わず、本稿はjus ad bellumに着目するのみで、中立法を含むjus in belloについては扱わない(これらについては本特集の真山論文和仁論文を参照されたい)。そして第3に、露ウ戦争のjus ad bellum上の評価については、既に日本語だけでも多くの優れた分析があるため9)本稿で直接参照するもの以外にも、例えば次の論考を見よ。浅田正彦「ウクライナ戦争と国際法──政治的・軍事的側面を中心に」浅田 = 玉田大編著『ウクライナ戦争をめぐる国際法と国際政治経済』(東信堂、2023年)5頁~37頁、酒井啓亘「ウクライナ戦争における武力行使の規制と国際法の役割」世界(臨時増刊)957号(2022年)73頁~85頁、和仁健太郎「ロシアによるウクライナ軍事侵攻の合法性と国際社会の対応」国際問題710号(2022年)15頁~24頁。、本稿では詳細には立ち入らない。¶005

Ⅱ 国際法秩序の維持手段としての戦争──正戦論と勢力均衡

戦争の違法化の歴史に関する単線的な描写について、本稿がまず着目するのは正戦論をめぐる理解である。一般に、正戦論の下では戦争が正か不正かという二分法によってのみ区別されていたように理解されるが、このような区別以外にも、遅くとも17世紀初頭までには正式戦争(bellum solemne)または法的戦争(bellum legale)と呼ばれる戦争観が台頭していたことは見逃せない。これらの議論に即せば、戦争はある一定の形式を満たす場合に、国際紛争を強制的に処理するための制度として機能していたといえる。そして、戦争が法的・正式なものとなるためには主権者による公式の開戦宣言が要求されており、かかる正式戦争においては、交戦当事者は正戦とは異なり平等に扱われるものと理解された10)Randall Lesaffer, “Aggression before Versailles”, European Journal of International Law, Vol. 29 (2018), pp.777-783.¶006

ここで正式戦争という戦争観に言及したのは、正式戦争が公式な開戦宣言を必要としたことで、主権者の間での戦争状態が法的次元において顕在化し、この状態を終結させるための合意――講和条約――が必要とされたことを想起するためでもある。実際に、とりわけ16世紀から17世紀にかけて、戦争状態の終結や戦前の平和状態を回復する旨の一般規定を備えた講和条約が多く締結された。その背景には、宗教改革による欧州秩序の危機があり、これに伴いユース・ゲンティウム(jus gentium)の基盤となっていた教会法の権威が失われた結果、講和条約においてこれらの一般規定が必要とされたのである11)Randall Lesaffer, “Peace Treaties and the Formation of International Law”; in Bardo Fassbender /Anne Peters (eds.), The Oxford Handbook of the History of International Law (Oxford University Press, 2012), pp.76-78.¶007

このように、一方では正・不正の二分法に基づく伝統的な正戦論が、他方ではこれに対して実質的な修正を迫るような正式戦争観が妥当した時代において、国家間関係を安全で平和な状態にするために機能していたといわれる秩序構想が勢力均衡である。勢力均衡の起源については諸説あるが、事実状態としての勢力均衡は15世紀中葉以降のイタリア半島において見出され、ウェストファリア条約(1648年)が勢力均衡の維持のための要素となる同盟権と干渉権を承認し、そしてスペイン王位継承戦争後のユトレヒト条約(1713年)において、勢力均衡という秩序構想とその構築・維持に基づく平和と平穏の確保が実定国際法上初めて明示的に規定されたと考えられている。¶008

ユトレヒト条約を構成する諸条約の中でも、例えば英・西間平和友好条約12)Treaty of Peace and Friendship between Great Britain and Spain, signed at Utrecht, 13 July 1713; in Clive Parry (ed.), The Consolidated Treaty Series, Vol.28: 1713-1714 (Oceana Publications, 1969), pp.295-347.は、「公正な勢力均衡によりキリスト教世界(Christianus Orbis)の平和と平穏を確保し、堅固なものとするために」仏・西の結合を禁止している(2条)。ここでは「キリスト教世界」という語が用いられているが、もちろんこの時点で中世的な意味での「キリスト教共同体」(Respublica Christiana)という観念は消滅しており、同じくユトレヒト条約を構成する英・仏間平和友好条約13)Treaty of Peace and Friendship between France and Great Britain, signed at Utrecht, 11 April 1713; in Clive Parry (ed.), The Consolidated Treaty Series, Vol.27: 1710-1713 (Oceana Publications, 1969), pp.475-501.においては「欧州の安全と自由」(la seurté & la liberté de l’Europe)と規定されていた(6条)。このように、ユトレヒト条約において勢力均衡によって維持される秩序の対象に揺らぎがあったことは否めないが、その後の講和条約においては、欧州に共通する安全のために勢力均衡を維持し、その実現のために(ウェストファリア条約由来の)同盟権と武力行使を含む干渉権が行使されるという、戦争の遂行による国際秩序の維持が目指されたのであった14)明石欽司「欧州近代国家系形成期の多数国間条約における『勢力均衡』概念」法学研究71巻7号(1998年)49頁~80頁。¶009

このような勢力均衡に基づく国際秩序構想は、正戦論が妥当性を失った18世紀後半以降においても目指されるべき秩序原理としての地位を喪失することはなかった。ナポレオン戦争後のいわゆるウィーン体制において勢力均衡が指導原理となったことはその象徴であり、やはりここでも諸国の協調による欧州世界の安全の確保が目指されたのである15)この時代の国際秩序については次の文献も参照。藤澤巌『内政干渉の国際法──法の適用問題への歴史的視座』(岩波書店、2022年)41頁~45頁。。かかる「ヨーロッパ協調」(Concert of Europe)は現実には長続きしなかったが、19世紀において戦争が国家の自由であると考えられる中で、諸国は同盟と干渉を通じて、すなわち戦争を遂行することで勢力均衡に基づく国際秩序を維持し続けてきたのであった16)勢力均衡に関する同時代的理解については次の文献を見よ。明石欽司「『一八世紀』及び『一九世紀』における国際法観念(二)・(三・完)──『勢力均衡』を題材として」法学研究87巻7号(2014年)14頁~25頁・同8号(2014年)1頁~20頁。なお、次も参照。西平等「国際法学における安全保障構想の系譜──動態的に把握された勢力均衡の下での法秩序」法時86巻10号(2014年)60頁~61頁。。国際秩序構想としての勢力均衡は、20世紀初頭の代表的な国際法学者であるオッペンハイム(Lassa Oppenheim)の言葉を借りるならば「国際法の存在自体の不可欠の条件」17)Lassa Oppenheim, International Law: A Treatise, Vol.1: Peace (Longmans, Green, and Co., 1905), p.185.であり、正式戦争にみられるように戦争が国家間紛争の解決手段として許容されていた時代において、戦争は国際秩序の維持のために必要な要素としてむしろ国際法秩序に組み込まれていたのであって、必ずしも国際法秩序を破壊するものとしては捉えられていなかったのである。¶010

Ⅲ 国際法秩序によって禁止された戦争──戦争の違法化と集団安全保障体制の構築

戦争によって破壊された秩序を回復する講和条約は、秩序の原状回復だけでなく、新たな秩序を創造することもある。この好例が国際連盟における集団安全保障の導入であり、かかる新秩序は、ドイツを侵略者として認定し、制裁を課したという独創的な意義18)Lesaffer, supra note 10), p.808.を有する第一次世界大戦の講和条約の第1編たる国際連盟規約によって創造されたものであった。国際連盟規約という準普遍的な国際法によって集団安全保障が導入されたということは、勢力均衡とは異なり、集団安全保障が国際秩序の維持のための規範として確立したのみならず、国際法秩序内部に組み込まれたことを意味する。¶011

理念型としての集団安全保障は、勢力均衡とは異なり、「敵」をも自らの集団に含めて、その集団の中で戦争を禁止することを約束し、約束に反して他国を侵略する国に対しては残りのすべての国が力を結集して侵略に立ち向かうという制度である。勢力均衡が秩序維持のために戦争遂行を手段としたのに対して、集団安全保障は戦争を禁止するものである。換言するならば、戦争は国際法秩序によって禁止される対象となり、このようにして、戦後秩序の管理のために創造された国際連盟と国際連合は、勢力均衡から集団安全保障体制へと舵を切り、伝統的国際法における戦争の自由を排したのであった。¶012

しかしながら、新たに誕生した国際連盟は、紛争の平和的解決と連動させる形で戦争を部分的に禁止したのみであり、違反の認定と制裁の発動は分権的なものであった。そのため、戦争の違法化については、国際連盟規約の抜け穴を埋めるために様々な努力がなされ、その結果生み出されたのが不戦条約(1928年)である。不戦条約は「国家の政策の手段としての戦争」を放棄し(1条)、紛争・紛議の処理は平和的手段に依るに限ると規定した(2条)点において画期的であったが、種々の問題を抱えるものでもあった19)柳原正治『帝国日本と不戦条約──外交官が見た国際法の限界と希望』(NHK出版、2022年)162頁~172頁。。とりわけ、満州事変(1931年~1933年)における日本政府の主張やそれをめぐる国際法学者の議論からも確認されるように20)この点については次の文献を参照せよ。西嶋美智子『自衛権の系譜──戦間期の多様化と軌跡』(信山社、2022年)85頁~105頁。、「戦争に至らない武力行使」または「事実上の戦争」を同条約の禁止する戦争との関係で交渉過程において明確に意識できなかったこと、同条約によって許容されている自衛権の範囲が不明確であったことは、不戦条約によって新しくデザインされた国際法秩序構想が不十分であったことの証左である。¶013

その後、第二次世界大戦を経て、国連憲章2条4項において規定された武力行使禁止原則が、国際司法裁判所(ICJ)の「ニカラグア事件」本案判決21)Military and Paramilitary Activities in and against Nicaragua (Nicaragua v. United States of America), Merits, Judgment, I.C.J. Reports 1986, pp.99-101, paras.188-190.において慣習国際法として存在すると認められ、さらには強行規範(jus cogens)として確立している22)See, e.g., Albrecht Randelzhofer/Oliver Dörr, “Article 2 (4)”; in Bruno Simma et al. (eds.), The Charter of the United Nations: A Commentary, Vol.I (Oxford University Press, 3rd ed., 2012), p.203: Christine Gray, International Law and the Use of Force (Oxford University Press, 4th ed., 2018), p.32.と評価されるように、国連憲章のみならず戦後国際法秩序の中核であることに疑いはない。また、同原則の違反については、分権的であった国際連盟の失敗を踏まえることで、違反の認定と制裁発動の決定を安保理に集中させ、「国際の平和および安全の主要な責任」を負わせた。このようにして、最終的には国連憲章によって、集団安全保障体制がより理念型に近い形で構築されることで、平和を基調とする現代の国際秩序は国際法秩序と同義となり、かかる国際法秩序においては、禁止された戦争・武力行使は国際(法)秩序に対する攻撃とみなされるため、国際法秩序は集団安全保障体制を機能させることによって、その攻撃から耐えることになる。¶014

もっとも、大国一致原則の採用──安保理常任理事国の拒否権の容認──に典型的にみられるように、国際連合が第二次世界大戦の連合国によって戦中に構想されたものであったという事実には注意を払う必要がある。つまり、安保理を中心とする集団安全保障体制自体が「第二次世界大戦の産物ないし落し子」23)内田久司「『拒否権』の起源」東京都立大学法学会雑誌5巻1号(1964年)162頁。であって、安保理の機能不全は集団安全保障体制の機能不全を招くというビルトインされた欠陥が存在する。この意味において、松井がイラク戦争(2003年)に即して述べたように、国連憲章体制下でも、常任理事国に関する限りは戦争決定の自由がなお維持されていると考えられるのである24)松井・前掲注7)28頁。。実際に、大国一致の原則が冷戦を背景に機能しなくなった結果、拒否権の行使による安保理の機能不全が度々生じた。もっとも、「平和のための結集決議」にみられるような国連総会による安保理の機能の補完という現象や、国連平和維持活動の創設のように、国連憲章に基づく国際法秩序が一定のレジリエンスを示してきたことは留意されるべきである25)この諸相については例えば次の文献を見よ。酒井啓亘「国際連合の下での国際秩序維持の諸相──国際行政・紛争処理・安全保障」世界法年報42号(2023年)58頁~86頁。¶015

また、国連における集団安全保障体制が依然として理念型から乖離しているということを措いても、以上のように国連憲章において武力行使禁止原則が確立したことで、同原則に違反する形での領域の取得も禁止された。これは国連憲章の用語に即せば「領土保全」(territorial integrity)と呼ばれるものであり、「国境不変更原則」26)国連憲章の起草過程において、米英両政府ともに国境線の変更は行われるべきではないという意味で領土保全を理解していたという。森肇志『自衛権の基層──国連憲章に至る歴史的展開』(東京大学出版会、2009年)229頁~230頁。とも呼び得るものである27)松井・前掲注7)39頁~40頁。Robert Kolb, International Law on the Maintenance of Peace: Jus Contra Bellum (Edward Elgar, 2019), p.346.。このように武力行使禁止原則の当然の帰結として力による現状の一方的変更が禁止されたことは、国連総会が採択した友好関係原則宣言(1970年)第1原則10項28)UN Doc. A/RES/2625(XXV), 24 October 1970. なお、この部分については「根本的な挑戦にさらされていない」と評価される。Olivier Corten, “The Prohibition of the Use of Force”; in Jorge E. Viñuales (ed.), The UN Friendly Relations Declaration at 50: An Assessment of the Fundamental Principles of International Law (Cambridge University Press, 2020), pp.52-53.や侵略の定義に関する決議(1974年)5条3項29)UN Doc. A/RES/3314(XXIX), 14 December 1974.等において確認されるのみならず、ICJもかかる禁止が慣習国際法として存在する旨を認定している30)Legal Consequences of the Construction of a Wall in the Occupied Palestinian Territory, Advisory Opinion, I.C.J. Reports 2004, p.171, para.87.¶016

Ⅳ 戦争による国際法秩序の攻撃に対する耐久──「制裁」としての集団的不承認

以上で確認された力による現状の一方的変更が生じた場合には、国連憲章における集団安全保障の本旨に照らせば、安保理がかかる事態を平和に対する脅威・平和の破壊・侵略行為のいずれかとして認定した上で、最終的には集団的な制裁の実施を決定することで、攻撃されている国際法秩序を守ることになる。ただし、露ウ戦争のように、かかる攻撃が安保理常任理事国によって企てられる場合には、拒否権の行使によって安保理が上記のような対応をとることは期待できない。¶017

それでは、このような場合に国際法秩序は破壊を待つほかないのだろうか。安保理の決定に基づく制裁以外にも、いわゆる第三国対抗措置を含む個別国家による経済制裁や国際機関からの除名処分・資格停止のような措置も想定されるところである。これらについては本特集の北村論文岡田論文によって扱われるため、本稿ではこれらとは区別される「制裁」31)本稿でいう「制裁」は、集団安全保障体制が想定するような強制力のある法的サンクションではなく、「社会規範の遵守・違反に対して、その規範の遵守を確保・促進する意図でもってされる一切の反作用」としての社会的サンクションを意味する。このようなサンクションの区別については次の文献を見よ。田中成明『現代法理学』(有斐閣、2011年)190頁~194頁。としての集団的不承認について言及しておきたい。¶018

集団的不承認とは、友好関係原則宣言において規定されるように、「武力による威嚇または武力の行使の結果生ずるいかなる領土取得も、合法的なものとして承認してはならない」という国家の義務であり、ローターパクト(Hersch Lauterpacht)の言葉を借りるならば、「不十分な形で組織化されているものの、遵法精神に富む共同体が不法な状態に対して提供し得る最低限の抵抗」32)Hersch Lauterpacht, Recognition in International Law (Cambridge University Press, 1947), p.431.である。このような不法状態への応答としての不承認は、一般国際法の強行規範として確立している義務に対する重大な違反の場合に各国が実施せねばならない法的義務として、国家責任条文においても規定されており(40条・41条2項)、とりわけ武力による領域の取得の場合については国際法の一般原則および国連の実行として十分に確立され、国家による違法行為に対して重要な「制裁」となり得るといわれる33)Jochen A. Frowein, “Non-Recognition”; in Rüdiger Wolfrum (dir.), Max Planck Encyclopedia of Public International Law, Vol.VII (Oxford University Press, 2012), paras.3, 8.¶019

クロフォード(James Crawford)によれば、かかる不承認義務はいわゆる「スティムソン・ドクトリン」に起源を有するものとして説明される34)James Crawford, The International Law Commission’s Articles on State Responsibility: Introduction, Text and Commentaries (Cambridge University Press, 2002), p.250.。国連憲章は2条4項において武力行使禁止原則の中に領土保全の尊重を包含しているが、国際連盟規約においては、領土保全の尊重と侵略からのその擁護は10条において規定されるものであった。そしてこの10条に違反する形での国家創設が争点になった事例が、1930年代に国際秩序の破壊者となった日本による満州事変である。1931年9月の関東軍による柳条湖における南満州鉄道の爆破に端を発する満州事変に対して、国務長官スティムソン(Henry Lewis Stimson)の名で発出された米国声明(1932年1月7日)は、不戦条約上の義務に違反する状態を承認しないと述べていた35)“The Secretary of State to the Ambassador in Japan (Forbes)”; in Joseph V. Fuller (ed.), Papers Relating to the Foreign Relations of the United States, Japan, 1931-1941, Vol.I (United States Government Printing Office, 1943), p.76. See also, David Turns, “The Stimson Doctrine of Non-Recognition: Its Historical Genesis and Influence on Contemporary International Law”, Chinese Journal of International Law, Vol.2 No.1 (2003), pp.105-143.。連盟理事会も、その後の日本による満州国建設に際して、満州国建設が連盟規約10条に違反しており、その不承認は連盟国の義務であると宣言する決議を全会一致で採択している36)League of Nations Official Journal, 1932, Special Supplement, No.101, pp.87-88. その後、連盟総会の委託を受けた19人委員会が用意した勧告案は、満州国の法上・事実上の存在を否定し、条約への加盟の阻止を総会に答申するものであった。¶020

このような武力による領域取得への応答としての集団的不承認の実行は満州事変以降の国際連盟、そして国際連合においても確認されるものであり37)櫻井利江「国際機構と国家承認──国連による国家不承認をめぐる事例を素材として」柳原正治編『国際社会の組織化と法──内田久司先生古稀記念論文集』(信山社、1996年)124頁~132頁。Théodore Christakis, “L’obligation de non-reconnaissance des situations créées par le recours illicite à la force ou d’autres actes enfreignant des règles fondamentales”; in Christian Tomuschat/Jean-Marc Thouvenin (eds.), The Fundamental Rules of the International Legal Order (Brill, 2006), pp.135-144.、国際法違反への「制裁」として理解することができる。もっとも、満州事変は最終的に国際連盟の枠内で解決されることはなく、日本は連盟から脱退する道を選んだ。日本の国際連盟脱退を集団的不承認という「制裁」の帰結として捉えるならば、国際連盟規約と不戦条約によって構築された国際法秩序は、秩序の破壊者たる日本が排除されることでたしかに「耐え」たのかもしれない。しかしながら、このような法秩序の耐久が一時的なものであったことは、その後の日本による侵略戦争とそれに伴う法秩序の攻撃・破壊からも明らかなところであり、日本が集団安全保障体制の外に出たという事実は、同体制の本旨に照らすと望ましくない結果であったことは留意されねばならない。¶021

Ⅴ 露ウ戦争と国際法秩序──耐久とレジリエンス

国連憲章成立以来のソ連・ロシアによる他国領域における武力行使の事案を精査した阿部によれば、ロシアは自らの勢力圏の維持と旧ソ連諸国に残存するロシア系住民の保護のために武力を行使してきたのであり、この正当化のために武力行使禁止原則に対する例外の拡張を目指してきたという。同時に、このような例外の拡張はロシアだけではなく、他の安保理常任理事国によってもなされてきたと指摘する38)阿部達也「ロシアの武力行使──jus ad bellumの観点から」浅田 = 玉田編著・前掲注9)53頁~54頁。。かかる指摘に対して、西側諸国のこれまでの「違反事例」は外国領土の武力による併合を禁止する規範に対するコミットメントを示すものであったが、ロシアはかかる規範を攻撃しているため、露ウ戦争は特異であるとも主張される39)Ingrid (Wuerth) Brunk/Monica Hakimi, “Russia, Ukraine, and the Future World Order”, American Journal of International Law, Vol.116 No.4 (2022), pp.689-691.¶022

いずれにせよ、1945年に新たに創造された国際法秩序は露ウ戦争によって初めて挑戦されたというわけでは決してなく、武力行使禁止原則を中核とする現代国際法秩序が挑戦を受け続けてきたことは否定できない40)Alain Pellet, “War in Ukraine: Mutation or Resilience of the Principles of the United Nations Charter?”, Revue Européenne du Droit, t.5 (2023), pp.83-86.。露ウ戦争において顕著であり、2003年のイラク戦争においてもそうであったように、常任理事国が一方的に武力を行使する場合には、集団安全保障体制の本旨に照らせば、それは国連憲章2条4項違反を意味するのみならず、「現代国際法とそれに基礎をおく現存の世界秩序の総体に対する挑戦」41)松井・前掲注7)30頁。としての性格を有することになる。¶023

それでは、国際社会はこのような「世界秩序の総体に対する挑戦」にどのように対応してきたのだろうか。まず、「Ⅰ はじめに」で言及した決議から理解されるように、緊急特別総会におけるロシア非難決議の(圧倒的多数の国の賛成を伴う)採択を通して、武力行使禁止原則の規範的重要性が再確認されていることは疑いない42)川岸伸「ウクライナ侵攻と武力行使の禁止」法教509号(2023年)19頁、黒﨑将広「ウクライナ侵攻と国際法秩序の行方──『平和のための結集』は国際社会全体の共通利益の法制度化を促すか」安全保障研究4巻2号(2022年)79頁~80頁。。集団的不承認については、2014年のクリミア併合の際にも問題となり43)See, e.g., Enrico Milano, ‘The Non-Recognition of Russia’s Annexation of Crimea: Three Different Legal Approaches and One Unanswered Question”, Questions of International Law, Vol.1 (2014), pp.35-55. なお、次も参照。深町朋子「ロシアと領土問題──違法な領域取得の不承認をめぐって」論ジュリ30号(2019年)44頁~50頁。、同年3月27日に100か国の賛成を以って採択された総会決議44)UN Doc. A/RES/68/262, 27 March 2014.は、すべての加盟国、国際機関および国連専門機関に対して、武力の行使や威嚇によるウクライナの国境線の変更、クリミア半島の地位変更の不承認を要請するものであった(6項)。露ウ戦争においても、2022年9月の「住民投票」に基づくウクライナ南部の州の独立を受けて、同年10月12日に採択された総会決議45)UN Doc. A/RES/ES-11/4, 12 October 2022.は、その前文において、「武力による威嚇または武力の行使の結果生ずるいかなる領土取得も、合法的なものとして承認してはならない」(2項)として、その慣習法性を確認した上で、不承認を要請している(4項)。¶024

なお、このように不承認の要請が国連総会決議によってなされることの意味については、国連総会決議の法的効果に即して、総会決議に基づく不承認は国家に対する義務を課すものではないという見解もあるが、国家責任条文の規定に即して、強行規範の重大な違反が生じたときに不承認義務は生じ、不承認を要請する文書の法的性質に拘わらず、各国はかかる義務を負うと考えられよう46)Stephan Talmon, “The Duty Not to ‘Recognize as Lawful’ a Situation Created by the Illegal Use of Force or Other Serious Breaches of a Jus Cogens Obligation: An Obligation without Real Substance?”; in Tomuschat/Thouvenin (eds.), supra note 37), pp.121-122. なお、露ウ戦争に関連する国家実行として、侵攻直前の2022年2月22日に、ウクライナ東部2州のロシアによる国家承認を「重大な国際法違反」と非難したドイツが、「ノルドストリーム2」の承認手続を停止したという措置をかかる義務の履行の実践と評価するものもある。Diane Desierto, “Non-Recognition”, EJIL: Talk! (22 February 2022). なお、本稿が参照する電子資料の最終閲覧日はすべて2023年6月8日である。¶025

以上のような応答に加えて、2022年4月26日に拒否権行使の際の事実上の説明責任を課す決議47)UN Doc. A/RES/76/262, 26 April 2022.が総会において採択されたことも注目に値する。総会の行動によって常任理事国の拒否権行使を抑制することを目指した本決議については、採択後3か月に満たない期間において拒否権が2度行使されたことから、その実効性を疑う声もあるが、安保理の説明責任を少しばかりでも高めたという意味で「小さな一歩」として評価するものもある48)松井芳郎「多国間主義の危機──ウクライナ侵略と国際社会の進路」世界959号(2022年)184頁。See also, Anne Peters, “The War in Ukraine and the Curtailment of the Veto in the Security Council”, Revue Européenne du Droit, t.5 (2023), pp.87-93.。この実効性については今後の運用次第であるものの、同種の提案が過去に挫折してきた49)See, e.g., UN Doc. A/66/L.42/Rev.1, 3 May 2012. この点については次の論稿も見よ。坂元茂樹「ロシアのウクライナ侵攻と国際法」国際情報ネットワーク分析IINA(笹川平和財団)(2022年4月8日)ことを想起するならば、露ウ戦争の中で国際法秩序が一定のレジリエンスを示したことは積極的に評価できるだろう。¶026

Ⅵ 結びに代えて──国際法秩序のアップデートのために

露ウ戦争という武力行使禁止原則の明確な違反事例に対して、同原則を核とする現在の国際法秩序は、ビルトインされた制度的欠陥によって自らが理想とする集団安全保障を実現できずにいるものの、集団的不承認を含む各種の制裁が機能し、法秩序に対する攻撃に応答しているという意味で、現時点では「耐え」ているといえる。しかしながら、満州事変とその後の対応において確認されたように、現時点での法秩序の耐久は近い将来におけるその破壊に至る道程であるかもしれず、その意味では予断を許さない状況である。¶027

今後の展開をここで予測することは不可能であるが、ひとつ指摘し得るのは、西側諸国の間のみで「ルールに基づく国際秩序」がより浸透し強化されるだけでは、国際秩序の再構築のための根本的な解決とはならない、ということである50)細谷雄一「国際秩序の再構築と地域的協調の模索」公明206号(2023年)20頁~21頁。。「Ⅰ はじめに」で言及したように、露ウ戦争に対する西側諸国の応答において、武力行使禁止原則が「ルールに基づく国際秩序」と関連づけられて復唱され、かかる国際秩序の擁護が強調されてきた。しかしながら、ロシアの行動を非難する際に、武力行使禁止原則という現代国際法秩序の中核的規範のみに依拠しないことで、かかる非難は「ルールに基づく国際秩序」の欺瞞性という問題へとすり替えられ、自国の行動の正当化のために過去の西側諸国による同原則違反を追及するという“whataboutism”を可能とさせていることも事実である51)この典型例が、2023年1月に安保理議長国の日本のイニシアティブで開催された「国家間の法の支配」についての閣僚級公開討論におけるロシアの発言である。そこでは、NATOによるユーゴ空爆(1999年)やイラク戦争(2003年)こそが「ルールに基づく国際秩序」の欺瞞を示すものであり、かかる秩序は国連憲章に規定される諸原則とは似て非なるもので、これら諸原則こそが「ルールに基づく国際秩序」に優位すると述べられていた。UN Doc. S/PV.9241, 12 January 2023, pp.21-23.。そのため、“whataboutism”を真剣に否定するためには、ロシアが明白に違反している国際法規範──国連憲章2条4項──それ自体に依拠してロシアを非難することが肝要であり、同時に、西側諸国の同原則に対する過去の姿勢を省みることが求められているといえよう52)この意味において、米国のトーマス=グリーンフィールド(Linda Thomas-Greenfield)国連大使が2022年9月8日にサンフランシスコで行った講演の中で、米国自身が国連憲章の諸原則に必ずしも忠実でなかったこともあったと認めた上で、今後のコミットメントの継続を表明したことは注目される。本講演については次を参照。野々村・前掲注3)50頁注12。¶028