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Ⅰ 共存パッケージの前史──米国が主導した国際課税の「協調の体系」

1 「国際課税」の誕生

多国籍企業は世界中でビジネスを行う。その起源はスペイン・ポルトガルの海外進出をはじめとする近代世界システムの成立に求められ1)、東インド会社がその代表といえようが2)、現代につながる組織的・体系的な多国籍企業の世界進出の嚆矢を第一次世界大戦後の米国企業に求めることも誤りではなかろう。1920年代以降、フォード、ゼネラル・モーターズ(GM)、ゼネラル・エレクトリック(GE)のような米国製造企業は圧倒的な生産力を有し、欧州、南米のほか3)、日本やアジア諸国にも進出した4)。国際連盟においてモデル租税条約が策定された背景には、これらの米国企業が進出先で課税問題に直面し、国際的二重課税の解消が米国製造企業の利益に適合していたことがある5)。1920年代以降の国際連盟における租税条約に関する検討において、米国のセリグマン教授が二重課税問題に取り組み、米国のアダムズ教授の源泉地国課税と居住地国課税という区分が影響を及ぼし、また、キャロル米国代表の国際連盟報告書(1933年)が「20世紀中盤以降の国際課税に関する議論の出発点」とも言いうるのも故なしとしない6)。それ以来、米国は国際課税制度設計の中心にあり続けている。¶001