1985年8月9日、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)が、内閣総理大臣とその他の国務大臣の靖国神社参拝に関する報告書を、内閣官房長官に対して提出した。その後、8月15日には、中曽根康弘首相と閣僚が「公式参拝」を行った。靖国神社公式参拝事件である。
事件当時と比べると、近年、閣僚の靖国神社参拝そのものは、憲法問題として、大きく話題になることはない。論じられるのも、外交問題の切り口からであろう。しかし、政党状況は流動的であるし、そもそも問題の構造が変わったようにも思われない。現在も教室で学ばれる津地鎮祭事件や忠魂碑事件は、一般に、靖国神社問題をめぐる抗争の中に位置づけられてきた。戦後の重要な法律事件の1つにも数えられている(浦部法穂「靖国神社公式参拝」ジュリ900号〔1988年〕282頁以下)。過去の議論を改めてタイムラインで整理することには、学習上、価値が認められるであろう。
それに加えて、本記事では、上記の靖国懇に構成員として加わった横井大三の視点を採用することを試みたい。
横井は、戦前には裁判官であったが、戦後は検察官となって、司法省で刑事訴訟法の制定に関与し、その後、東京地検・高検・最高検の公判部長として活動した。憲法事件としては、尊属殺重罰規定事件(
最大判昭和48・4・4刑集27巻3号265頁
)、猿払事件(
最大判昭和49・11・6刑集28巻9号393頁
)に最高検公判部長として関わった。仙台・名古屋高検検事長を経て、1978年9月22日から1984年6月10日まで、最高裁判事を務めている。
横井については、靖国懇で、津地鎮祭事件最高裁判決から公式参拝が可能であるとの結論が導かれることに疑念を表明し、合憲論・違憲論の両論併記を目指す芦󠄀部信喜を積極的に支持したことが知られてきた。懇談会で述べた自身の意見が後に推測されることを想定して書かれた感想も存在する(「『報告書』を再読しての感想」ジュリ848号〔1985年〕45頁以下)。
しかし、横井が公式参拝について何を懸念したのか、その根拠が何なのかについては、整理されることが恐らくなかったように思われる。本記事では、タイムラインを描くことを通じて、この欠を補うことも目指したい。
タイムラインの内容を先取りしていえば、横井は、一貫した視点で問題を論じ、意見表明を続けたといってよいと思われる。
他方で、横井は、自身が繰り返しそう述べるように、靖国問題の専門家でも憲法の専門家でもない。あくまで法律実務家として発言した。その視点が、まったく独自のものだというわけでもない(後のものであるが、三土修平『靖国問題の原点〔増訂版〕』〔日本評論社、2013年〕等)。何よりも、佐藤功が持っていた視点でもあった。また、靖国懇の事務局が準備した資料から自然と導き出された視点だということもできないではない。
ただ、この問題は、イデオロギー的な対立に絡み取られやすいものであり、まずは穏健な法律家の視点を再現することで整理し直すことは有用なように思われる。本記事は、タイムラインを作ることを通じて、それを試みるものである。