本事件の経緯について
本事件の経緯については、香川県ウェブページ「豊島問題」、豊島・島の学校ウェブページ(NPO法人瀬戸内オリーブ基金、廃棄物対策豊島住民会議、豊島応援団〔旧豊島弁護団〕が協力・制作したウェブサイト)、公害等調整委員会ウェブページ掲載の本件報告書(「豊島産業廃棄物水質汚濁被害等調停申請事件(平成5年(調)第4号・第5号・平成8年(調)第3号事件)」)及び同事件の年表、大川真郎『豊島産業廃棄物不法投棄事件』(日本評論社、2001年)、南博方=西村淑子「豊島産業廃棄物事件の概要と経過」判タ961号(1998年)35頁、南博方「豊島産業廃棄物調停の成立と意義」ジュリ1184号(2000年)64頁を参照した。
1975年(昭和50年)
本件産業廃棄物不法投棄現場(以下「本件処分地」という)は、豊島総合観光開発株式会社(以下「豊島開発」という)の一族の所有地で、元々良質の山砂が取れた土地であった。山砂の採取を終えた1975年、豊島開発は産業廃棄物処理業の許可申請を行った。
1977年(昭和52年)
6月、豊島住民584人が豊島開発を被告として、産業廃棄物処分場の建設・操業の差止を求め、高松地裁に提訴。
9月、豊島開発は無害物によるミミズ養殖に申請を変更。
1978年(昭和53年)
2月、香川県は、産業廃棄物処理業の種類を収集業・運搬業・処分(ミミズの養殖を通じた土壌改良剤化処分に限る)業とし、取り扱う産業廃棄物の種類を汚泥、木くず、家畜のふんに限定し、産業廃棄物処理業の許可(廃棄物の処理及び清掃に関する法律〔以下「廃棄物処理法」という〕14条1項)を行った。
10月、高松地裁で、豊島開発と住民との間で訴訟上の和解が成立した。
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1983年(昭和58年)
1月、豊島開発はミミズの養殖を断念し、1月に香川県公安委員会より、金属くず商の許可(香川県金属くず取扱業に関する条例3条1項〔当時〕)を得た。金属くず商の許可を得た豊島開発は、自動車のシュレッダーダスト等の産業廃棄物を金属回収と称して処分地に搬入し、廃油をかけて野焼きし、燃えかすを埋め立てた。
1984年(昭和59年)
6月、住民から提出された公開質問状に対し、香川県は、当時の廃棄物の定義に関する解釈(「廃棄物とは、占有者が自ら、利用し、又は他人に有償で売却することができないために不要になった物をいい、これらに該当するか否かは、占有者の意思、その性状等を総合的に勘案すべきものであつて、排出された時点で客観的に廃棄物として観念できるものではない」〔厚生省環境衛生局環境整備課長通知「廃棄物の処理及び清掃に関する法律の運用に伴う留意事項について」(昭和46・10・25環整45号)〕)に基づき、シュレッダーダストは「有価物」であって「廃棄物」には該当せず、また、野焼きについては、県の公害防止条例には罰則がないため指導するしかないと回答し、行政による対応には限界があることを強調した。
1990年(平成2年)
11月、兵庫県警が本件処分地を強制捜査し、豊島開発を廃棄物処理法に違反する容疑があるとして摘発した。兵庫県警による摘発後、香川県も現地調査を実施したところ、本件処分地から大量の有害物質が検出された。
12月、香川県は、現地調査の後、従来シュレッダーダストを「有価物」としていた見解を「廃棄物」へと転換した。
同月、香川県は豊島開発に対し、産業廃棄物処理業の許可を取り消すとともに、産業廃棄物撤去等の措置命令(第1次措置命令)を行った。
当時の豊島処分地
大量の不法投棄物
1991年(平成3年)
1月、兵庫県警が豊島開発の経営者等を逮捕した。
7月、神戸地裁姫路支部が豊島開発及び経営者等に有罪判決(豊島開発:罰金50万円、実質的経営者:懲役10月・執行猶予5年)を言い渡し、8月に同判決が確定した。
10月、廃棄物処理法の抜本改正(廃棄物処理施設の設置について許可制の導入等)。
1993年(平成5年)
11月、豊島住民総勢438名(後日111名追加)が、豊島開発、経営者、香川県、香川県担当2職員、豊島開発に廃棄物の処分を委託していた排出事業者21社を相手方として公害調停を申請した。また、同月に、香川県は、豊島開発に対し、鉛直止水壁の施工及び雨水排水施設設置を命ずる措置命令(廃棄物処理法19条の4第1項)(第2次措置命令)を行った。
12月、香川県は国の公調委に公害調停の申請書類を移送し、公調委は申請を受理した(平成5年(調)第4号・第5号。なお、被申請人となった排出事業者の所在地が福井県、大阪府、兵庫県、鳥取県、岡山県、愛媛県、香川県に及び、県際事件〔公害紛争24条1項3号〕に該当することから、香川県知事は当初、これら関係府県知事と連合審査会の設置について協議したが〔同27条3項〕、協議が調わなかったため、同条5項に基づき公調委に申請書類の送付を行うことになったという経緯がある)。
1994年(平成6年)
1月、公調委の調停委員会による調停手続が開始。
7月、公調委の調停委員会は第4回調停期日において、本件を解決するためには科学技術的調査が必要不可欠と判断した。
8月、公調委の調停委員会は、廃棄物や地下水汚染を専門とする大学教授、研究者3名を専門委員に任命(平成11年法律第102号による改正前の公害等調整委員会設置法18条)。
12月、大規模な現地実態調査(国が2億3600万円の費用を支出)が翌年(1995年〔平成7年〕)3月まで実施された。
国費による調査の調査地点位置図
1995年(平成7年)
10月、公調委の調停委員会は第5回調停期日において、現地実態調査結果に基づき7つの対策案を提示した。なお、現地調査の結果、廃棄物の総量は48万m³と推定され、鉛やトリクロロエチレン等が基準を大きく上回っていることが確認されたほか、猛毒のダイオキシンも高濃度で検出された。
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1996年(平成8年)
2月、豊島住民が、豊島開発が1978年の訴訟上の和解に違反しているとして、和解違反に係る損害賠償請求訴訟を高松地裁に提訴した。
12月、高松地裁は、豊島開発に慰謝料の支払いと廃棄物の撤去を命じる判決を下し、豊島住民が勝訴した。
1997年(平成9年)
1月、第14回調停期日において、香川県は、それまで主張していた第7案(廃棄物を処分地に閉じ込める内容。1995年の解説を参照)を撤回し、廃棄物を溶融処理する中間処理方針を表明した。同時に、香川県は住民に対し、「遺憾」の意を初めて表明した。
2月、第15回調停期日において、公調委の調停委員会は、排出事業者に対する責任追及を開始(調停委員会は、第1回調停期日において、排出事業者に対する手続を分離し、その期日を追って指定するとしたまま、住民と県の間の調停を進めてきた経緯がある)。
同月、豊島住民が岡山地裁に、豊島開発及び経営者の破産申立てを行う。
3月、岡山地裁は豊島開発及び経営者に対して破産宣告を行う。
6月、廃棄物処理法の抜本改正(廃棄物処理施設の設置をめぐり地域での紛争が多発している状況を踏まえた、地域ごとの生活環境の保全への配慮を組み込んだ施設の設置手続の導入等)。
7月、豊島住民と香川県との間で中間合意が成立し、中間合意に定められていた香川県豊島廃棄物等処理技術検討委員会(以下「技術検討委員会」という)が設置された。
12月、住民と3排出事業者との間で最初の調停が成立した。その後、他の事業者とも合意が成立し、最終的には、2000年(平成12年)1月までに19排出事業者と調停が成立した。
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1998年(平成10年)
8月、技術検討委員会が「暫定的な環境保全措置に関する事項」報告書及び「中間処理施設の整備に関する事項」報告書を提出した。
1999年(平成11年)
1月、豊島3自治会が破産管財人から本件処分地を約1600万円で取得した。
5月、技術検討委員会が「第2次香川県豊島廃棄物等処理技術検討委員会最終報告書」を提出した。
8月、香川県知事が記者会見で、中間処理施設を、(豊島ではなく)直島の三菱マテリアル製錬所内に建設することを発表した。
11月、技術検討委員会が「第3次香川県豊島廃棄物等処理技術検討委員会最終報告書」を提出した。
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2000年(平成12年)
3月、直島町長が香川県の提案受入れ(中間処理の受入れ)を表明した。
6月、臨時県議会において、調停条項案が議決された。同時に、直島町における風評被害対策条例が議決された。
同月6日、豊島で開催された最終調停期日(第37回調停期日)において、豊島住民と香川県との間で公害調停が成立した。また、その後、調停条項に基づき、豊島廃棄物等技術委員会(豊島廃棄物等処理技術検討委員会に引き続き、中立的な立場からの技術的検討を継続)が設置された。なお、1996年(平成8年)に申請人らのうち5名が、国を被申請人として、本件廃棄物及び汚染土壌の撤去を求める調停申請を追加申請していた(平成8年(調)第3号)が、最終調停期日に取り下げられ、香川県職員2名に対する調停申請も、最終調停期日に先立つ5月29日に取り下げられ、残る排出事業者2社及び豊島観光等については、最終調停期日に調停を打ち切り、本件は全面的に終結するに至った。
8月、調停条項6(3)に定められていた豊島廃棄物処理協議会(豊島住民らと香川県とが廃棄物処理事業について協議することを目的として設置)が発足した。
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2002年(平成14年)
3月、本件処分地の暫定的な環境保全措置工事完了。
2003年(平成15年)
6月、廃棄物処理法の改正(廃棄物であることの疑いがあるものの処理について立入検査ができることとされるなど)、産廃特措法の制定(不法投棄等が行われた廃棄物に起因する支障について、都道府県等がその除去を行う際の国の支援措置を規定した法律。10年間の時限立法として制定された〔有効期限2013年(平成25年)3月末まで〕)。
9月、直島(三菱マテリアル直島製錬所内)に中間処理施設が完成し、豊島廃棄物等処理事業稼働式が行われた(本格処理の開始)。また、豊島廃棄物の無害化処理事業の実施を管理するために、香川県により、豊島廃棄物等管理委員会の設置が行われた。
12月、産廃特措法4条4項の規定に基づき、香川県が作成した「豊島廃棄物等の処理にかかる実施計画案」について、環境大臣の同意が行われる(事業期間2003年度~2012年度)。これにより、豊島の廃棄物処理が、国費による支援の下で実施できるようになった。
2004年(平成16年)
3月、豊島廃棄物等技術委員会が活動を終了し、豊島廃棄物等管理委員会が発足した。
2011年(平成23年)
9月、処理対象量の大幅な見直しが行われた(66万8000t→90万5000t)。
2012年(平成24年)
8月、産廃特措法の改正(法の有効期限〔2013年3月末〕が2023年3月末まで10年間延長された)。
2013年(平成25年)
1月、産廃特措法に基づく環境大臣の変更同意がなされた(事業期間の延長。2013年度~2022年〔令和4年〕度)。
2017年(平成29年)
3月、約91万tに及ぶ廃棄物等の搬出が完了した。
6月、直島での廃棄物等の処理の完了。
7月、廃棄物等搬出終了後の豊島地下水・雨水の管理や対策、また直島中間処理施設及び豊島内施設の管理、施設撤去に関する計画策定と実施などを行うために、香川県が豊島廃棄物等処理事業フォローアップ委員会を設置した。
2018年(平成30年)
1・2月、地下水浄化対策の実施の際に、廃棄物(約115t)が見つかる。
2019年(平成31年・令和元年)
3月、中間処理施設の一部解体及び三菱マテリアル株式会社への無償譲渡完了。
7月、2018年1月以降に新たに見つかった廃棄物の搬出・処理が完了。
2021年(令和3年)
7月、本件処分地の地下水・雨水等対策検討会において、処分地内全域での排水基準達成を確認。
2022年(令和4年)
3月、遮水壁の引抜きの完了(遮水機能の解除完了)。
2023年(令和5年)
3月、産廃特措法に基づく「豊島廃棄物等の処理に係る実施計画」の完了。
同月、産廃特措法の失効。