はじめに──本記事の目的
砂川政教分離訴訟は、社寺領をめぐる明治初期以来の長い歴史の流れの先に位置するものである。特に、無償で社寺等の敷地に提供される状態が続いていた国有地については「社寺などに無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律(昭和22年法律第53号:以下、「新処分法」という)、公有地については内務文部次官通牒に基づいて、譲与等の処分が進められてきたことが重要である。本記事は、新処分法及びそれに基づく処分が、砂川政教分離訴訟とどのように関係しているのかを、タイムラインに沿って子細に示していきたい。それを通じて、新処分法が提供した「思考枠組み」は、砂川政教分離訴訟における最高裁の判断にどのような影響を与えているのかを考察する。また、本訴訟で問題となった土地がたどった経緯をタイムライン上で整理することによって、最高裁がいかなる経緯を重視したのかを確かめていきたい。もっと読む
1871(明治4)年1月5日──上知令発布
明治政府は、社寺領上知(地)の太政官布告を発し、現在の境内地外の朱印地、除地等を上知させた。もっと読む
1873(明治6)年7月28日──地租改正条例公布
地租改正条例に基づき、土地所有者を確定し、その所有者に地券を交付し、全国統一的に決定された地価に応じた地租を徴収する事業が施行された。もっと読む
1874(明治7)年11月7日──改正地所名称区別発布
官国幣社、府県社及び民有にあらざる社地(神地)は官有地第1種に、寺院等民有地にあらざるものは官有地第4種に定められた。もっと読む
1875(明治8)年6月29日──社寺境内外区画取調規則制定
なお上知が完全に進んでいないところもあったため、社寺境内外区画取調規則において、「社寺境内ノ儀ハ祭典法用ニ必需之場所ヲ区画シ更ニ新境内ト定其余悉皆上地之積取調ヘキ事」と定められた。もっと読む
1889(明治22)年2月11日──大日本帝国憲法発布
大日本帝国憲法により信教の自由が保障される。もっと読む
1892(明治25)年ごろ──S神社の祠建立
S地区の住民らが、五穀豊穣を祈願して、現在の市立S小学校の所在地付近に祠を建てた。〔空知太〕
S神社の起源となる祠が、公有地上に建立された。
1894(明治27)年──T神社の祠建立
T地区に存在したT各部落会(「T町内会」の前身)が実質的に所有する本件各T土地(私有地)上に、T地区らの住民らが、五穀豊穣を祈願して大国主命を祭神とする小祠を建立した。〔富平〕もっと読む
1897(明治30)年──S神社の施設建立
S神社の施設が建立された。〔空知太〕
地元住民らが、神社創設発願者として、現在のS小学校所在地付近の3120坪の土地について、北海道庁に土地御貸下願を提出して認められ、同所に神社の施設を建立した。また、同施設に天照大神の分霊が祀られて鎮座祭が行われた。もっと読む
1903(明治36)年5月5日──S小学校建設
S神社の施設に隣接してS小学校が建設された。〔空知太〕
1921(大正10)年──旧国有財産法制定
旧国有財産法が制定された。もっと読む
1935(昭和10)年──T神社が公有地上に
市が、T各部落会から本件各T土地上にT小学校の教員住宅を建設してほしいとの要望を受け、本件各T土地の寄附及び所有権移転登記を受けて同住宅を建設した。〔富平〕
T神社は公有地上に存在することになった。大日本帝国憲法下、日本国憲法制定前の出来事であるため、T土地の寄附が政教分離原則との関係で問題となることはない。もっと読む
1939(昭和14)年3月──「寺院等ニ無償ニテ貸付シアル国有財産ノ処分ニ関スル法律」(旧処分法)成立、「宗教団体法」成立
明治初期の上知によって国有化された社寺領地について、社寺等は、元来、その沿革等から社寺の所有地であるから、当然無償で下げ戻すべきものであるとの要求を行ってきた。政府も、寺院、仏堂の財産管理の方法を確立して適当にこれを解決するという方針を立て、1927(昭和2)年以来、法律案を提出していたところ、1939(昭和14)年3月、旧処分法が成立した。もっと読む
1945(昭和20)年12月15日──神道指令発出
神道指令が発出される。もっと読む
1946(昭和21)年11月3日──日本国憲法公布
日本国憲法において信教の自由及び政教分離原則が定められた。国有地を神社の境内地とすることについては、当時の学説においても憲法89条前段との関係で禁止される例として挙げられていた。もっと読む
1947(昭和22)年4月12日──新処分法成立
国有地につき「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」(新処分法)が公布される。もっと読む
1947(昭和22)年10月10日──大蔵省国有財産局長通牒発出
新処分法の運用方針を定めた大蔵省国有財産局長通牒が発出される。
1 新処分法の立法趣旨
新処分法の立法趣旨については、旧処分法との対比において、旧処分法は宗教保護を目的とし、新処分法は政教分離を目的としているものとの説明がなされていた。また、内務文部次官通牒においては、それが憲法89条の政教分離原則によって必要な措置である旨が明記されている。
2 新処分法の合憲性が争われた最高裁判例
新処分法の合憲性が争われた判例として、以下の2件がある。
・大蓮寺事件判決(最大判昭和33・12・24民集12巻16号3352頁
)
・富士山頂譲与事件判決(最判昭和49・4・9判時740号42頁
)
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1948(昭和23)年ごろ──S神社が私有地上に
住民Aが敷地を提供し、S神社の施設が新設された。〔空知太〕
校舎増設及び体育館新設の計画が立てられ、その敷地として隣地であるS土地を使用することになったため、上記土地から神社の施設を移転する必要が生じた。そこで、S地区の住民であるAが、上記計画に協力するため、その所有する土地1及び4を同施設の移転先敷地として提供した。同施設は、そのころ、同土地に新設された。
住民Aの敷地の提供により、S神社が私有地上に存在することになった。もっと読む
1953(昭和28)年──S神社が公有地上に
Aからの寄附に基づき、町が同土地の所有権を取得した。〔空知太〕
Aは、本件土地1及び4に係る固定資産税の負担を解消するため、砂川町(昭和33年の市制施行により市となる)に、同土地の寄附願出をした。町議会において同土地の採納の議決及び同土地を祠等の施設のために無償で使用させるとの議決をした。3月29日、町は、Aからの寄附に基づき、その所有権を取得した。ここで再び、S神社が公有地上に存在することになる。本件利用提供行為が開始した時点である。もっと読む
1967(昭和42)年7月24日──大蔵省国有財産局長通達発出
「社寺境内地等として使用されている普通財産の処理について」と題する通達を大蔵省国有財産局長が発出する。
新処分法に基づく譲与等の申請期間経過後も、少なからぬ国有財産が境内地等として使用される実態が残ったため、大蔵省国有財産局長は、処理の促進を図るため、売払い、貸付け、管理委託、処理留保による処理を図るよう各財務局長に指示した。もっと読む
1970(昭和45)年──S町内会集会場新築
S町内会が地域の集会場を新築し、その一角に本件祠が移設されるとともに本件鳥居が新設された。〔空知太〕
S町内会(当時の名称はS部落連合会)は、市から補助金の交付を受けて、本件S土地上に地域の集会場として本件建物を新築した。これに伴い、本件S町内会は、市から本件土地1及び4に加えて本件土地3(同土地は同年9月に地元住民であるCらから市に寄附された)を、北海土地改良区(以下「改良区」という)から本件土地2及び5を、いずれも本件建物の敷地として無償で借用した。そして、建物の増築に伴い、本件土地1及び4上にあった従前の本件神社の施設は、本件祠及び地神宮を除き取り壊され、建物内の一角に祠が移設され、本件土地1上に本件鳥居が新設された。もっと読む
1994(平成6)年1月17日──改良区からの土地の買い受け
市は、改良区から、本件土地2及び5を買い受けた。〔空知太〕 もっと読む
2004(平成16)年2月16日──空知太住民監査請求結果の通知
空知太住民監査請求の結果、請求には理由がないとされた。
2004(平成16)年3月17日──空知太神社訴訟提起
空知太神社訴訟が提起された。
2004(平成16)年11月22日──富平住民監査請求結果の通知
富平住民監査請求の結果、請求には理由がないとされた。
監査請求では、政教分離違反は認められないとしたが、市有地上に神社の祠が存在し祭事に利用されていることは、一部市民に不審を抱かせるものであるから、従前の経緯を考慮し、本件各T土地をT地区住民に譲与するなどの方策を講ずる必要があると考える旨の意見が付記された。
2005(平成17)年4月15日──T神社につき本件譲与
砂川市が、本件各T土地をT町内会に譲与し、同日付贈与を原因として、所有権移転登記手続をした。〔富平〕
市は、市有地が神社の敷地となっている状態を解消するため、T町内会と協議した上、譲与についての市議会の議決を経て、地縁団体の認可を受けたT町内会に対し本件譲与を行った。もっと読む
2005(平成17)年6月23日──富平神社訴訟
富平神社訴訟が提起された。
2006(平成18)年3月3日
空知太神社訴訟札幌地裁判決。
2006(平成18)年3月15日
空知太神社訴訟、札幌高裁へ控訴。
2006(平成18)年11月30日
富平神社訴訟札幌地裁判決。
2006(平成18)年12月1日
富平神社訴訟、札幌高裁へ控訴。
2007(平成19)年6月26日
空知太神社訴訟札幌高裁判決。
2007(平成19)年7月9日
空知太神社訴訟、最高裁へ上告。
2007(平成19)年8月30日
富平神社訴訟札幌高裁判決。もっと読む
2007(平成19)年9月11日
富平神社訴訟、最高裁へ上告。
2010(平成22)年1月20日
空知太神社訴訟・富平神社訴訟、最高裁判決。
2010(平成22)年1月22日
市の担当者が氏子総代長Dと面談し、意見の取りまとめを依頼した。〔空知太〕
市の担当者は当時の第1町内会の会長であり本件S町内会の会長も務めたことのあるDに対し、市としては上記判決によって示された方法により解決を図りたい旨を申し入れるとともに、地域としての意見の取りまとめを依頼した。
2010(平成22)年3月19日
氏子総代長Dと市の担当者が、違憲状態解消のための方法について協議した。〔空知太〕
Dは、市の担当者に対し、神社施設を存続させる方向でまとまりつつあること、本件神社の財政上本件各S土地の買取りは不可能であり、貸借する場合でも極力面積が小さくなるように配慮してほしいこと、本件地神宮については「地神宮」の文字を削り「開拓記念碑」に彫り直す方針であることなどを述べた。これに対し、市の担当者は、本件祠を本件鳥居の北側に移設して敷地を縮小する場合には、例えば面積を20坪とすれば賃料を年4万6000円程度に抑えることができるとの見通しを伝えた。
2010(平成22)年3月26日
Dは、市の担当者に対し、19日に市と協議した方法によるS神社の存続につき本件氏子集団の役員会において意思確認がされた旨を告げた。〔空知太〕
2010(平成22)年7月16日
市長は、本件利用提供行為の違憲状態を解消するために、前記「砂川政教分離訴訟の概要」記載の手段を採る方針を策定し、口頭弁論期日においてこれを表明した。〔空知太〕
2010(平成22)年12月6日
空知太神社訴訟差戻後控訴審判決。
2012(平成24)年2月16日
空知太神社訴訟差戻後上告審判決。