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Ⅰ 1940年 国民優生法の制定

優生保護法の前身である国民優生法の制定の下地を作るうえで重大な役割を果たしたのは、1930年に発足した「民族衛生」の名を冠する日本民族衛生学会(1935年に日本民族衛生協会に改組)であった。この学術団体は、雑誌「民族衛生」の発刊や講演会の開催、優生相談所の開設などの啓蒙活動を幅広く行った。¶001

そのうえで、1933年にナチス・ドイツのもと、遺伝性疾患をもつ者への不妊手術を定める遺伝病子孫予防法が成立したことを受けて、日本においても同種の法律を制定しようとする動きが活発化していく。1934年から1938年にかけて、5度にわたって断種立法案が議員提案として帝国議会に提出された。成立には至らなかったとはいえ、日本民族衛生協会を中心とする学術諸団体はこの過程においても大きな役割を果たし、最終的には1940年に国民優生法として成立することになる断種立法の実現への勢いをつけることとなった。¶002