・厚木基地訴訟とは厚木基地訴訟とは、神奈川県の厚木基地を離発着する自衛隊機及び米軍機の騒音をめぐって周辺住民が国を被告に提起した累次の訴訟をいう。具体的な訴訟の内容については、後述「各訴訟における争点」を参照されたい。
・厚木基地の概要厚木基地は、神奈川県大和市、綾瀬市及び海老名市にまたがって所在しており(ちなみに、同基地は「厚木」という名称はついているが、厚木市の区域には所在しない)、米海軍厚木航空施設及び海上自衛隊厚木航空基地として使用されている。総面積は約507万㎡であり、施設としては、南北方向に延びる滑走路(長さ2438m・幅45m)とその南北両端にオーバーラン(各304m)がある。
もともと戦時中、日本海軍の飛行場であったが、戦後、米軍が接収し、使用していたところ、1971年(昭和46年)7月1日以降、閣議決定並びに日米政府間協定に基づき(昭和46年防衛施設庁告示第7号)、海上自衛隊と米海軍が共同使用することになり、同年12月以降、海上自衛隊の航空集団の中枢である航空集団司令部と第4航空群がここに移駐した。ちなみに名称としては、基地の施設及び区域全体が「厚木基地」(正式名称は厚木海軍飛行場)であり、そのうち米軍が一時使用を認められる部分が「厚木飛行場」であり、厚木飛行場の管理は、第4航空群の長が当たることになっている。その後、2011年(平成23年)7月13日、米軍専用区域の一部について共同使用が決定された。
・各訴訟における争点厚木基地訴訟は現在まで、第1次(1976年提訴)から第5次(2017年提訴)まで5次にわたって提起されている。このうち、とりわけ最高裁判決が出された第1次訴訟と第4次訴訟が重要であるが、各訴訟における争点は、概ね下記のとおりである。
① 自衛隊機の飛行差止請求の訴え この訴えをめぐっては、第1次、第2次の各訴訟において、民事差止めの訴えが提起され、その適法性が問題となった。この点につき、第2次訴訟第1審判決のみが訴えの適法性を認めたが(請求棄却)、第1次訴訟は第1審判決から上告審判決に至るまですべて訴えの適法性を否定し、第2次訴訟控訴審判決もこれを否定した。このように民事差止訴訟の適法性が否定されたため、第4次訴訟においてはじめて差止請求の訴えが行政訴訟として提起され、各審級において、訴えの適法性が認められたが、第1審が無名抗告訴訟と捉えたのに対して、控訴審及び最高裁は、差止訴訟(行訴3条7項)と捉えている。このように第4次訴訟においては、訴えの適法性自体は肯定されたため、本案審理が行われることとなった。
② 米軍機の夜間飛行差止請求 第1次、第2次、第4次の各訴訟において提起されたが、第1次訴訟上告審判決は、民事差止請求につき棄却すべきものとし、第4次訴訟上告審判決は、行政訴訟につき不適法な訴えとして却下している。
③ 過去の損害賠償請求 国家賠償法2条1項に基づく訴えで、第1次ないし第5次各訴訟において提起され、過去の損害賠償請求については、第1次訴訟控訴審判決を除き、いずれも認容されている。
④ 将来の損害賠償請求 これについても、第1次から第5次まで各訴訟で提起されているが、第4次訴訟控訴審判決以外、いずれの判決においても訴えの適法性が否定されている。
本コーナーは、上記争点のうち
①と
③を中心に解説する。
・航空機騒音の評価方法厚木基地訴訟は、厚木基地を離発着する航空機から生ずる騒音被害に対する救済を求めるものであるが、そこでは航空機騒音の評価方法が問題となる。以下、防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律などの法令の定めのほか、W値(うるささ指数)の算定方式などについて、第4次訴訟第1審判決の判示によりつつ紹介する。
(1)法令の定め「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」(以下「環境整備法」という)は、自衛隊等(自衛隊又は米軍をいう。同法2条1項)の行為又は防衛施設(自衛隊の施設又は日米地位協定2条1項の施設及び区域をいう。同条2項)の設置若しくは運用により生ずる障害の防止等のため防衛施設周辺地域の生活環境等の整備について必要な措置を講ずるとともに、自衛隊の特定の行為により生ずる損失を補償することにより、関係住民の生活の安定及び福祉の向上に寄与することを目的とする(同法1条)。
環境整備法4条によれば、被告(=国)は、政令で定めるところにより自衛隊等の航空機の離陸、着陸等の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が著しいと認めて防衛大臣が指定する防衛施設の周辺の区域(第一種区域)に当該指定の際現に所在する住宅について、その所有者又は当該住宅に関する所有権以外の権利を有する者(所有者等)がその障害を防止し、又は軽減するため必要な工事を行うときは、その工事に関し助成の措置を採るものとするとされている(住宅の防音工事の助成)。
環境整備法5条によれば、被告は、政令で定めるところにより第一種区域のうち航空機の離陸、着陸等の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が特に著しいと認めて防衛大臣が指定する区域(第二種区域)に当該指定の際現に所在する建物、立木竹その他土地に定着する物件の所有者が当該建物等を第二種区域以外の区域に移転し、又は除却するときは、当該建物等の所有者等に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、当該移転又は除却により通常生ずべき損失を補償することができるなどとされている(移転の補償等)。
環境整備法6条によれば、被告は、政令で定めるところにより第二種区域のうち航空機の離陸、着陸等の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が新たに発生することを防止し、併せてその周辺における生活環境の改善に資する必要があると認めて防衛大臣が指定する区域(第三種区域。以下、第一種区域、第二種区域及び第三種区域を合わせて「第一種区域等」という)に所在する土地で同法5条2項の規定により買い入れたものが緑地帯その他の緩衝地帯として整備されるよう必要な措置を採るものとするなどとされている(緑地帯の整備等)。
環境整備法の委任を受けた「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律施行令」(以下「環境整備法施行令」という)8条は、環境整備法4条の規定による第一種区域の指定、5条1項の規定による第二種区域の指定及び6条1項の規定による第三種区域の指定は、自衛隊等の航空機の離陸、着陸等の頻繁な実施により生ずる音響の影響度をその音響の強度、その音響の発生の回数及び時刻等を考慮して防衛省令で定める算定方法で算定した値が、その区域の種類ごとに防衛省令で定める値以上である区域を基準として行うものとすると規定している。
これを受けて定められた「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律施行規則」(平成25年防衛省令第5号による改正前のもの。以下「旧環境整備法施行規則」といい、同改正後のもの、すなわち現行のものを「環境整備法施行規則」という)1条は、上にいう「防衛省令で定める算定方法」を
dB(A)+10logN-27
とし(同条1項)、そこにいう「dB(A)」を、1日の間の自衛隊等の航空機の離陸、着陸等の実施により生ずる音響のそれぞれの最大値をパワー平均して得た値と定義し(同条2項1号)、「N」を、1日の間の自衛隊等の航空機の離陸、着陸等の実施により生ずる音響のうち、午前0時直後から午前7時までの間に発生するものの回数をN1、午前7時直後から午後7時までの間に発生するものの回数をN2、午後7時直後から午後10時までの間に発生するものの回数をN3及び午後10時直後から午後12時までの間に発生するものの回数をN4として、次に掲げる式によって算出して得た値と定義した(同項2号)。
N2+3N3+10(N1+N4)
そして、防衛大臣は、これらの値の算定に当たっては、自衛隊等の航空機の離陸、着陸等が頻繁に実施されている防衛施設ごとに、当該防衛施設を使用する自衛隊等の航空機の型式、飛行回数、飛行経路、飛行時刻等に関し、年間を通じての標準的な条件を設定し、これに基づいて行うものとされた(同条3項)。
また、旧環境整備法施行規則2条は、環境整備法施行令8条にいう防衛省令で定める値について、第一種区域にあっては75(すなわち75W)(昭和49年の制定当初は85Wであったが、昭和54年総理府令第41号による改正により80Wと改められ、昭和56年総理府令第49号による改正により75Wと改められた)、第二種区域にあっては90(すなわち90W)、第三種区域にあっては95(すなわち95W)と定めていた。
以上の各規定は、旧航空機騒音防止法施行令及び旧航空機騒音防止法施行規則と同じ趣旨のものといえる。
これに対し、環境整備法施行規則1条は、現行環境基準と同じく、W値に代えて時間帯補正等価騒音レベルによる算定方法を定めており、2条の定める値も、第一種区域においては62dB、第二種区域においては73dB、第三種区域においては76dBとされている。これらの規定は2013年(平成25年)4月1日から施行されているが、同日以後の環境整備法4条の規定による第一種区域の指定、5条1項の規定による第二種区域の指定及び6条1項の規定による第三種区域の指定について適用するとされている。
(2)防衛施設庁・防衛省におけるW値(うるささ指数)の算定方式旧環境整備法施行規則1条3項は、同条2項の値(W値)を算定するに当たり、防衛大臣(2007年〔平成19年〕9月1日より前は防衛施設庁長官。以下同じ)は、自衛隊等の航空機の離陸、着陸等が頻緊に実施されている防衛施設ごとに、当該防衛施設を使用する自衛隊等の航空機の型式、飛行回数、飛行経路、飛行時刻等に関し、年間を通じての標準的な条件を設定し、これに基づいて行うものとした。
そこで、防衛施設庁長官は、上記算定方法等の細部基準等について「防衛施設周辺における航空機騒音コンターに関する基準」を定めてこれによることとした(昭和55年10月2日施本第2234号〔CFS〕)。
同基準は、防衛施設周辺におけるW値の算定方式を定めており、各防衛施設についてこれを用いてW値を算定した上、75W以上となる地域について5Wごとに同一のW値を示す地点を結んだ線を騒音コンターとするものとしている。すなわち、騒音コンターとは、航空機騒音として同一のW値が測定された地点を結んだ曲線であり、天気図の気圧線(等圧線)や地形図の標高線(等高線)に相当するものである。
同基準は、防衛施設庁長官が「第一種区域等の指定に関する細部要領」(平成16年11月1日施本第1589号〔CFS〕)を定めたことに伴い廃止されたが、その内容は同細部要領に引き継がれている。そして、同細部要領によれば、第一種区域、第二種区域及び第三種区域の各外郭線(各地域とその外側の地域を分かつ線)は、75W、90W又は95Wの騒音コンターと重なる住宅の所在状況を勘案して当該コンターに沿って引くものとされ、当該コンターに沿って街区、道路、河川等が所在する場合にはこれらに即して最小限の修正を行うことができるとされている。防衛施設庁長官が定めた上記の「基準」ないし「細部要領」に従ったW値の算定方式を「防衛施設庁方式」と呼んでいる。
(3)防衛施設庁告示による区域指定の経緯防衛施設庁長官は、厚木飛行場の周辺において環境整備法に基づく第一種区域等を指定するため、その騒音状況を調査し、環境整備法施行令8条及び旧環境整備法施行規則1条に規定されたW値を防衛施設庁方式によって求め、これに基づく騒音コンターを作成している。そしてそのコンターを基に、街区、道路、河川等現地の状況に即して厚木飛行場周辺における第一種区域等を指定している。区域は、何度か変更が行われたが、2006年(平成18年)1月17日、新たな第一種区域(75W以上)、第二種区域(90W以上)及び第三種区域(95W以上)を指定した(平成18年防衛施設庁告示第1号)。W値に代えて時間帯補正等価騒音レベルが基準値として用いられるようになった環境整備法施行規則1条(2013年〔平成25年〕4月1日施行)の下で、第一種区域等の新たな指定はされていない。
第4次訴訟で提起された自衛隊機夜間飛行差止めを求める行政訴訟(第1審判決では無名抗告訴訟、控訴審判決では差止訴訟)では、上述の75W以上の区域の原告に原告適格が認められている。
・具体的な騒音被害第4次訴訟第1審判決の事実認定によると、航空機騒音によって原告らが受けた被害は、健康を害される身体的被害、イライラ感などの不快感(アノイアンス)の惹起、会話やテレビ等の視聴を妨げられるなどの生活妨害、睡眠妨害、交通事故や航空機の墜落の不安感などの精神的被害、身体的被害・生活妨害・睡眠妨害等の被害に伴う精神的被害など、多様なものに及ぶ。また、これらの被害はそれぞれが個別に発生するものではない。すなわち、原告らは、日々の生活を営む過程で、日常的に航空機騒音に曝露されて被害を受けており、これらの被害はそれぞれが相互に関連しあって原告らの健康や日常生活を破壊し、人格権を侵害している。この点は、第4次訴訟上告審判決において、差止訴訟の訴訟要件(重大な損害要件)及び本案勝訴要件(裁量権の逸脱・濫用)において問題となるところである。