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明治8年(1875年)、我が国に勧解という世界に類例のない裁判外紛争解決手続(ADR)が創設され(司法省布達同年番外)、明治23年(1890年)まで15年にわたり活発に利用された後、明治民事訴訟法(明治23年法律第29号)の施行と同時に、明治24年(1891年)1月1日をもって制度が消滅した。活発に利用されてきた裁判制度が忽然と姿を消したことは、明治初期裁判史上のミステリーともいうべき事象である。本書は、この制度について、法令及び司法統計を網羅的に掲げ、当時の立法関係者の議論やその後の学説も丁寧に取り上げて論じている。第1章は勧解制度の導入の経緯と導入を進めた人物の素描、第2章は訴訟提起に前置すべきものとはされていなかった勧解について、訴訟提起に前置すべき手続とされるに至った経緯の分析、第3章は勧解制度の利用の実情と勧解の役割の分析、第4章は勧解の単行法化を目指す「勧解委員規則」が立案されたが、立法化に至らず、勧解制度が消滅した経緯、第5章は勧解が督促手続に承継された経緯、第6章から終章までは勧解と裁判制度ないし調停制度とのつながりについて考察するものである。¶001