Ⅰ 法務論の現在地
1 自己紹介
水野本日は「いま、法務に求められるもの」と題したジュリスト1600号を記念した座談会にお集まりいただき、ありがとうございます。議論に入る前に、まず自己紹介をお願いできればと思います。では、茅野さん、野口さん、飯田さんの順でお願いします。¶001
茅野ありがとうございます。私はカリフォルニア州弁護士からキャリアをスタートしました。主に、日系企業と米国企業のクロスボーダー取引(M&A)に携わりたいという思いから、最初はアメリカの弁護士事務所に入所し、その事務所のニューポートビーチ(カリフォルニア)、香港、東京、サンフランシスコ・オフィスにて勤務しました。2000年に帰国し、伊藤忠商事の法務部に入社いたしました。2013年より4年間、法務部長を務め、その後、伊藤忠のアメリカ会社(ITOCHU International Inc.)の社長に就任し、ニューヨークに駐在しました。帰国後、伊藤忠の常勤監査役を経て、今は広報部長をしております。様々な役職を経験いたしましたが、どの場面においても、法務の知識や経験が役立ったと思っており、今日はそのあたりのことをお話ししたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。¶002
野口野口祐子です。弁護士になって25年が過ぎました。私は日本の弁護士で、森・濱田松本法律事務所でキャリアをスタートして、主に知的財産、国際系の紛争などを手がけていました。15年事務所で過ごしてからGoogleに社内弁護士として2013年に転職し、ちょうど10年経ったところです。一時期、研究者にあこがれて、事務所から留学に出て、スタンフォード・ロースクールで5年研究をして博士号を頂いたのですが、現場で実際に物事を動かしていくほうが楽しいなと思い、実務に舞い戻りました。法律事務所からGoogleに移ったときには、これが正しい選択なのか迷う面もあったのですが、企業内法務の面白さを味わって気付いたら10年が経っていたという感じです。どうぞよろしくお願いいたします。¶003
飯田東京大学社会科学研究所の飯田高と申します。私は企業にも法務にも詳しいわけではないので、場違いな感じはするのですが、実際にその法というものが社会の中でどういうふうに使われているのか、どういう効果を持っているのかといったことに関心があり、今日の議論を非常に楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。¶004
水野皆さま、ありがとうございます。私も簡単に自己紹介させていただくと、法律事務所で弁護士として企業法務の仕事をしています。テックやコンテンツ・知的財産(IP)を活用したスタートアップから大企業の新規事業を法的な側面からサポートしている弁護士です。あと、上場・未上場含め社外役員を数社務めています。¶005
2 法務論の盛り上がり
水野それでは、さっそく本日のテーマである法務についての議論に入っていきますが、私なりに法務に関する議論の現状認識を整理しておきたいと思います。2018年、2019年に経済産業省(以下「経産省」)で「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会」という研究会が行われました。私は2018年、2019年ともに委員として参加させていただいたのですが、日本企業の法務部門が事業のストッパーになっているのではという問題意識から始まった研究会でした。以前から法務の機能の議論はあったと思いますが、ここ5年ぐらいで法務論が少し盛り上がってきているのかなというのは、この研究会が1つのきっかけになった面があるのではと思っています。この研究会の報告書自体は賛否は様々だと思うのですが、「ガーディアン機能」(法的リスク管理の観点から、経営や他部門の意思決定に関与して、事業や業務執行の内容に変更を加え、場合によっては、意思決定を中止・延期させるなどによって、会社の権利や財産、評判などを守る機能」)と「パートナー機能」(経営や他部門に法的支援を提供することによって、会社の事業や業務執行を適正、円滑、戦略的かつ効率的に実施できるようにする機能)という2つの機能に分けた上で、経産省の研究会ということもあり、もう少し法務の「攻め」の部分、すなわち、事業開発に併走したり、価値創造的な側面をもうちょっと重視すべきなのではないかというところに、力点が置かれた報告書だったと思います。¶006
その後、2021年にリーガルリスクマネジメントのISO規格化だったり、コロナ禍前後からのリーガルテック分野への注目の高まり、そして、米国でもともとあった取組だと思いますが、リーガルオペレーションズという経営の視点で法務をどう捉え直すかの議論を日本にどのように取り入れるか等が議論され始めている、というのが法務論の現在地なのかなと思います。¶007
そういう中で、研究会の報告書の中にもありますが、私なりの問題意識として、法務による価値創造というのは何なのか、あるのか、その可能性とは何なのかといったことなど、あるいはこれもよく日本では言われがちな法務の能動性、主体性、プロアクティブに動くにはどうすればいいのか。また、どうして何かやや後ろ向きだと評価されやすいのかなど、それは人材的な影響なのか、部門的な影響なのか、歴史的な影響なのか、それともそもそも法の役割というものにそういう要素があるのかなど、興味があるところです。現状、法務と経営というものに距離があったり、経営層が法務をうまく使えていないといった問題意識を前提とするならば、では今の日本の法務部門、あるいは法務機能、はたまた経営層に何が足りないのか、どうしていったらいいのか。本日はこのようなことについて議論できたらと思います。¶008
Ⅱ 「法務」の広がり
1 法務部門と法務機能の多角化
水野ところで、「法務」とは何なのか、法務の範囲はどこまでなのか。字義どおりに言えば、法に関する事務全般を指しますが、経産省の報告書では法務部門だけでない、経営層や他部門にも存在する法務全般を指してあえて「法務機能」という言葉を意識的に設定しました。一方で、同じくジュリスト1535号(2019年)の鼎談(奥邨弘司ほか「企業内法務の展望と戦略」)では「企業内法務」という言葉を使用することで、企業外法務である法律事務所で働く弁護士等の業務と区別して慎重に議論しています。法務論においても、議論の内容によって法務の範囲や捉え方、焦点の当て方も少しずつ変わってくるように思います。本日議論したい法務の価値創造や経営における法務の役割等を考える際に法務の範囲・捉え方をどのように考えるのが適切なのでしょうか。¶009
野口組織によって法務の範囲や捉え方は違うのではないかと思います。コンプライアンスを法務に含むのか別組織なのか、などの違いもあれば、調達契約など特定の契約を担当する部門が事業部にある会社もあると思います。組織のあり方により法務のデザインも様々なのでしょうね。¶010
水野企業内法務の範囲や形も企業によって様々ということですね。企業内と企業外の法務の相違についてはいかがでしょうか。¶011
野口法律事務所で弁護士をすることと企業内弁護士には、やはり若干の違いがあるのかなと思っています。¶012
仕事のきっかけという意味では、法律事務所はほぼ100%受け身だと思います。クライアントから案件を頂いて、その案件に対してアドバイスをするのが通例だからです。企業内弁護士はもっと能動的に社内の問題点を拾いにいく場面があります。¶013
また、経営判断をする側にいるかどうかという違いもあります。私が弁護士になりたての頃に先輩のパートナーに言われたのは、法律事務所と企業内弁護士は役割が違う、法律事務所はその組織の経営に責任を持つ立場にはないから経営判断をしてはいけない、ということでした。だから法律事務所は、クライアントから聞かれた問題に対して、選択肢1はこれがリスクで、これがメリットです、選択肢2はこれがリスクで、これがメリットですというふうに、調査や分析をするけれども、だからあなたはこうすべきです、というところまで言ったら言いすぎだと言われました。でも、若い弁護士の中には、それをやらないと法律事務所のサービスとして価値がないのではないかという声もあり、外の弁護士がどこまで前のめりに経営判断に関わるアドバイスに踏み込むべきか、ということについて、すごく大きな議論があったのです。この議論が象徴するように、法律事務所の弁護士は事業や経営に責任を持つ立場ではないのに対し、企業内弁護士は経営判断をする人のそばにいてその判断を最終的にアシストするわけです。企業の決定に実際に参加しているという点が面白さにもつながっていると思います。¶014
もう1つの違いとして、法律事務所の場合、ある問題に対して関連する全てのリスクを網羅的に調べるのが役割である、という面があると思います。経営的な視点のある弁護士さんの中には、論点の中で強弱を付け、これは大事ですのでしっかり検討します、その他にもこういう論点もありますので深掘りしたければ教えてください、というふうにされる方もいらっしゃいますが、全ての論点を同じような重要度で検討してメモを出してくる弁護士さんもいらっしゃいます。その背景には、リスクを指摘しなかったことの責任を自分が問われないようにするために、網羅的であらねばならないという意識がある気がします。それに対して、企業内弁護士は、全ての論点を網羅的に経営陣に説明しても評価されません。法律のリサーチ結果を踏まえて、どこまでのリスクを企業体として取れるのかということを判断するプロセスに関わりアドバイスするのが一番重要な役割ですから、そのアドバイスには価値判断と強弱が必要です。¶015
野口最後に、企業内に入ると、法務以外の視点を広く持つことの大事さというのがより分かるようになると思います。茅野さんのほうが私よりももっとご経歴も広くていらっしゃるので、是非おうかがいしたいなと思いますが、やはり法律事務所の主な仕事は法律のアドバイスをすることです。それに対して、企業内弁護士はビジネス、広報的視点、政策的視点など、より視野を広くアドバイスをするという面白さがあるのかなと思います。¶016
茅野そうですね、本当にそのとおりだと思います。視点を少し変えて、法務部の観点から、というより、営業部の観点から物事を考えてみたいと思います。なぜなら、企業とは営利が目的なので、まずその営業の立場から考えてみたいと思うからです。今日は、ジュリストの1600号記念特別座談会です。大変おめでとうございます。ジュリストは、1952年に創刊されたと理解しています。ジュリストの創刊当時、伊藤忠の(現在の呼称だと)「法務部」はどのような機能を担っていたのか、ということを歴史的に紐解くと、それは営業部の国内案件の支援と、債権回収機能でした。これらの機能を当時の法務部が提供していた、というよりも、そのような機能を営業部署が求めており、その需要に応えていた、と言えます。したがって、法務の観点から物事を見るということも大切なのですが、その時々で会社が何を必要としていたのか、営業が何を求めていたのか、その中で広義の「法律」に関連する部分が法務の機能であった、というのが実態でしょう。約70年前と今では、会社や営業部署が法務に求めたり、期待する機能は大変に進化をしてきている。¶017
例えば、営業部がある案件を推進したいというときに、法務部は、その案件のストラクチャリングを営業部署と一緒に検討したり、契約書作成・交渉を行ったりします。このような基本(ベース)の作業もありますが、近年、以前に増して経済安全保障、サプライチェーンマネジメント等、多角的な「法務」の観点から案件を精査する場面が増えてきました。先ほど野口さんがおっしゃったように、広義の「法務機能」を発揮するのは法務部だけに限らず、他部署、例えばリスクを管理する部署かもしれないし、物流を担当している部署かもしれません。それが、法務機能の多角化、ということです。また、最近の流れとして大変興味深いと思っているのが、「法律」と厳密に定義されるハード・ロー(hard law)の世界と、コーポレートガバナンス・コードのような、ソフト・ロー(soft law)の世界が互いに近づいてきている現象です。特に、常勤監査役を務めていたときに、このことを感じました。このような環境変化の下、監査役の役割は何か、どのように取締役の職務執行を監査するべきか、等を考えました。質問のお答えには直接なっていませんが、法務機能という機能は基本、法務部にあるのだと思いますが、会社や営業が求める機能の多角化や、コーポレートガバナンスなどの概念のグローバル化や進化・深化によって、法務機能というコンセプトが広域になり、結果、法務部以外の部署にも法務機能が期待される時代になってきていると思います。¶018
2 動的な社会に適応する法務
水野ありがとうございます。もちろん、企業や事業によっても様々ですが、法務を機能で考えると、法務部門だけでなく、総務や公共政策、広報、そして営業などの法務以外の部門にも法務機能が存在し得るのですね。¶019
茅野そうです。新しいビジネスやプロジェクトを創造する上で、当然、営業部署も自分たちが行いたい案件は、法的に可能なのかなということを入口で一生懸命調べるわけです。もちろん法務部にも相談には行くのだと思いますが。私が法務部にいたときの実際の例ですが、営業部が考えた斬新なビジネスモデルがあり、この相談を受けました。営業部署も業界法をいろいろ調べて、考案した面白いビジネスモデルでした。営業担当と法務部担当とで更に深掘りをし、その上で外部の弁護士さんとも相談しながら、更に詰めたところ、ストラクチャーのアジャストメントが必要となりました。最終的には、当初のコンセプトは大切にしながらも、業界法に照らし合わせて、大幅な変更を加えました。したがって、営業部署も自分たちが考えるビジネスが法的に可能なのか、というところが出発点であり、新しいビジネスという価値創造のプロセスにおいて、法律が重要な役割を果たすわけです。この例が示すとおり、営業の中においても法務機能は存在するわけです。¶020
野口そうですね。大学や大学院で法律を学んでいるときには、法律とは、その条文や背後にある原理原則という形で見えているかもしれないのですが、実際に企業で法律を扱うと、常に社会のリアリティと切り離せない。例えば、「個人情報の第三者提供には本人の同意が必要です」という条文だとすると、何が第三者提供に該当するのかというのは、実際のプロダクトを深く読み解かないと判断できないところもありますし、プロダクトはある意味、法律と離れたところで、社会のニーズとともに発展していきます。先ほど茅野さんもおっしゃっていましたし、飯田さんも研究されていらっしゃるところだと思いますが、法律の概念やニーズは時代や技術とともに変化をしていきますので、会社は、現場に近いところに法務機能を置く必要があります。そういう意味で、皆さんが思っているよりも、法務的役割を果たしている場所は多い。実際に、法学部を出て営業に行かれる方もたくさんいらっしゃいますよね。Googleでも、営業、プロダクトの品質などを担保する部署、政府渉外部門などに、法学部出身の方がたくさんいらっしゃいます。そういう方たちがそれぞれ法的な価値や考え方を、それぞれの立場から実現しながら動いているのが企業だと思います。その中で一番法律の専門性が高いのが、法務部門なのでしょうね。¶021
茅野例えば今一番ホットなトピックの1つとして、日本において今後ライドシェアが解禁されるのか、というものがあります。もしも解禁されたならば、どのような新しいビジネスが可能になるだろうか、ということを営業部署は考える(考えている)わけです。そのように、法規制の変化に伴い、生まれてくる、今までにないビジネスやビジネス展開があるということです。¶022
野口そうですね。でも、そのビジネスは法律を変えないと実現できないとなったときに、その重要性を誰に分かってもらえたら、そこまでたどり着けるのだろうかと考えると、社内だけではなく、社外にも働きかけなければいけない場面もたくさんあると思います。また、東京だけを見ていても、その重要性は分からない。ライドシェアの実験も実際に地方から始める形になっていますが、人口が減ってきている中でライドシェア的な社会機能が求められている地方が増えている、それをどう実現していけばいいのかというように、視野を広く持って、自分の企業の中に閉じないいろいろな方たちと共同作業をする中でルールができていくのだと思います。¶023
水野今の、野口さんと茅野さんのお話は、日本の企業と例えば米国の企業で違いはないと理解してよいものでしょうか。¶024
茅野違いはないと思います。¶025
野口違いはないと思いますが、例えば、冒頭水野さんがご紹介されていた「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会」のワーキンググループに参加されていた企業内弁護士の渡部友一郎さんが書かれた『成長を叶えるリーガルリスクマネジメントの教科書』(日本加除出版、2023年)という本には、「法律を見ると違法だと書いてあるからできません」、というようなアドバイスをしている日本企業の法務部が登場します。この本は、どうやってそこから脱却するかということが楽しく描かれているので、ぜひ一読をおすすめしたいのですが、本当にそんな法務部が存在するのだとしたら、それは私達がイメージする法務とはかなり違うような気がします。¶026
一般的に日本の会社はリスクを取りたがらないとか、イノベーションが起こりにくいとか、アメリカやインド、中国に日本が負けているのではないかということはしばしば言われていますよね。それは法務が駄目と言っていることも原因なのかというのは、検証が必要かなと思いますけれども。¶027
茅野企業法務のランキング、つまり、外部機関による企業内法務の評価が世の中に定着してきたということは最近のことですね。例えば、いつも営業部署に対して「ノー」と言っている法務部は多分ランキング的にもあまり評価されないと思います。法務部もクリエイティブでないといけない、価値を提供しなくてはいけないという流れの中で、法務部は一生懸命頑張らなくてはいけない。そのような環境が醸成されてきているのだと思います。¶028
飯田そのランキングの評価項目は、どういうものなのですか。¶029
水野日本経済新聞が弁護士ランキング以外に始めた「法務力が高い企業」ランキングは、「訴訟に強い」「法務スタッフの能力が高い」「法務部門が経営に影響力がある」「社内弁護士が多い」「法律事務所などとうまく連携」等の評価項目について、国内の企業法務弁護士のアンケートで評価されていたと思います。¶030
茅野ほかにも、日経以外にも様々なランキングやアワードがあり、これらは日本にとって比較的新しいものです。法務部門が評価やアワードの対象になるということが。¶031
水野私はあの手のランキングは独り歩きしやすいものとしてやや冷ややかに見てしまうところがあるのですが、あのような形で企業内法務の仕事に対する評価に透明性や外部性を取り入れることは、法務部門や業界を盛り上げる効果だけでなく、その企業の法務部門や法務機能、ひいてはその企業の姿勢みたいなものの評価にもつながり得るのかもしれないと感じました。¶032
3 法社会学における法務の位置付け
水野飯田さんにうかがいます。もともと伊藤忠では法務が営業支援と債権回収から始まって、会社に必要とされる機能がどんどん広がっていったという話や、現在では企業内において法務機能が法務部門だけではなく他部門にも溶けていくような流れがあるという話を茅野さんからいただきましたが、そもそも法社会学的にはこのような法務の存在というのはどのように議論されてきたのでしょうか。¶033
飯田法社会学は現実の法の働きというものに関心を持っていますので、企業法務に携わる人たちが重要な役割を果たしているのだということは認識していました。日本の企業法務には興味深い特徴があって、その1つが「法曹資格を持たない社内の人たちがリーガルサービスの供給を担っている」という点でした。おそらく背景には、弁護士数が少ないことや企業の業務の中で法の存在感が希薄だったことなどがあるのだと思いますが、いずれにしても、企業法務は弁護士が提供するリーガルサービスとの対比で論じられることが多かったように思います。その意味で、企業の法務機能は、社会全体のリーガルサービスの供給の中ではどちらかというとサブ的というか、周縁的なものとして位置付けられてきたような感じがします。¶034
今のところ、企業法務の具体的な中身や変化を直接に捉えようとする研究は、その社会的重要性の割には多いとは言えなくて、まだまだ研究の余地がありそうです。企業の法務というのは、弁護士が通常提供しているリーガルサービスとは異なる、独自の役割を担っているのではないかと思っています。¶035
ちょっと付け加えておきますと、法社会学では「人々の行動が現実のルールを作っていく」という点を重視します。ルールが人々の行動を形作るというのは普通のことですが、その逆ですね。特に近年、「公的機関以外の人たちの行動がルールにどのように影響を及ぼすのか」とか、「ステークホルダーの行動を通じてルールがどのように具体化されていくのか」といった問題に注目が集まっています。こういうステークホルダーはlegal intermediariesやrule intermediariesと呼ばれるのですが、企業法務に携わる人たちは当然そこに含まれるはずです。¶036
こういった人たちの行動がルールにどのような影響を及ぼし、具体的にどういうルールになっていくのかということです。¶037
水野企業によるルールメイキングですね。¶038
飯田はい。もっとも、これにはいろいろなレベルがあるかと思います。公的に働きかけて法律を作るということもあるかもしれませんし、日常の業務のレベルでの細かいルールを作っていくといったこともあるかもしれません。ただ、最終的にルールの具体的な内容を決めるのは、企業の現場にいる人たちの行動です。これは法務部に限らず、先ほど法務機能というふうに総称されていましたが、全てrule intermediariesとして捉えられると思います。¶039
水野これは小さな政府から始まって、いわゆる共同規制などの公民連携によるルールメイキングにおいて企業によるルールメイキングが注目されていることとも関係があるでしょうか。¶040
飯田ありますね。その「ガバメントからガバナンスへ」という流れが1つ目の背景としてあります。そして2つ目として、ルールが扱う問題が複雑化していることが挙げられます。複雑化していますので、結局、実際にそのルールを使う人の行動が重要になるということです。それから、2点目と関連していますが、細かく規定されたルールではなく、緩いスタンダードのほうが使われるようになってきている、ということがあります。スタンダードは曖昧ですから、結局、実際にそれがどう使われるのかが重要になってくる。こういった3つぐらいの背景があろうかと思います。¶041
Ⅲ 法務による価値創造とは
1 小さな(日々の)価値創造と大きな価値創造
水野ありがとうございます。企業によるルールメイキングにも関わってくるところだと思いますが、次に、法務による価値創造について議論していきたいと思います。企業経営において価値創造が重要視される時代にあって、法務も価値創造に貢献していくべきだ、法務による価値創造もあるのではないか、という議論があります。一方で、日本では他部門からすると法務部門がストッパー的な見られ方をしていることを典型に、まだまだ法務が価値創造に貢献・寄与するというとピンと来ない方は多いように見受けます。また、逆に法務はむしろ価値創造など考えないでよいのではないかという意見もあるかもしれません。茅野さんはいかがお考えですか。¶042
茅野やはり法務の仕事は大変面白いのです。これは、今日特に申し上げたいことです。私はアメリカのロー・ファームにてキャリアを開始し、数年後、事務所のパートナーに昇格し、給与も良く、個室のオフィスを有し、秘書もいました。それでも、伊藤忠商事の法務部への転職は大変に魅力的なものでした。日本の企業の法務部に特別な役職もなく入社することをアメリカのロイヤーの友人に伝えると、何でそのようなことをするのか全く理解してもらえませんでした。しかし、それでも私が商社の法務部への入社を強く希望したのは、法務部での仕事が大変に面白い、そして、営業部署とともにビジネスを通じて価値を創造できる、という確信を持っていたからです。営業部の人間とビジネスを一緒に作ることができるということに、ワクワクしました。¶043
価値を創造する、と言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、価値創造は必ずしも大きなものだけではありません。例えば、プロジェクトの初期段階で、相手方に提出するための提案書やパワーポイントを営業部署と法務部署とで協働し、良いものを作る、というのも価値の創造の1つです。このように、企業内法務ですと初期段階から案件に積極的に関与することができ、とても面白いと思ったのです。と申し上げますのも、外部の弁護士事務所にいますと、ある程度案件が進まないと、クライアントからのご依頼が来ないのです。しかし、インハウス(企業内法務)であれば費用も掛からないだろうということで、営業の部署が早い段階から相談に来てくれます。もちろん価値創造には、大きなものもあります。例えば、大型プロジェクトのストラクチャリング。¶044
法務部では、このように、案件の様々な過程において、また小さなことから大きなことまで、価値を創造する機会に恵まれます。法務担当だと、契約書の交渉を行う機会も多いと思います。相手方との交渉において、この条項を譲る、譲らない、といった場面に遭遇しますが、単に「勝ち」「負け」ではなく、両者が納得できるような解決策(ソリューション)を創造することができれば、一番理想的ですし、本当にやり甲斐があります。まさに、『ハーバード流交渉術』(ロジャー・フィッシャー=ウィリアム・ユーリー〔岩瀬大輔訳〕、三笠書房、2011年)という本が提唱する、両当事者の利害をよく理解し、互いが納得する解決を見出す、というポイントです。私はこれが交渉の上で最も重要なスキルの1つだと思っています。これを実現することにより、自社にとっても相手方にとっても、Win-Winとなり、両社のため、ディール(deal)の成功のための価値創造ができた、と言えるのかもしれません。¶045
水野法務による価値創造には小さなものも、大きなものもあると。小さな価値創造の集積というのはイメージがしやすいです。¶046
茅野法務の役割を考える上で、車の例えが良いと思います。車はアクセルとブレーキからなっているわけですけれども、車は基本的に前進するものです。つまりアクセルが主役です。ブレーキも重要ですが、常に使用するものではありません。ビジネスに置き換えると、法務は、営業部署が前進することを支援する部隊です。したがって、基本的にはアクセルなのです。よほどのことがない限りブレーキというのは完全に踏まないのです。スローダウンしたりすることはあるかもしれないけれど。¶047
例えば、営業部署が検討している案件は良い案件なのだけれども、無視できない多大なるリスクも孕むものだとします。全くマネージできないリスクなのであれば、法務として案件に反対しなければならない場合もひょっとするとあるのかもしれません。どのプロジェクトにもリスクはつきものなので、案件自体に反対するのではなく、リスクを軽減するような策をストラクチャーや契約に織り込む、という解決策が存在するのかもしれません。このように法務がブレーキをかけるのも、広い意味での付加価値だと思います。¶048
法務部署によっては、その機能が案件「審査」と案件「推進」と2つ存在するところもあります。2つの帽子を被っているわけです。このように2つの役割を有すると、法務としてどのようなブレーキをかけるのが会社全体にとって有意義なことなのか(車を停止するためのブレーキなのか、減速するためのブレーキなのか)、比較的に明確になるように思えます。¶049
水野野口さん、いかがでしょうか。¶050
野口そうですね。これから法律家になりたい方に参考になるようにご紹介すると、例えばGoogleではいくつか違うタイプの法務的な役割があり、全てに価値創造があると思います。今、茅野さんがおっしゃったような、契約やディールを作り上げる過程に参加するというのは、すごく分かりやすいビジネスの価値創造への参加の形だと思います。¶051
他には、弊社のようにプロダクトを世に出していく会社では、「プロダクト・カウンセリング」と呼ばれている仕事もあります。新しいプロダクトをどんなふうにデザインすれば適法になるのか。もしまだ法律がないとしたら、その法律がない中で、どうデザインするのが社会的に適切なのか、というようなことをプロダクト部門と相談しながら一緒に作っていく。それもすごく価値創造的だと思います。¶052
もちろん、弊社ぐらい大きくなれば訴訟を起こされてしまったり当局から調査を受けたりもする。それは一見、すごく価値創造から遠いように見えるけれども、先ほどもお話にあったとおり、そこで裁判所や当局とぎりぎりやり合って、裁判官や当局には見えていない現場の必要性や、解決策の現実味などをすり合わせることによって、より現実に即した判例や社会のルールを作っていく意味での価値創造もあるわけじゃないですか。だから、後ろ向きのようにも見えるし、もちろん、そういう面もあるかもしれないけれども、その中にも新しい価値創造の機能はあると思います。その他、新しい立法に対して、法的観点から政府との交渉において政府渉外部をサポートすることもあります。¶053
プロダクトについてのアドバイスをする場合、製品の価値創造はあるけれども、法的な価値創造はあるのかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、確かにあると思います。それこそ検索エンジンはその最たる例かもしれません。最初にGoogleの創始者たちが検索エンジンを作り始めたとき、彼らは法的なことはあまり考えていなかっただろうと思います。こんなに世の中にウェブサイトが乱立して、どこに何があるのか調べられないのは大変だという課題があり、彼らはエンジニアの視点から、全部サイトをコピーしてきて調べられるようにすればいいじゃないかと、無邪気にガレージでそういうソフトウェアを作り始めたのです。そして、それはあっという間に社会にとって本当に必要な機能になった。当時、このプロダクトは著作権法違反ですかと言ったら、もしかしたら日本では違法だったかもしれない。アメリカではフェアユースがあったからできたのだと思いますけれども、日本にはフェアユースがないから、これは違法だったかもしれない。でも、こんなに便利なもの、生活になくてはならないものが違法だというのは困るよねとなって、後追いで著作権法が改正され、社会のルールを変えていった。ある意味、プロダクトを通じたルールの形成なわけです。そういう意味で、どこの部門で、どのように携わっていても価値創造はあると思いますし、どれくらいの価値を創造できるのかは自分のマインドセットの持ち方だったりすると思います。¶054
水野ビジネスに併走するビジネス担当の「ビジネスイネーブラー」と、様々なサービス・商品などのプロダクトの適法性を担保する役割を担っているプロダクト担当の「プロダクトカウンセル」、トラブル・訴訟等を担当する「リティゲーション」など法務部門の中でも役割やセクションを分けている企業も増えているように感じますが、これは人単位で分かれているものなのか、兼務していることが多いのか、どういうものなのですか。¶055
野口会社によって違うと思います。弊社の場合は、米国本社の法務部はかなり大きいので結構はっきり分かれています。小さい会社はそうでもないかもしれませんが、大きくなるに従って専門化してくる部分もあります。特にプロダクトのアドバイスは相当技術的なところまで理解していないと正しくアドバイスできないので、それなりの専門性が必要です。ただ、エンジニアや同僚に教えてもらえれば学びつつ対応できるようになっていきます。弊社でも、企業の中で部門や役割を変えながら成長していく人はたくさんいます。私のいる日本法人では法務部が小さいのと、米国にたくさんの専門家がいて彼らの知恵を借りながら仕事ができるので、専門性の強弱はありますが、その時々のニーズに合わせて、全員が全ての部門の機能をそれなりに兼務して活躍しています。¶056
水野この法務のそれぞれ違った役割というか、すごくざっくり言えば攻めとか守りの帽子というのは、伊藤忠でも分かれているものなのですか。¶057
茅野次のお話になるのかもしれませんが、攻めと守りには法務部員としてのマインドセットと言いますか、物事の見方や自分と営業の人間との関係性が重要になります。守りだけのマインドセットでは、営業から見たときに価値がないと思われても仕方ありません。法務の人間は常に営業のパートナーでいることが大事だと思います。我々は総合商社なので、ビジネスの範囲も地域も広い。法務部員として、会社が拠点を有する世界中の国の法律を知っているか、様々な業界法を全部知っているかというと、そうではない。考え方としては、ビジネスの根底にある、会社法などの基本法の概念は、法務部がそれこそガーディアンとして、守備範囲とする。しかしながら、各部署にとっての専門の業界法は基本的にそのビジネスを担当する営業部署が責任を持ってフォローすることになっています。そのような役割分担を法務部と営業部署で行っています。その意味では、前の議論に戻りますけれども、法務の機能というのは当然、営業にも存在します。¶058
水野なるほど。冒頭の経産省の報告書においても、法務機能は企業価値を維持・保全する消極的な意味でも、新たな事業を創造し、価値を生み出す積極的な意味でも価値創造に貢献できると整理していたのですが、お二人の話をうかがっていてそのことが具体的なイメージとして伝わってきました。法務に対するイメージや見方が変わってくるのではないかと思います。¶059
2 企業ごとに異なる価値創造の形
野口価値創造を考える上で1つ重要なことは、価値創造を許すような会社の風土、文化になっているのか、どこまで経営層の方が広く意見を法務から求めようとしているのか、ということではないかと思います。法務部がどこまで価値創造に貢献できるのかは、こういう点と大きな相関性があると思うのです。どちらが鶏でどちらが卵なのかは、難しいところだなと思いながら茅野さんのお話をお聞きしていたのですが、営業やプロダクトや経営の側に、法務の人たちがパートナーとして突破口を見つける手助けができるという認識がないと、そういう場面に法務の人を招待しようという発想もなかなか生まれづらいと思います。一方、そこに呼ばれた法務の人がどれだけ、呼んで良かったと思ってもらえるような貢献ができるのかということとの相関だと思います。¶060
それぞれの法務部員の強みは何か、ということとも相関性があります。私は部長なのでいろいろな方を見ながら仕事を割り振ったり育てたりするのが大事な役割なのですが、全ての人に得手不得手があり、それが悪いことでもないと私は思っています。すごく細かいところを丁寧に見るのが得意な方もいらっしゃるし、そういう方にはこういう仕事が向いているというのもある。細かいところはあまり得意ではないけれども、すごく全体像を考えるのが得意な方もいらっしゃる。それぞれ得意な価値創造の形も違いますし、皆さん経験を積んで成長していきます。いろいろな強みを持つ人が適切に組み合わさって、必要な場面で強みを発揮することで、良い法務というのはできあがっていくように思います。¶061
茅野野口さんも私も外の事務所にいたので、クライアントとしておいでになる会社を見ていると、同じ法務部と呼ばれる部署でもすごく違うのです。¶062
野口そうですね。¶063
茅野営業部署だけが弁護士事務所に相談に来るような会社もあれば、常に法務部の人が一緒においでになる会社もある。そのようなところを見ることによって、その法務部が会社の中でどのような位置付けにあるのか、信頼されているのか、営業のパートナーなのかということは見えてきますね。営業部署からしてみたら法務部というのは目の上のたんこぶだから、よほどぎりぎりにならなければ相談に行かないような部署だと言っている会社もありました。だから、あながち経産省の報告書も間違っていないと経験則で思います。¶064
野口そうですね。逆に、うちの法務部が駄目と言っているから、弁護士事務所に「そうでもないよ」と言ってほしいから来ました、という場合もありますよね。¶065
同じように、外部の弁護士でも「できない」とすぐおっしゃる方はいらっしゃるのです。企業内ではできると思ったけれど、この弁護士に相談したら「できない」と言われたので、それは困るからこちらの弁護士にもう1回聞き直します、という場合もある。¶066
水野ちょっと余談になってしまうかもしれませんが、私は法務部ではなく事業部の方から相談を受けることも多いんです。だから、事業の企画が進行してくるとやがて法務部が出てきて、対立構造になってしまったりすることもあります。¶067
野口法務部を説得してほしいということですね。¶068
水野はい、そういう役割を期待されていると感じることはあります。ただ、企業内で交通整理できるはずのことも多いと感じます。¶069
飯田さん、この法務による価値創造のところで、一歩手前の話として法による価値創造というのがあるのか、ないのか。法社会学あるいは法哲学でもずっとあるテーマだと思うのですが、今のご議論をどのように聞いておられましたか。¶070
飯田先ほどのお話のように、個々の契約での価値創造という場合もありますし、あとは規制関係のところで新しいルールを作るという場合も含めて、これも価値創造と言えると思います。価値が具体的にどのような意味で、そしてどの価値に焦点を当ててお話しするかにもよるのですが、どれもルールによる価値創造ではありますね。¶071
水野企業内で法務を担当している方たちも、こういう法による価値創造とか、あるいは新しいルールを作っていくとか、そういったところに当然入ってくるわけですよね。¶072
飯田はい、本人がそのように認識しているかどうかは別として、実際は新しいものをどんどん作っているわけです。¶073
水野そうですね。私もよくルールメイキングの価値みたいなことに言及するのですが、結構、法務部員の方を含むビジネスパーソンにポカーンとされることが多くて。ご自身がルールメイキングに関与している感覚が持てないようなんです。¶074
飯田多分、裁判官も同じような感じで、ルールメイキングをしているという感覚は特にないかもしれません。¶075
水野どうしてその感覚をあまり持てないのでしょうか。¶076
飯田ルールがもともとある場合、まずその解釈をする必要があります。解釈には本当は創造的なものが入っているはずなのですけれども、本人の意識としてはルールからそのまま導き出されていることにしているにすぎない、ということでしょうか。「正しい」解釈をしているという意識ですかね。¶077
野口ルールや法律を、どう捉えているかというのがまずあるような気がします。絶対的な決まりのようなものがあって、それを当てはめることだけが法律の解釈だと思っている人がいます。もしかしたら大学や、もっと遡って小学校や中学校のときから、ルールというものは絶対的に決まったものとして与えられるのであり、それに従うことが正しいことで、ルールを変えようとしたり、ルールに疑問を持ったりすることはよくないことだ、というように育ってきたため、そういうマインドセットが定着してしまっている面があるのかもしれません。¶078
例えば、この間、ルール形成についての意見交換会に参加したことがあったのです。その中で、政府の役割は何かということが話題になりました。我々は、これがルールですと役所に一方的に決められることには懸念を持っています。現場をよく知る立場から政府と対話をして、何が一番良いルールなのかを自分でも考えて提案して、一緒にルールを作っていくことが大切だと思っています。しかし、日系企業の方の中には、「お上がここからここまではやっていいとはっきり言ってくれればルールがすごく明確になって、私たちも事業部に対してアドバイスがしやすくなるのに」という意見もありました。そのマインドセットの違いというか、誰かが正解を決めて自分にくれるのではないかと期待しているのだとしたら、価値創造を自分で諦めている部分があるのではないかと思います。¶079
茅野まさにコーポレートガバナンス・コード(CGコード)ができたときに、コンプライ・オア・エクスプレイン(comply or explain)というのは、日本の企業にとって、今までにはない回答、と言いますか、アプローチを求められました。¶080
水野日本企業にとっては逆にCGコードに従わないことのほうが挑戦になってしまうという。¶081
茅野本当にそうですね。これをやれと言って、やらなくてはいけないのだというのは分かるものの、別にそれをコンプライしなくてもいいけれど、コンプライしなかったときにはちゃんと説明してくださいねというのは、大変に大きなマインドチェンジです。コンプライしなくてもいいけれども、ちゃんとエクスプレインする。その文化というのはまだ完全に定着していないのかもしれません。¶082
野口そういう意味で、茅野さんも私も、アメリカナイズされているかもしれません。反対意見も、本来ないといけないかもしれないですね。¶083
3 動的なルールを前提とした法務のあり方
野口ただ、ルールの機能として、社会に予見可能性や法的安定性を提供するという側面は確かにあります。これをやっておけば安心だ、という形でリスクを最小化する機能がないかと言ったら、それは確かにあります。そこをどこまで求めるかという意味で、過度に求めすぎている面が日本にはあるかもしれないな、と思います。どこまでリスクを取ることが許されるのか、というのは、分野によってかなり異なることも事実で、リスクを取ってはいけない局面も絶対ありますし、リスクを取らないことで相対的に安心安全な社会が実現している面も確かにあると思います。¶084
私のいる情報法の世界は、ある意味、全ての法分野の中で一番動いているところだと思っていて、だからこそ動的なルールへの許容性はかなり高いことが必要だと思っています。一方で、予見可能性が重要だなと思う場面もないわけではないです。例えば、今の共同規制のあり方というのは、私は結構、賛否両論だなと思っているところもありまして。運用の問題でもあるとは思うのですが、共同規制の最先鋒の1つであるデジタルプラットフォーム取引透明化法(特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律)などについては。¶085
水野急にすごく具体的な話になりましたが、私自身も興味があるところです。あれはどうですか。¶086
野口少しモヤモヤしているところもあります。¶087
あの透明化法の基本理念は、プラットフォームの世界は変化が激しいので、全部法律に規制を書き込んでおくのは不適切だ、ある程度企業に自主性を持たせつつ、事業の内容を透明化してみんなで見て検証し、フィードバックをする、そのフィードバックに対しては、まさにコンプライ・オア・エクスプレインです、というものです。けれども、実際には、役所のほうは「フィードバックには従いませんでした、理由はこうです」というエクスプレインを期待もしていないし、許さないような雰囲気が少しあるように思います。¶088
水野日本型の共同規制とコンプライ・オア・エクスプレインの問題が地続きだというご指摘は興味深いです。¶089
野口ここは是非飯田さんのご意見をお聞きしたいのですが、日本にはいわゆる行政指導の文化というのがあるじゃないですか。法的拘束力はない、だから本来従わなくてもいいけれども、政府が指導しているのだから事実上やらないということは許されないような形で、特に規制産業の中でずっと活用されてきた。ルール・オブ・ローに則っているのかといったら、行政処分ではないから、内容に異議があっても行政訴訟もできない。だから、根拠法がそれほど明確でなくても自由に内容も決められるということで、ある意味立法機能を代替するような形で活用されてきた側面もある。社会的評判や行政機関の権威をもとに、事実上従うことを期待する、この行政指導の文化が、現在の共同規制の中に入ってきているような印象を受けるのです。¶090
それは、日本の重要な法規制の一形態として、良いと評価すべきなのか、そうではないのかというところが、私はいつもモヤモヤしています。ハーバード・ロースクールのローレンス・レッシグ教授がもう20年以上前に、社会の行動を規制する4要素として、法律・市場・社会規範・アーキテクチャー(技術)を挙げていますが、その枠組みで言うと、社会規範の一形態として、社会的評判が、企業の行動を変えるための1つのベクトルとして働くことは、あって然るべきだと言えると思います。¶091
日本とアメリカの非常に大きな違いの1つは、この社会規範の強さだと思うのです。例えば、コロナ禍のとき、法律で決められていなくても、日本では全員マスクをする、そして海外からいらした方もそれを見て全員する、マスクをやめるときも「やめていいですよ」と政府が言って安心させる、というのが、分かりやすい例です。一方、法律で義務付けられたとしても、私にはマスクをしない権利があるという人がいるのがアメリカでした。どちらがいいのか、というのは、場面によっても違うので、一概には言えません。¶092
ただ、行政指導の話に戻ると、アメリカの本社と話していて、すごく分かってもらいづらいものの中に、この行政指導に従うことの必要性があります。「罰金は幾らですか」「ないです」、「サンクションはありますか」「ないです」、「では、やらなくてもいいのでは?」「いや、そういうわけにはいきません」、「事実上強制力があるということですか」「そうです」、「分かりました。でも、内容が不服だから、従うとしてもまず上訴して内容を修正しましょう」「できません」、「なぜですか」「理屈上は強制力がないからです」、というようなやりとりから分かるように、法規制の中に法的拘束力のないものをおりまぜつつ、実質的に強制しようとする局面は日本特有の法的構造として存在していると思います。そして、適正手続を重視するアメリカ本社の立場からすると、すごく分かりにくいし、少しずるく見えるかもしれません。¶093
飯田行政指導については本当に従前から指摘されているところです。プラスの面もあれば、もちろんマイナスの面も多くて、個人的には、規制の根拠が分かりにくくなる点で長期的に見るとマイナスのほうが大きいかなと思っています。あれが力として作用する理由としてはいくつかありますが、今の例で言えば、行政機関からの評価のようなものを非常に重視してしまうという要因は大きい気がします。¶094
企業もそうですが、大学もそうであるわけです。文部科学省が言っていること、例えば授業のシラバスをこう書けとか予習と復習の時間の目安を示せとか、単なる指針なのに大学はそのとおりに従い、だんだん本来のルールと区別がつかなくなる。¶095
水野業法による許認可が関わっている場合は分かりやすいですけど。¶096
飯田それはそうですね。でも、許認可が特に関わっていないはずの場合でも同じなんです。¶097
野口もしこれを5回無視したら次は立法するぞ、というようなプレッシャーが、そこにあるのかもしれないですね。¶098
飯田実際にはそう言ってはいないのでしょうけれども、プレッシャーはあるかもしれません。あと、何か別のところで不利益を受ける可能性があるとか。目を付けられるのを嫌がるということ、それから社会の目を気にするということは背景としてはありそうです。国や行政に逆らうと周りの目も厳しくなるという場合もありますね。結局、先ほどの社会規範に戻ってくるのですが。¶099
野口そうだとすると、本当にコンプライ・オア・エクスプレインなのかというと、疑問に感じることもあります。コンプライしないけれどもその理由を説明することで納得してもらう、という選択肢は事実上存在しないようにも感じるときがあるのです。¶100
水野なるほど。先ほどからCGコードから共同規制、伝統的な通達行政などを例に日本企業のルールの捉え方を問題にしてきたわけですが、これはルールを課す側・設定する側の問題でもあるというご指摘と受け止めました。¶101
4 倫理など法以外の問題
水野最近、私自身もよく悩むところですが、必ずしも法的な問題でない相談が多くなっています。レピュテーションリスクはもちろん、倫理的な問題などが法的問題と切っても切り離せなくなってきています。先ほど法務機能の多角化の流れについてもお話しいただきましたが、こういう法的な問題以外の問題も法務として積極的に取り組んでいくのかどうかについてはいかがでしょうか。¶102
野口企業のほうがそこは法律事務所よりも楽かもしれないです。この問題の本質は何なのかと考えたときに、これは社会的な批判の問題だと思えば広報部を入れますし、政府との信頼関係を毀損する問題だということであれば、それは政府渉外部です。こんなにリスクを取っている企業とは契約できませんとパートナーが言ってくる可能性があるということであれば、それは営業部の問題です。問題の本質はいろいろあるのですが、我々はそれを振る先が同じ組織の中にあるので、常にそういう人たちとネットワークを築いていて、「これはうちに来たけれど、多分そちらの問題だよね、解決するにはどうしたらいいかな」という形でいつも相談できます。一緒に決めるときもあるし、完全に判断をお任せするときもあります。¶103
ここは、茅野さんのお話を是非お聞きしたいです。¶104
茅野2つあると思うのです。例えばレピュテーションの部類でもリーガルにとても関係するようなリーガルレピュテーション的なもの。これが本当に合法なのか違法なのかグレーなのかというときには、それは明らかに法務の管轄です。法務にあまり近くないレピュテーション関連でも、今度は法務の機能として、マネジメント(経営側)の善管注意義務を勘案し、妥当な経営判断というか、ビジネスジャッジメントルールの範疇となる結論を導き出すようなプロセスとなるようにマネジメントを支援するという役割を、法務はやはり担っているのだと思います。ですから、そのときには結論自体に法務としてイエスとかノーとかは言わないのだけれども。¶105
水野法律家は基本的人権など、法を通して民主主義国家における普遍的な価値について学んできた存在ですよね。そういう前提で、私はこういう場面で自分の意見が求められていると思って、結構意見を言いたくなってしまうタイプなのです。先端技術領域においてELSI(倫理的・法制度的・社会的課題)・RRI(責任ある研究・イノベーション)が重視されるようになってきている流れがありますが、不透明・不明瞭な領域において法的視点はそれでもやっぱり比較的に価値観がしっかりしている面があります。ですので、法務が価値創造に貢献できる領域の1つではないか、という仮説を持っています。¶106
野口そういう側面はあると思います。それに、外部の弁護士の意見は最終的に、それを受け取った企業がどう判断するかに委ねられていると見ることもできると思います。本当にそのとおりだなと思ったのなら、水野さんの意見は、最終的にはその経営者の方の意見になったわけですから。¶107
茅野それは特に大事だと思うのです。先ほどのイシュー・スポッティング(issue spotting)の話になりますが、たくさんのイシュー(課題)やリスクを並べられても、どれが本当に重要で、どれが重要でないかということが分かりません。フラットにイシューが見えている世界に、外の世界や他企業のこともご存知の外部の弁護士も入って、イシューにメリハリを持たせ、課題の重要度合いを明確にする、というのはまさに先ほどの経営判断の議論に戻ってきますが、とても大切だと思うのです。¶108
野口おっしゃるとおりですね。¶109
茅野そのような声というのは、最後に採択しないかもしれないけれども、それを知っていると知らないとでは全然違います。¶110
Ⅳ 法務の能動性
1 組織としての受動性と態度としての能動性
水野法務が価値創造に寄与できることを前提としたときに、法務が受動的であってはならない、法務にも主体性、能動性が必要だという意見がよく言われています。¶111
茅野これは実務的には、絶対能動的になっているほうが楽ですよ、法務の人間としては。なぜなら、最後にギリギリになって契約のドラフトが出てきて、明日までにこれ見てくださいと言われたら、できないですし。¶112
野口もっと早く入れておいてくださいという話ですよね。¶113
茅野大変実務的なコメントですが、最初のプロポーザルの段階から営業部署と一緒に作業をしていれば、とても楽なはずです。¶114
野口態度としては、できるだけ早くから情報をキャッチしておくことは大切です。普段からいろいろな人とネットワークを広げておいて、最初の端緒は「今こんなことをやっていて」というちょっとした雑談であったりするのですが、「ああ、そうですか、では次回一度会議に呼んでください」という形で早くからプロジェクトに関わっていく。ですから、いろいろな所から積極的に情報収集するという意味では、能動的であるべきだと私は思いますし、先ほどの水野さんのお話もそうですが、言うべきか言わざるべきかと思ったときに、純粋に法的な話ではないかもしれないけれども、こうだと思うよと意見を言うということも含めて能動的であるべきだと思います。しかし、私は法務というのは、自分から問題を作りにいくわけでもなければ、ビジネスを作りにいくわけでもない、やはりニーズがある所に応えるという意味では常に受動的な存在ではあるとは思います。ただ、そのように性質が受動的かということと、態度が受動的か能動的かというのは少し違う話で、態度は能動的であるべきだと思いますね。¶115
水野野口さんがおっしゃった組織の性質としての受動性と、態度としての能動性の分け方というのは、茅野さんも同じような考え方ですか。¶116
茅野似ていますね。例えば営業部署と法務部が同じ建物の中にいると、法務部に入る情報量は圧倒的に多くなります。エレベーターの中で会って、案件の話を少しするだけでも違います。そのような会話を通じて、案件の進捗度合いが分かったり、場合によっては、法務部が考えていたよりも進捗が早いので、もう少し具体的に話を聞く必要があることを認識したりします。¶117
野口おっしゃるとおりですね。¶118
水野態度としての能動性を確保するためにどのような工夫があり得るでしょうか。¶119
茅野例えば会議に際しても、法務部に来てもらうのと営業部署に行くのだけでも違いますよね。営業担当から法務担当に電話がかかってきて会議を依頼された場合、では法務部に来て打合せをしましょう、ということももちろんできるけれども、そうではなく、そちらの営業部署に行って、その部署内を歩き回ると、別に関与している案件の担当者がいて、その人とも立ち話ができたり、小さなことでもそういう工夫はできると思います。¶120
野口私も、いろいろな人とまめにキャッチアップする重要性はあると思います。ですから、1~2週間に1回必ず会っている人たちもいますし、経営会議に出ればいろいろな部署からの話も出てきます。その中できちんとボールをキャッチしたり拾ったりして次のアクションを起こす、またはそれをやっている人にちゃんと伝えてアクションを取ってもらう、というアンテナの高さは必要だと思います。あとは、興味を持って臨むことがすごく大事ですね。¶121
ただ、私は、ビジネスの話を聞いてもあまり心に刺さらないという法務の人はいてもいいと思うのです。この人は鉄オタで、この人はアイドル推しで、というのと同じように、自分のアンテナに響くものと響かないものは、全員ある程度生まれ持っている部分もあるし発展できるものもある。最後には全員が自分の強みを活かして活躍することが一番成功すると思っています。¶122
ですから、「(企業内)法務の成功例はこうだ」という情報はいろいろあるけれども、1つの像を絶対条件だと思って、これができなければ成功しないと思う必要はなくて、法務という仕事の中で、自分の得意なところを活かした仕事のやり方を見つけていけばいいと思います。なぜなら、法務の貢献の形は実に多様なわけじゃないですか。法務部員が本当にたくさんいるGoogleのような企業に勤めていれば、仕事の内容もやり方も1つではなくて、すごく多様なんだということが実感をもって分かる。いろいろなタイプのリーダーもいます。私はプライバシーにしか興味がないですといったらその専門家になればいいし、ゴシップが大好きならそれに適した仕事もあるし、技術の話を聞くとワクワクするならそこに近い仕事もある。自分をよく知って、自分のスキルが活かせる所で能動的に貢献するということが、すごく重要だと思います。能動的に動くことが性格的に苦手な人でも、来たものを丁寧にやることが大切という仕事もあると思います。¶123
茅野来たものだけをやるというのは、どうなのでしょうか。もちろん、そういう仕事のやり方もあるでしょうが、あまりその組織で評価されないですよね。¶124
野口でも、役割によっては、それで仕事のほとんどが成り立つものもある気がします。例えば、エマージェンシー・レスポンス(危機対応)の人は、自分から危機を作りにいくわけではないですし。¶125
茅野本当に、全くのエマージェンシー(危機)であれば話は別ですが、予兆のある「エマージェンシー」も多く存在するのではないでしょうか。起きてみて、起こるべくして起きたような事象。法務として、コンプライアンスの観点からこの案件や事案には、懸念要素があるから、将来的に何か起き得る可能性を否定できないし、むしろ、気を付けなければならない、というものもあります。ある意味、「フラグを立てなければならない」案件に対して、アンテナを張るようなトレーニングが重要かと思います。それはやはり能動的なマインドセットだと思います。ですから、単に待ちだけの姿勢というのは、難しいのではないでしょうか。¶126
野口そうですね。例えば、苦情のレスポンスをしている人も、同じように受け身な仕事かもしれませんが、そのうちに、こんな苦情が多いなということに気付いてきて、それを根本的に解決するためには何をすればいいのだろうと考えられるようになると、確かに次のレベルに行ける気がします。そういう意味では、自分で考えることはとても大事ですね。そうすれば、マネージャーとしては、じゃあこうしてみたら?というふうに、能動的に動くように背中を押してあげられる気がします。¶127
2 コンプライアンスの捉え方
水野法務の能動性について考えるときに、前提となるコンプライアンスに対する意識やルールの捉え方が重要になってくると思います。私がよくする話として、コンプライアンスの定義をオックスフォード・ディクショナリーで調べると「wishまたはcommandに従って行動すること」とされており、日本でよく和訳されている「法令遵守」という言葉はcommandしか訳されていないため誤訳なんじゃないか、コンプライアンスというのはルールを遵守するだけではなく、もっと複雑な概念なんじゃないかということがあります。ここで飯田さんにお話しいただきたいのですが、飯田さんが共編著されている『リーガル・ラディカリズム』(有斐閣、2023年)等において、ルールやコンプライアンスの新しい捉え方について書かれていますが、今のご議論をどのように聞いていらっしゃったでしょうか。¶128
飯田コンプライアンスと言うとき、単なる法令遵守を超えた倫理とか社会規範とかも対象に含まれるということは、多くの企業に認識されつつあるのかと思います。ですが、日本で社会規範と言うと、つかみどころがなくてなかなか難しいですよね。先ほどの話とも関係しますが、日本では「社会からの期待」が非常に重視されて、社会規範が強すぎるということがあります。そのことは企業法務の文脈で出てくるコンプライアンスでも同じで、冒頭の報告書では「社会からの期待」がキーワードの1つとされ、それに法務機能がどのように応えるかということが問題とされています。¶129
水野いかに実験を許容するとか、あるいは失敗を許容するとか、それを前向きに捉えていくといったことを、どのように日本の社会に埋め込んでいくか、日本の企業に埋め込んでいくかということを考えたとき、ルールやコンプライアンスの考え方、捉え方を変えていかなければいけないのではないかという問題意識を私は持っています。飯田さんが書かれている、「ルールを破って育てる」視点というのは、そのような問題意識と一緒なのでしょうか、違うのでしょうか。¶130
飯田大体同じようなことかと思っています。『リーガル・ラディカリズム』の中の論文で書いたのは、簡単に言うと、ルールは破られることを通じてこそ育っていくのだ、ということでした。¶131
ルールを破るということには、少なくとも3つほど効用があります。1つは、関係している人たちの利害が一致しているという錯覚を崩して、非効率な不文律が発生することを防ぐ、ということです。ただし、破る際には理論による根拠付けを経る必要があって、これは先ほどのエクスプレインの話と同じです。ルールを破る理由をちゃんと説明することは、結局のところルールの存在理由を説明することと同等ですから、先ほどのエクスプレインと同じような話になるのではないかと思います。ただ破るだけだとよろしくない。¶132
水野ただ破るだけでは駄目だけど、破る理由等の説明があれば生まれてくるものがあると。¶133
飯田そうですね、ルールがちゃんと根拠付けられて、どういう根拠によってそのルールが存在しているのかといったことですね。ルールの独り歩きを防ぐことになります。¶134
2つ目は、「他でもあり得ること」を示すという効用です。ルールがあると、それが当然のように思われるということがあります。論文の中では柔道着の色の話を例として挙げました。柔道着というものは白とか生成りに限ると思われていたのが、現在ではそうではないわけです。重要なのは「ルールだから」で立ち止まらないということです。つまり、ルールによる思考停止を防ぐということになります。¶135
3つ目が、およそルールというものは誰かの利益を守るためにあるわけですが、どういう人の利益を守るのかということを更新していく、という効用です。ルールが守るべき利益の範囲は、多分ずっと更新していかなければいけないのだと思います。もともと存在するルールが比較的狭い範囲の人たちの利益しか考えていなかったということもありますので、もし守るべき利益の範囲を拡大したいのであれば、それまでのルールを破る必要があります。¶136
以上のことは企業法務を念頭に置かずに書いたのですが、これが企業法務の中でできるのかどうかですね。どういう条件があれば、今話したようなことができるのか。特に社会規範が強い日本でどうするか。¶137
水野この議論を企業法務について考えると、企業内の働き手としての法務部員としての立場、価値創造や経営判断に貢献していく法務機能としての立場などでも受け止め方が違いそうです。¶138
飯田もしかすると、それは区別する必要があるかもしれません。¶139
水野ルールを静的に捉えるか動的に捉えるかというのは、欧米と日本の差異としてよく語られますが、これはどうしようもないものなのですか。¶140
飯田おそらく、ルールというもの自体のイメージなのでしょうか。先に「正しいこととか適切なことというのを求めてしまう」という話がありましたが、どこかに「正しい」解釈がある、という前提があるのかもしれません。¶141
水野これは、いわゆるよくある判例法か大陸法かという法体系の対比の話なんでしょうか。日本の法学が歴史的に法解釈学に注力してきたこともあるかもしれませんが。¶142
野口私は、教育のあり方も少し影響していると思います。親になって子供の受けている教育を見ながら思うのは、高校生ぐらいまで、日本の教育では基本的に、正解のある問題を与えられて、その正解にたどり着く訓練をやることが大半を占めていますよね。正解がない中で考えてやっていく訓練をあまりしませんし、「余計なこと」を言ったり考えたりすると怒られることすらある。そして、校則などのルールは守るべきだということにもすごく厳しくて、ルールの理由を考える訓練もほとんどしない。私は、読み書きが苦手なお子さんの支援をしている「読み書き配慮」というグループでボランティアをしているのですが、政府が合理的配慮として、試験の際にデバイスを使って読み上げをしたりタイピングをしたりしてもよいとガイドラインなどで書いていても、「一人だけ例外を認めることはできません」とルールを変えたり例外を認めたりすることにすごく消極的な学校が日本にはまだまだたくさんあります。真剣に配慮に取り組んでくださる学校ももちろんあって、その違いは結局、校長先生や担任の先生が、試験・授業・評価のやり方といった学校のルールを、目的や状況に応じて柔軟に適用できると理解されていらっしゃるのか、ルールを絶対視されていらっしゃるのか、という点に帰結すると最近感じています。この点、海外の学校の先生方のほうが、合理的な根拠があればルールを変えるのは当然だと考えていらっしゃる方が多い印象です。¶143
茅野私は中学生で渡米し、現地の学校に入りましたが、一番驚いたことが、生徒が先生に対して、なぜその校則が必要なのか、と質問するのが当たり前であり、先生もまた、その質問に対して、ロジカルに答える場面です。授業中、生徒が大きなマフィンやピザを食べていました。日本では考えられない光景です。先生が注意すると、生徒が「何で?」と聞いたのです。それに対して、先生は、きちんとエクスプレインできたのです。不衛生で、食べこぼしがあると、ネズミが出てくるリスクがあるからと。単にルールだから飲食禁止、なのではなく、なぜそのルールが存在するのかということを先生が説明した、ということに感心しました。¶144
先ほどマスクの話があったので、コロナ禍でのマスク着用ルールについて少し話をしたいと思います。日本はコロナ前からマスク着用が日常的だったので、コロナ禍でも皆マスクを着用していたと思います。私はたまたま2017年~2022年までニューヨークに駐在し、コロナ禍のニューヨーク・シティを体験しました。ご存じのとおり、ニューヨーク・シティは当時感染者や死者も多く、悲惨な状況になりました。そして、マスクは公共の場でしなくてはいけない、という法律が施行されました。¶145
それまでは、ニューヨークではマスクをする習慣がありませんでした。しかし、マスク着用の法律が施行され、多くの人達がこのルールをきちんと守ろう、他者に守らせよう、と一生懸命になり、逆にマスクを着用していない人たちとスーパーや地下鉄の中で口論になったりしました。その後、コロナも落ち着き、マスク着用も不要とされたときのトランジションは実に興味深かったです。普段は、自由を好み、ルールであっても、ましてやルールでもなければ、何をしても容認するはずのニューヨーカーが、マスクをしていない人たちに対して結構冷たい目で見るようになったこと。この変化は何だろうと思ったのです。もちろん、公共衛生が関係することですから、普通の規則とは比較できないかもしれませんが、マスク着用という全く新しいルールができ、多くの人達がルールを遵守するようになり、そのルールがなくなった後もある一定の期間、前のルールが、新しいノーム(norm)、行動基準のように変化した。これは社会現象的に面白いと思いました。¶146
野口なるほど、面白いですね。やはり、茅野さんのおっしゃったように、納得できる理由のあるルールであるかどうかというのが、大切なのかもしれないですね。¶147
茅野そうかもしれないです。公共衛生という。¶148
野口コロナは、ほかの人に感染させてしまうリスクがあるから、自分だけ病気にかかっていてもいい、というわけではない。人に迷惑がかかるから、社会の共同体としてルールが必要だということに対して、すごく納得できるものがある。¶149
教育の影響だけが全てではないかもしれませんが、何でこのルールはあるのか、何でこのルールを自分は変えたいと思うのか、変えることによってもっとこんなふうに良くなるということを自分で考えて提案し、議論したり行動したりするエネルギーが日本には少し欠けている気がします。逆にこれが正解だからやっておいてくださいと言われると安心するというか、そういうメンタリティーがすごく醸成されてしまっている気がするのです。¶150
茅野アメリカの判例制度と言いますか、法制度が判例の積上げで成り立っている、というのは大きいように感じます。¶151
野口法が発展していくものかどうかという。¶152
茅野発展するものだと思います。¶153
野口日本でも法学部に行くと、法はもともと動的なものだと教わります。それこそ、憲法13条の幸福追求権の中に、プライバシーが入ってきて、環境権が入ってきて、時代とともに社会のニーズに応えて発展する動的なものだということも習うわけじゃないですか。もちろん日本の判例に拘束力はないけれども、そういう動的な機能も日本の法体系のなかに存在しているはずですよね。¶154
飯田あります。あるのに、ということですよね。¶155
茅野アメリカですと大変に日常的な事案が、判例(ケーススタディー)として出てきます。したがって、人々の中で、法律はある意味生活の一部になっているのかと思います。¶156
Ⅴ 法務と経営
1 日本企業の経営層は法務をうまく使えていない?
水野リーガルオペレーションズもそうですが、法務も経営や事業の中で位置付けて議論されるべき意識が高まっていると思います。そのような中で、法務部門の意識改革も必要なのですが、経営層の意識改革も必要なのではないか、経営層が法務をうまく使えていないのではないか、という問題意識も出てきています。経営層が法務機能をうまく使えていないのはなぜなのか、うまく使うためにはどうすればよいのかについてご意見いただけますか。¶157
茅野法務を使うという表現がどうなのかなと思いました。「使う」とか「使われる」という関係ではないように思いました。¶158
結局企業というのは、経産省の報告書で言うところの「事業」ですが、案件がいろいろ育ち、そのビジネスが前に進むことが会社にとってとても重要なのです。なおかつ今日、まさに国内のM&Aや、海外のM&Aが日本の企業でも増えている中で、より高度な法務機能が求められています。結果、法務機能が経営者の目に、より留まるような形になってきているのかとは思います。法務部も頑張らなければなりません。難しい案件を作り上げるチームの中の重要なパートナーとしての法務の位置付けは、経営にとって認識されてきていると感じますが、そのような関係性は一朝一夕だとは思わないです。すぐに経営に認められるような法務部にはならないと思うので、案件関与の積上げを通じて経営に影響力を与えるのが重要でしょうね。¶159
水野では、経営層はそのことに気付く必要はないのでしょうか。¶160
茅野もちろん気付いてはほしいのですけれども。¶161
水野そこの意識改革を促すことをあえてする必要はないですか。¶162
茅野例えば先ほども話に出た企業法務ランキングなどは重要ですね。今日はステークホルダー資本主義という言葉がまだ出てきていないですけれども、企業にはいろいろなステークホルダーがいるわけです。企業というのは、ある意味、単に業績だけではなく、いろいろな観点から評価される時代になってきました。企業の財務面のみならず、非財務面が重要になってきている状況下、ある企業の法務部が外部による評価を受けているのかどうか、というのも、非財務の部分の1つの要素になってきています。このような評価を通じて、自社の法務部は外部評価される法務部なのだから、その法務部は企業の価値向上にも貢献している、ということになり、経営者もその点に気付く、ということかと思います。様々なランキングがありますが、中でも日本経済新聞がわざわざ企業法務のランキングを作成しているということは、法務の役割が経済にとって重要であり、この考えが、経済紙の読者層に定着してきているのかなと思います。¶163
水野法務部門または機能の外部評価が非財務情報としての重要性を持つというのは新鮮な視点でなるほどと思います。¶164
野口法務部に相談するメリットを見えやすくすることも大事ですよね。自分がやりたいことを手伝ってくれるのが法務なのだと思ってもらえたら、すごく価値が高いなと思ってもらえると思うのですよね。だから、どのようなことを法務はできるのか、ということを発信するのも大切かもしれないです。例えばM&AとかTOBとかは、法務のリードがないと、なかなか経営者1人でやることはできない。しかし、そうではないところでも、法務の意見を聞いてよかったというエピソードを、いかにたくさん共有できるか。それができれば、「法務はそんなに重要ではない」と言う経営者の方は減るのではないでしょうか。結局、あまりうまくアピールできていないということなのかもしれません。¶165
水野どうやってアピールされているのですか。¶166
茅野もちろん、まず日々の仕事もそうですし、案件を審査する過程において、法務部がどのような意見や見解を出すか、というところにも掛かってくると思います。¶167
野口そうですね。まさに、ジュリストのこういう座談会もそうでしょうし、もっとメディアなどで、法務の活躍している場面や価値、法務によって救われた事例、新しい活路が開けた場面などを経営者の方や法務のリーダーが語ってくださると、他の経営者の方がもっと興味を持たれるのではないかなと思います。¶168
2 リスクテイクする姿勢、文化の醸成
野口もう1つ重要な点として、Googleのようなすごくアメリカ的な文化の会社にいて、日本の組織と比べて違うと感じるところがあるとしたら、それは、リスクを取りたいと思っている人たちが、本当にリスクを取れるような土壌になっているのかという点だと思っています。こういうリスクはありますがこういうチャンスもありますというだけで、そのリスクは取れるかというと、そうではない。リスクを取るということは、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあるわけで、実は、うまくいかなかったときの対処こそが大切なのです。うまくいかなかったときに、それで自分のキャリアにバツが付いてしまって、左遷される、出世競争から外れる、となると、みんな自分の将来を考えて、リスクを取るのに慎重にならざるを得ないのです。その点、Googleは本当にはっきりしていて、正しいリスクの取り方をすれば罰せられない。もちろんリスクを取るときには、きちんと分析し評価するプロセスは大切ですし、その評価が誤っていたら問題ではあります。しかし、きちんとしたプロセスを経てリスクを取ると決めた、そうしたら、例えば後から規制当局から審査・訴訟されてしまったとなったときに、それで犯人探しなどは絶対にしないです。これは誰が決断したんだ、あなただろ、あなたの判断が悪かったから、こんなに何億円もの法律費用が掛かって、会社のレピュテーションも下がって、これは全部あなたのせいだと言われたら、次から誰もリスクテイクできませんよね。もちろん、反省すべき点はしなければいけませんが。¶169
水野企業におけるリスクテイクする文化をどのように醸成するかを考えたときに、反省の仕方、責任の取り方についてはまだ深掘りされていないテーマだと感じます。¶170
野口うまくいかなかったときには、Googleでもその反省会はきちんとやります。これは予見できたことなのか、リスクの評価が十分ではなかったのではないか、事前にリスク回避のためにもっとできたことはなかったのか。場合によっては、外的要因が大きいから仕方がない場合もあるかもしれない。再発防止策が必要なら検討して導入します。もっと大きな視点で見て、これは制度改革まで必要なことなのではないか、という場合もあります。この失敗からどう学んで、次に行こうかという、そういう反省会はするのですが、誰が責任を取るのか、という話になって、この人にバツが付くとか、そういうことはない。それが保証されないと、なかなかリスクを取る判断はできにくいと思います。¶171
水野心理的安全性ですよね。今のお話は法務部門の判断としても、そういう反省会みたいなものはやるものなのですか。¶172
野口それはもちろん関係者全員で、ですよね。だから、プロダクトや営業や政府渉外の部門の方が入るときもあるし、法務だけのときもあります。ただ、私がいつもチームに言っているのは、法務でないと見えないことというのはやはりある、ということです。専門知識もそうですし、ほかのプロダクトや営業などの部門は縦割りになっているけれども、自分たちは全てのプロダクトを見ているからこそ、このAとBの立場の整合性はどうだろうか、などの課題が法務には見える場合もあるなど、いろいろあります。ですから、我々としてもっと能動的であるべきことは何だったのか、どこまで強く言うべきだったのか、などは常に議論しています。特に弊社のように最先端のものをやっているときには、正解はまだどこにもない問題も多いです。そういう中での法務の役割や行動の仕方についての議論は、常にありますね。¶173
水野正解が見えづらい環境下で正しいリスクテイクをするためには、振り返りがより重要になるわけですね。そして、そのような振り返りにおいて組織的にも法務だからこそやれることがあるというのは示唆的だと思いました。¶174
Ⅵ 法務の未来
1 AIの影響
水野これからの法務に求められるものについて話していきたいのですが、法務においてもAIの影響に関する議論が出てきています。確かにAIによって法務の効率化というのが期待されてはいるのですが、本当に削減されるのか、かえって無駄な仕事や管理コストが増えるのではないかと言っている人もいます。AIが法務に与える影響や法務のこれからの姿について、いかがお考えでしょうか。¶175
野口まだよく分からないこともたくさんある中であえて個人的な意見を述べさせていただくと、これからAIが発展してくると、法務の質が変わるとは思います。やはりAIが得意な仕事と得意ではない仕事とがあって、AIのツールが進んでいるアメリカなどでは、例えば判例検索は、実際に法律事務所でジュニアアソシエイトにやってもらう場合とAIを使う場合だと、AIのほうが速い、安い、確実というのが見えてきているような分野もあります。他にも、関連する法令を引っ張ってくるなど、テキストとデータで完結する世界については、AIがある程度のレベルで仕事をできる未来は見えてきているのかなと思います。¶176
けれども、ウェブサイトや文書、データなどの文字情報ではくみ取れないものをくみ取っていくというのは、AIではまだ難しいのかなと思います。いろいろな状況を複合的に判断できる強さは人間のほうがまだまだ上ですよね。それこそ契約交渉だって、文言だけの世界ではないわけじゃないですか。¶177
水野おっしゃるとおりですね。¶178
野口契約書には書いていないその企業と企業のポジションの違いもありますし、交渉している方同士のパーソナリティーもあって、強気に出るほうがいいのか、そうではないのかの判断も必要です。Aさんから言って駄目だったら、この部長がこの人と仲がいいから、そのルートで話を持っていけば聞いてもらえるかもしれないとか、そういう戦術も含めて人間というのは、もっと複合的に動いています。ツールで確実に代替できるところは代替しつつ、そこで節約した時間で、AIでは代替できないところにもっと注力していくような感じにはなるのかなとは思います。¶179
茅野私も全く同感で、一番簡単な契約と言われている秘密保持契約ですら、AIでもそれほど簡単にできないと。よっぽど何かひな型化しているのだったら別ですけれども、当社が結ぶような秘密保持契約は、私はAIに任せられないと思いますね。¶180
野口どこからどこまでの情報を定義するのかとか、すごく戦略的なこともありますよね。¶181
茅野そうですね。本当に戦略的で、難しい。¶182
野口一方で、比較的定型的な審査もあると思うのですよね。与信審査とか、アルゴリズムにバイアスが入り込んでいないかという問題はあるけれども、もし本当に公平なアルゴリズムができたら、それは人がやるよりも、余程公平で正確になるかもしれない、という議論もありますよね。そういう意味で、定型的な作業については、その質を担保するために、むしろ積極的にAIを活用すべきかもしれないということも、これから議論されていくかもしれません。逆に、法務の人はますます、定型的ではない作業、すなわち総合的な価値創造というか、法律の知識だけに縛られない広い視点で総合的に、かつクリエイティブに物事を考え判断していくことが必要になっていくように思います。¶183
水野広い視点、視野がいま法務に求められているというのが本日のここまでのお話だったと思いますが、それがますます加速していくかもしれませんね。¶184
野口だけれども、法律家である限りは法律に詳しくなければいけないので、そこはベースとして大切にしたいところです。¶185
2 AIに代替されない法務の価値
水野AIが普及すると、法務の機能は縮小していく方向にいくのでしょうか。¶186
茅野いや、縮小どころか、どんどん広がっていくと思います。¶187
水野その広がる部分というのはどこなのか。皆さん気になっていると思います。¶188
茅野経済安全保障の観点もそうですし、それからSDGs、ESG、またステークホルダーも大勢いる中で、最終的に企業は自分がこういう会社でありたいとか、企業のアイデンティティーというのを求められるような時代になってきていると思っています。この点においては、当然いろいろなステークホルダーの意見、声というのをくみ上げていかなければいけない中で、当然法律に関係する部分も多くあります。¶189
野口そのあたりもこれから動いていくところはあるのでしょうね。¶190
水野法務機能がより多様化・多元化し、法務部門だけでなく他部門にも溶けていくみたいなイメージは湧くのですけれども。¶191
野口溶けていくというか、社会はどんどん複雑化していると思います。例えば経済安全保障1つを見ても、すごく複雑化していますし、アメリカは特にそうですけれども、何が正しいかということ自体を共有できない人たちもたくさん出てきている中で企業はどのようにポジションを取っていくのか、求められている判断もどんどん複雑になってきていると思います。AIによって生み出されていく問題もたくさんあって、そこに対して対応もしなければいけませんし、全く仕事がなくなってしまうというのは、私は幻想だと思います。けれども、例えば電話が最初に登場した時には必要だった電話をつなぐオペレーターの仕事が、その後の産業革命で機械に取って代わっていったように、AIに代替されていく仕事はあるかもしれない、とは思います。だから何が人間の得意な仕事で、何がAIの得意な仕事なのか、何をAIに任せてもよくて何を人間が判断するべきなのか、というのは、だんだん見えてくると思うのですけれども、そこへ向けて、人間も考え続けたり、場合によっては自分の仕事を柔軟に変化させたりすることは、必要なのかもしれないなと思います。¶192
水野そういう意味でも、やはり態度としてのプロアクティブさはより求められてくることになりそうです。¶193
野口そうですね。あと、AIに頼りすぎて考えることをやめてしまわないようにしなければいけないと思います。いくらAIが文章を読んで解釈できるからといって、自分で文章を読んで解釈することをやめてしまったら、その脳のスキルはだんだん退化してしまわないとも限りませんよね。これからますます情報が増えていく中で、人間が全ての情報に目を通せるわけではないかもしれませんけれども、AIならできるかもしれない。しかし、だからといって、文字情報の処理を全てAIに頼ればよいというものでもないように思います。どこに自分の時間とパワーを割くことが一番大切なのかを我々人間が考え、見つけていかなければいけないのだと思います。¶194
3 これから法務を担う方へのメッセージ
水野まだまだ話し足りないところですが、時間が尽きてきてしまいました。では、最後に今日、印象に残ったこととか、あるいは読者、特にこれからの法務を担うかもしれない方々へのメッセージをいただけたらと思います。まず、飯田さんからおうかがいしてもいいですか。¶195
飯田本日は実務に関するお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。私自身、法務のイメージが大きく変わった気がいたします。社会が複雑化していく中で、企業の法務機能は、今でももちろん重要な役割を担っていますし、これから先がどのようになっていくか、どのような重要な役割を担っていくか非常に楽しみです。¶196
あと、印象に残ったことと言っていいのか分かりませんが、正解を求めすぎないということ、これが結構大事なのだなと感じました。「正解がない状態に耐える力」というのは重要なのだという気がします。その力をどのように養っていくか、私には分からないのですけれども。¶197
水野法学部の学生とか、正解が好きな方が多いイメージがありますね。¶198
野口でも、それは法学部に入って、急にそうなったわけではないのかな、と思います。ずっとそのようにトレーニングされてきたから、そう考えてしまうのでしょうね。¶199
飯田その点では、ロースクールも法学部と同じですね。¶200
水野私は法学部とロースクール双方の出身者なので耳が痛いところがあります。飯田さん、ありがとうございました。では、野口さん、お願いします。¶201
野口今日は、法務の中でも広く法律の専門家というように捉えたときにはいろいろなパスがあるということがご紹介できたかなと思います。最近、あまり学生さんが法律家になりたがらないというお話を聞いたりします。弁護士になると法律事務所に入って夜中2時まで働かなければいけないらしいけれど、それは自分のやりたいことではないから弁護士にはならない、だから法学部にも行かない、というように、限られた情報をもとに切り捨ててしまうのだとすると、それはすごくもったいないと思いますね。法学は判断力のベースを養うとても良い学問だと思いますし、法律やルールを深く考える素養があることで、その後どこの分野に行っても活躍できる、という意味で、本来とても裾野の広い学問分野です。その後、法律の専門家になったとしても自分の強みを活かしたたくさんの道があることをぜひ知ってほしいです。論理が好きだったり、修羅場に強い人は訴訟弁護士が向いているかもしれませんし、ビジネスを一緒に作るのが楽しい方は、現場で営業と一緒に仕事をすることもできるかもしれません。何かの専門家にもなれるし、最終的にジェネラルカウンセルになるのであれば、やはりある程度広い視点も必要だと思います。¶202
そこの中には本当に多様な法律家のあり方があって、いろいろな法律家の話を見たり聞いたりすることによって、自分に合う楽しい法律家のあり方というのは必ず見つかると思います。そういう意味で、学生さんには視野を広げてほしいですし、法律家の方で、今やっている自分の法律業務が好きではないなと思っている方も、ほかにいろいろな選択肢があると思います。自分の強みを活かして社会に貢献できる道は本当に広いと思うので、是非楽しく法務をする仲間に加わっていただきたいなと思います。¶203
水野ありがとうございました。最後に、茅野さん、お願いします。¶204
茅野最初の議論に戻りたいと思いますが、1600号ということで、ジュリストが創刊された約70年前の1952年と比較すると、今の日本の企業はとても変わりました。日経平均がこのように高い水準になることは、70年前の人は予測していなかったでしょう。対米投資も日本が1番ですし、海外からの対日投資も活発になっています。法務はM&A案件だけではないですけれども、企業の国際的な競争という中において、特に今日、法務の果たせる機能はとても大きいと思っています。特に私の場合はロー・ファームから法務部に入り、そして経営に行き、監査役も経験した観点から、法務の素養はどの場面においても重要で、助けられました。¶205
なので、法律を勉強している人たちというのは、もちろん外の弁護士事務所に行ったり、法務部に来るということもあると思いますけれども、それ以外の場面でもどのような形であれ、日本の国際化にますます寄与できる、すごく面白い時代に今いるのではないかと思っています。¶206
水野皆さま、ありがとうございました。これまで法務という分野、あるいは法というもの全般に対して、面白いもの、楽しいものであってはいけないような空気すらあるように感じてきました。ですが、本日、印象的だったのは、法務がこれほど面白いのだということを企業法務の最前線にいらっしゃる茅野さん、野口さんのお二人が繰り返しおっしゃっていたことです。このような法務の面白さ・楽しさは意外と語られてこなかったのではないかと思います。また、飯田さんには、現代の法務の動的な有り様を法社会学的な視点から位置付けていただくとともに、法務におけるルールやコンプライアンスの捉え方に対するご示唆もいただき、俯瞰した視点をご提供いただきました。¶207
野口たしかに、法務の面白さを語る機会はあまりないですよね。¶208
茅野自分たちは専門的な黒子みたいなところがあるかもしれないですね。歌舞伎でいう黒衣、そういう職人的美しさというのを求めているかもしれないですね。¶209
水野そういう静的な側面もあるのかもしれませんが、先ほど出てきた「ビジネスイネーブラー」や「プロダクトカウンセラー」などの法務人材のイメージやあり方だけでも、法務に関する全然違った躍動感を感じてもらえると思います。¶210
野口そうですね、そういう面白さをもっと社会に浸透させるというか、経営層に対しても、これから法務になりたい人に対しても、まだまだ伸びしろがあるかもしれないですね。¶211
水野法務は面白いし、まだまだ伸びしろがあると。ジュリスト1600号という記念すべき座談会をポジティブな言葉で締められることをうれしく思います。皆さま、本日は長時間ありがとうございました。¶212
[2024年5月31日収録] ¶213

