FONT SIZE
S
M
L

Ⅰ 事実

本件において、X(原告・被控訴人・上告人)は、映画製作会社であり、Y(独立行政法人日本芸術文化振興会。被告・控訴人・被上告人)は、独立行政法人日本芸術文化振興会法(以下「振興会法」という)及び独立行政法人通則法の定めるところにより設立された独立行政法人であり(振興会法2条)、芸術家及び芸術に関する団体が行う芸術の創造又は普及を図るための活動を行うことなどにより、もって芸術その他の文化の向上に寄与することを目的としている(振興会法3条)。¶001

平成30年11月、Xは、「宮本から君へ」と題する劇映画(以下「本件映画」という)の製作活動につき、Yの理事長(以下、単に「理事長」という)に対し、理事長の定める「文化芸術振興費補助金による助成金交付要綱」(以下「本件要綱」という)に従って、文化芸術振興費補助金による助成金(以下「本件助成金」という)の交付要望書を提出した。平成31年3月、理事長は、本件要綱に基づき、外部の有識者で構成される芸術文化振興基金運営委員会(以下「基金運営委員会」という)が上記製作活動に係る要望を採択すべき旨の答申をしたことを受け、上記製作活動を助成対象活動とする交付内定(以下「本件内定」という)をしたが、その直前に、本件映画の出演者の1人(以下「本件出演者」という)が、コカインを使用したとして逮捕され、令和元年6月、麻薬及び向精神薬取締法違反の罪により有罪判決(以下「本件有罪判決」という)を宣告され、本件有罪判決は確定した。同年7月までに、Xは、本件内定に係る助成金交付申請書を理事長に提出したが、理事長は、本件映画には本件有罪判決が確定した本件出演者が出演しているので「国の事業による助成金を交付することは、公益性の観点から、適当ではない」として、本件助成金を交付しない旨の決定(以下「本件処分」という)をした。そこで、同年12月、Xは、本件処分の取消訴訟を提起した。¶002

第1審(東京地判令和3・6・21判時2511号5頁)は、Xの請求を認容したが、控訴審(東京高判令和4・3・3判タ1505号41頁)は、第1審判決を取り消したため、Xが上告及び上告受理申立てに及んだ。¶003

Ⅱ 判旨――破棄自判

1

「本件助成金については、振興会法や補助金等適正化法〔補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律〕に具体的な交付の要件等を定める規定がないこと、芸術の創造又は普及を図るための活動に対する援助等により芸術その他の文化の向上に寄与するという本件助成金の趣旨ないしYの目的(振興会法3条)を達成するために限られた財源によって賄われる給付であること、上記の趣旨ないし目的を達成するためにどのような活動を助成の対象とすべきかを適切に判断するには芸術等の実情に通じている必要があること等からすると、その交付に係る判断は、理事長の裁量に委ねられており、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した場合に違法となるものというべきである。」¶004

2

「そして、Yは、公共の利益の増進を推進することを目的とする独立行政法人であり(振興会法3条の2、独立行政法人通則法2条2項)、理事長は、本件助成金が法令及び予算で定めるところに従って公正かつ効率的に使用されるように努めなければならないこと(振興会法17条、補助金等適正化法3条)等に照らすと、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動についても、本件助成金を交付すると一般的な公益が害されると認められるときは、そのことを、交付に係る判断において、消極的な事情として考慮することができるものと解される。」¶005

3

(1)

「もっとも、本件助成金は、公演、展示等の表現行為に係る活動を対象とするものであるところ(振興会法14条1項1号)、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動につき、本件助成金を交付すると当該活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されることを理由とする交付の拒否が広く行われるとすれば、公益がそもそも抽象的な概念であって助成対象活動の選別の基準が不明確にならざるを得ないことから、助成を必要とする者による交付の申請や助成を得ようとする者の表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性がある。このような事態は、本件助成金の趣旨ないしYの目的を害するのみならず、芸術家等の自主性や創造性をも損なうものであり、憲法21条1項による表現の自由の保障の趣旨に照らしても、看過し難いものということができる。そうすると、本件助成金の交付に係る判断において、これを交付するとその対象とする活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視し得るのは、当該公益が重要なものであり、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある場合に限られるものと解するのが相当である。¶006

以上に説示したところは、本件要綱に一般的な公益の考慮に関する定めがあるか否か等によって左右されるものではない。」¶007

(2)

「Yは、本件出演者が出演している本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、Yが『国は薬物犯罪に寛容である』といった誤ったメッセージを発したと受け取られて薬物に対する許容的な態度が一般に広まるおそれが高く、このような事態は、国が行う薬物乱用の防止に向けた取組に逆行するほか、国民の税金を原資とする本件助成金の在り方に対する国民の理解を低下させるおそれがあると主張する。このことからすると、理事長は、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、本件有罪判決が確定した本件出演者が一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし、上記のような公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視したものと解することができる。¶008

しかしながら、本件出演者が本件助成金の交付により直接利益を受ける立場にあるとはいえないこと等からすれば、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付したからといって、Yが上記のようなメッセージを発したと受け取られるなどということ自体、本件出演者の知名度や演ずる役の重要性にかかわらず、にわかに想定し難い上、これにより直ちに薬物に対する許容的な態度が一般に広まり薬物を使用する者等が増加するという根拠も見当たらないから、薬物乱用の防止という公益が害される具体的な危険があるとはいい難い。そして、Yのいう本件助成金の在り方に対する国民の理解については、公金が国民の理解の下に使用されることをもって薬物乱用の防止と別個の公益とみる余地があるとしても、このような抽象的な公益が薬物乱用の防止と同様に重要なものであるということはできない。¶009

そうすると、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、本件出演者が一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし上記のような公益が害されるということを、消極的な考慮事情として重視することはできないというべきである。」¶010

(3)

「そして、前記事実関係等によれば、理事長は基金運営委員会の答申を受けて本件内定をしており、本件映画の製作活動を助成対象活動とすべきとの判断が芸術的な観点から不合理であるとはいえないところ、ほかに本件助成金を交付することが不合理であるというべき事情もうかがわれないから、本件処分は、重視すべきでない事情を重視した結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものであるということができる。」¶011

Ⅲ 評釈

1 はじめに

本件は、著名な俳優の薬物事件とも関係して、耳目を集めた事件でもあるが、一般的にいえば、要綱に基づく補助金(助成金)の不交付決定の取消訴訟である。そして、要綱に基づく補助金の不交付決定は、それを争うための訴訟形式の問題はさておき1)国の補助金の不交付決定はいわゆる形式的行政処分に該当し、取消訴訟の対象となる(小滝敏之『補助金適正化法解説――補助金行政の法理と実務〔全訂新版(増補第2版)〕』〔全国会計職員協会、2016年〕110頁以下を参照)。地方公共団体の補助金の不交付決定については、さしあたり、深澤龍一郎「判批」新判解Watch【2022年10月】57頁以下を参照。、古典的な裁量学説によると、交付の要件が法令上は明確ではない(補助金等適正化法6条1項を参照)ことから(要件裁量説・形式説)2)佐々木惣一『日本行政法論総論』(有斐閣、1921年)602頁~606頁。、また、国民は交付請求権を有しないことから(効果裁量説・実質説)3)美濃部達吉『日本行政法上巻』(有斐閣、1936年)171頁。、裁量審査が困難なケースであるといえる。¶012

しかし本件は、第1審がXの請求を認容し、これに対して控訴審は第1審判決を取り消し、さらに上告審が控訴審判決を破棄してXの請求を認容するという経過をたどった。とりわけ第1審と控訴審は、裁量審査の方法及び基準について両極端ともいえる判断を示しており、また、上告審判決はこれらの下級審判決を前提としたものであるから、以下では、まず裁量審査の方法及び基準について下級審判決の内容を検討し、その上で上告審判決を検討することにしたい。¶013

2 裁量審査の方法及び基準

(1) 第1審――裁量基準に着目した審査方法

第1審の裁量審査の方法については、「裁量基準(審査基準)に着目した審査」を行ったものとの評価がある4)平裕介「文化芸術助成に係る行政裁量の統制と裁量基準着目型判断過程審査――映画『宮本から君へ』助成金不交付事件第一審判決を読む」法セ804号(2022年)2頁以下(4頁)。。第1審は、本件要綱のうち、①交付内定に当たって基金運営委員会の議を経ることとし、基金運営委員会に設けられた分野別の部会及びその下に設けられた各専門委員会における芸術的観点からの専門的知見に基づく審査の結果を踏まえて交付内定をすることとした上、かかる交付内定を受けた者(内定者)に交付申請をさせて交付決定をすることとしていること、及び、②交付内定後の事情の変更や不正の事実の発覚等によりそのまま交付決定をすることが相当でない場合については交付内定の取消事由を具体的に定め、そのような特段の事情がない限りは交付内定の判断が維持される仕組みを設けていることに着目し、①については、それが振興会法の趣旨を踏まえたものであるため、「理事長が内定者の交付申請に対して行う交付又は不交付の判断も、このような本件要綱の定めや仕組みを踏まえたものでなければならない」とし、また、②については、「交付内定の審査における芸術的観点からの専門的知見に基づく判断を尊重する本件要綱の定めや仕組みを踏まえてもなお助成金を交付しないことを相当とする事由を類型的に掲げたものとして、合理性を有するもの」としている。¶014

その上で、第1審は、本件要綱に取消事由として規定されていない事由を考慮して交付内定の取消し又は不交付決定を行うことについて、「公金を財源とする助成事業の性質上、公益性の観点から交付決定が不適当である場合について交付決定を行うことは助成の適正性の観点から相当でない」とする一方で、「その運用次第では、特定の芸術団体等に不当な不利益を与え、あるいはその自主性を損ない、ひいては芸術団体等による自由な表現活動の妨げをもたらすおそれをはらむものであることを否定することができない」と指摘し、裁量審査の基準としては、「交付内定の取消し又は不交付決定の根拠とされた公益の内容、当該芸術団体等に対し助成金を交付することにより当該公益が害される態様・程度、交付内定の取消し又は不交付決定により当該芸術団体等に生じる不利益の内容・程度等の諸事情を総合的に考慮して、交付内定の審査における芸術的観点からの専門的知見に基づく判断を尊重する本件要綱の定めや仕組みを踏まえてもなお助成金を交付しないことを相当とする合理的理由があるか否かを検討するべき」との基準を提示した。¶015

そして、第1審は、本件処分の適法性について、「本件処分の根拠とされた薬物乱用の防止という公益との関係で、Xに本件映画を対象とする本件助成金が交付されることにより、『「国が違法薬物の使用に対し寛容である」などという誤ったメッセージをYが発信したと受け取られ、その結果、違法薬物に対する許容的な態度が一般に広まるおそれがある』とするYの主張については、そのようなおそれがあると認めることができず(……)、他方、本件処分によりXに生じる不利益は、映画製作事業の実施に係る経済的な面においても、また、映画表現の重要な要素の選択に関する自主性の確保の面においても、小さいものということができない」と認定し、「〔上記の〕合理的理由があるということはできない」と結論付けた。¶016

(2) 控訴審――考慮事項に着目した審査方法

これに対し、控訴審は、Yの助成の対象、手続等について理事長の裁量を容認する際に、本件助成金の「恩恵的」「任意的」性格や、Yの業務の遂行の「公益性」を強調しており、この点がまずは目を引く。¶017

さらに、控訴審は、本件要綱について、振興会法その他の法令に根拠を持たないYの内部的な手続細則にとどまることや、最高裁平成27年3月3日判決(民集69巻2号143頁)(北海道パチンコ店営業停止命令事件)が前提とする処分基準(行手12条1項)とは性格を異にすることから、その法的拘束性を否認した上で、裁量審査においては、理事長の「判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討し、その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合、又は、事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものとして違法」となるとして、考慮事項に着目した「著しさの統制」5)この概念については、山本隆司「日本における裁量論の変容」判時1933号(2006年)11頁以下(15頁)を参照。という裁量審査の基準を提示した。¶018

そして、控訴審は、Yが主張する上記Ⅲ2(1)のおそれについて、第1審からは一転、これを肯定する一方で、本件処分によりXが受ける不利益について、「本件処分により本件映画の製作に重大な支障が生じたとは考え難い」などとして、「本件処分は、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものとは認められない」と結論付けた。¶019

(3) 検討

まず、本件要綱の法的拘束性について、下級審の見解には温度差がみられる。一般的にいえば、裁量基準とはその設定時点における処分庁の公益判断を示したものであるから、その後に処分庁が当該基準から離れて処分をしたというケースにおいては、行政庁が公益を追求しなかったのではないかとの疑いが生じうるため、裁量基準には、少なくとも後の処分において要考慮事項の1つになるという法的意義が認められるであろう6)深澤龍一郎「裁量基準の法的性質と行政裁量の存在意義」(初出2003年)同『裁量統制の法理と展開――イギリス裁量統制論』(信山社、2013年)59頁以下(133頁)。裁判例として、札幌地判平成16・3・18 LEX/DB 28091126宇都宮地判平成28・8・4 LEX/DB 25543859を参照。。もっとも、本件要綱がこうしたミニマムの法的意義しか有しないとすれば、本件要綱から離れて行われた本件処分の裁量審査においては、本件要綱は総合衡量の一要素となるに過ぎず、とりわけ本件要綱が後に改正されている(換言すれば、本件要綱を定めた理事長の公益判断自体が変化した)本件のようなケースでは、裁量審査の方法及び基準は、控訴審が提示したものに接近していくことになる。¶020

この点、第1審の裁量審査を「裁量基準(審査基準)に着目した審査」と捉える上記見解は、第1審を「裁量審査の場面において裁量基準の自己拘束性を一定程度認めたもの」と考え7)平・前掲注4)4頁。、その実質的な根拠を「行政手続の公正性や透明性、行政の恣意抑制、公表された行政規則に対する市民の信頼確保、予見可能性の確保といった処分基準の準拠を要請する判例の挙げる根拠」に求めるようである8)平・前掲注4)6頁。。たしかに、これらの根拠が本件要綱にも妥当する可能性はあるが、第1審の判決の文面にはこれらの根拠は表れておらず、むしろ、第1審は、本件要綱が振興会法の趣旨を踏まえたものであり、合理性の極めて高い基準であるとの評価に基づき、本件要綱から離脱する余地を限定しているようにみえる(ある見解は、第1審が本件要綱に拘束性を認めていることにつき、「『芸術の創造又は普及を図る』活動に対し資金を給付する(……)際の裁量が、基本的に要綱で尽くされていることを意味する」と指摘する9)野田崇「判批」令和4年度重判解(ジュリ1583号)(2023年)37頁以下(38頁)。)。本件要綱は本来的には法規に該当しないはずであるが、第1審は、本件要綱8条1項(理事長は、助成金交付申請書を受理したときは、その内容を審査の上、助成金を交付すべきと認めたときは助成金の交付決定をするとの規定)について、助成金の交付・不交付の決定が理事長の自由裁量行為であることを明記したものであるとのYの解釈を斥け、自らの解釈を提示している。¶021

本件要綱は、本件助成金の交付の要件や内容のみならず、基金運営委員会といった諮問機関の設置を含めて審査手続の全体を定める包括的なものである。とすると、なるほど、本件要綱が振興会法の趣旨を踏まえた合理的なものであることは是認できても、これが唯一の正しい基準かと問われると、肯定することには躊躇いを覚えざるをえない。そうすると、上記「処分基準の準拠を要請する判例の挙げる根拠」の助けを借りずに、本件要綱にミニマムの法的意義を超える意義を認めようとすれば、本件要綱が振興会法の趣旨を踏まえた合理的なものであることに加えて、例えば、Xからの本件助成金の交付要望を受けて、理事長が本件要綱に従って交付内定まで審査手続を進めていたことを踏まえ、首尾一貫性の観点から、最終の交付決定における本件要綱からの離脱が制限されるといった、もう一段階の説明が必要であったように思われる10)これはあくまでも試論に過ぎないが、裁量基準の法的拘束性は「裁判所の審査を経て発する部分もある」(常岡孝好「裁量基準の実体的拘束度――脱・手続的アプローチ、脱・自己拘束論」阿部泰隆先生古稀記念『行政法学の未来に向けて』〔有斐閣、2012年〕691頁以下〔709頁〕)との指摘に準えると、裁量基準の法的拘束性は「行政過程を経て発する部分もある」ことになろう。。いずれにしても、従来の裁量学説が要件裁量及び効果裁量を中心としたものであったのに対応して、裁量基準の法的性質の検討も処分の要件や内容を定める基準を対象としたものが中心であったのであり、本件要綱のような包括的な基準については、また別角度からの検討が必要であろう。¶022

他方で、控訴審の提示した裁量審査の方法及び基準については物足りなさを感じる。上記のとおり、要綱に基づく補助金(助成金)の不交付決定は、古典的な裁量学説によれば、裁量審査が困難なケースであり、とりわけ控訴審の判決は、外国人の在留の権利性を否定するとともに、在留期間の更新の許否の決定における「国益の保持の見地」を強調した最高裁昭和53年10月4日大法廷判決(民集32巻7号1223頁)(マクリーン事件本案訴訟)を彷彿させるところがある11)もっとも、泉徳治「マクリーン事件最高裁判決の枠組みの再考」自由と正義62巻2号(2011年)19頁以下(20頁)は、「マクリーン基準の中身が今日では実質的に変容している」と指摘する。。とはいえ、古典的な裁量学説の下では裁量審査が困難であったケースでも、今日的には、処分基準の存在を手掛かりに裁量審査を行うこと(前掲最判平成27・3・3を参照)のほか、当該処分が憲法上の人権に対して(間接的な)影響を及ぼしうるケースでは、それを手掛かりとして裁量審査を行うこと(最判平成8・3・8民集50巻3号469頁〔「エホバの証人」剣道実技拒否事件〕を参照)や、行政慣行の存在を手掛かりとして裁量審査を行うこと(最判平成18・2・7民集60巻2号401頁〔呉市公立学校施設使用不許可事件〕を参照)なども考えられるのであり、その意味において、控訴審は諦めが良すぎた印象は否めない。¶023

3 裁量審査の密度

これらの下級審判決の内容に照らすと、上告審は、本件助成金の交付に係る理事長の判断に裁量を容認する際に、本件助成金の「恩恵的」「任意的」性格や、Yの業務の遂行の「公益性」を強調していない(判旨1)点は、控訴審とは異なる一方で、裁量審査の基準として「著しさの統制」を使用している(判旨3(3))ことから、裁量基準にミニマムの法的意義を超える意義を認め、裁量基準に着目した裁量審査の方法を行ったものでないと考えられるのであり、これは第1審と異なる点である12)ただし、判旨3(1)の最後の「以上に説示したところは、本件要綱に一般的な公益の考慮に関する定めがあるか否か等によって左右されるものではない」との一文は、本件要綱に一定の法的拘束性を認める場合により大きな意義を有する。。既述のとおり、第1審及び控訴審がそれぞれ問題点を抱えていることを踏まえると、上告審の採用した裁量審査の方法及び基準は妥当なものと評価することができよう。¶024

考慮事項に着目した審査において1つの焦点となるのは、考慮事項の切り分け(考慮可能事項と考慮禁止事項の区別、義務的考慮事項と裁量的考慮事項の区別)13)考慮事項の種別については、芝池義一「行政決定における考慮事項」論叢116巻1~6号(1985年)571頁以下(572頁~573頁)を参照。であり、特に本件でまず問題となるのは、本件助成金の交付・不交付の決定において、振興会法3条に定める芸術以外の観点が考慮可能事項と考慮禁止事項のいずれに該当するかである。この点について、上告審は、振興会法を介して独立行政法人通則法及び補助金等適正化法を参照することによって、「本件助成金を交付すると一般的な公益が害される」ことを「交付に係る判断において、消極的な事情として考慮することができる」と解して、考慮可能事項として位置付けている(判旨2)。¶025

上記の点は、控訴審(さらには第1審)も同様であるが、上告審が控訴審と異なる説示をしたのは、その後で、「一般的な公益が害されること」を理由とする本件助成金の交付の拒否が憲法21条1項に定める表現の自由に(間接的な)影響を及ぼしうることを手掛かりとして、「消極的な考慮事情として重視し得るのは、当該公益が重要なものであり〔=ⓐ〕、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある場合〔=ⓑ〕に限られる」と解している点である(判旨3(1))。ここで「消極的な考慮事情として重視し得る」とは、判旨3(2)における用法を参照すると、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動につき、本件助成金の交付を拒否する事情として考慮しうるという意味であるから、(裁量審査の方法は異なるものの)第1審のいう「合理的理由がある」との認定に実質的に相応するものといってよいであろう(第1審が「自由な表現活動への妨げ」の可能性に言及していたことは、既述のとおりである)。¶026

その上で、上告審は、「薬物乱用の防止という公益」については、ⓑの具体的な危険があるとはいい難いと評価しており、これは、前掲最判平成18年2月7日が、公立学校施設の目的外使用許可の許否の判断について、「学校施設の使用を許可した場合、その学校施設周辺で騒じょう状態が生じたり、学校教育施設としてふさわしくない混乱が生じたりする具体的なおそれが認められるときには、それを考慮して不許可とすることも学校施設管理者の裁量判断としてあり得るところである」としつつ、当該ケースでは、具体的なおそれが認められない旨を指摘して、「重視すべきでない考慮要素を重視」したと評価したのと同様の審査手法である。また、最高裁平成7年3月7日判決(民集49巻3号687頁)(泉佐野市市民会館使用不許可事件)は、条例上市民会館の使用拒否が義務付けられている事由について、「本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、……単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である」と解した上で、当該ケースでは、上記の危険が具体的に明らかに予見される旨を認めている。¶027

察するに、当該公益が害される「具体的な危険」は、「単なる危険」と比較すると、現在により近接した未来の予測であることから、裁判所のより積極的な評価が可能であり14)深澤龍一郎「行政判断の構造」芝池義一先生古稀記念『行政法理論の探究』(有斐閣、2016年)287頁以下(308頁~309頁)を参照。、上告審判決は、この部分において、控訴審判決よりも裁量審査の密度を向上させたものと解される。¶028

さらに、上告審は、「本件助成金の在り方に対する国民の理解」という公益について、ⓐの薬物乱用の防止と同様に重要なものであるということはできないと評価している点については、古典的な裁量学説が公益を具体化する点に自由裁量の本質を求めている15)佐々木・前掲注2)601頁~602頁が明快である。ことを踏まえると、裁判所が公益の重要性をどこまで評価しうるかという疑問もありうるが、少なくとも法令や行政活動に依拠した評価は可能であろう(例えば、第1審は、「違法薬物の使用については、麻薬取締法その他の法令により刑罰規定をもって禁止され、現に、これらの法令に違反する行為については厳正な処罰の対象とされている上、厚生労働省等により薬物乱用の根絶に向けた啓発活動が強化され、そのための様々な取組が実施されている」ことを認定している)。¶029

4 「普遍的考慮事項」の概念