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Ⅰ 事実の概要

(1)

独立行政法人日本芸術文化振興会Y(被告・控訴人・被上告人)は、独立行政法人日本芸術文化振興会法(以下、「振興会法」)及び独立行政法人通則法(以下、「通則法」)の定めるところにより設立された独立行政法人である(振興会法2条)。Yは、振興会法3条が規定する目的のために、芸術家及び芸術に関する団体が行う芸術の創造又は普及を図るための公演、展示等の活動に対し、資金の支給その他必要な援助を行うこと等の業務を行っている(振興会法14条1項1号)。¶001

(2)

映画製作会社X(原告・被控訴人・上告人)は、平成30年11月22日付けで、映画「宮本から君へ」(以下、「本件映画」)の製作活動につき、Y理事長が定めた「文化芸術振興費補助金による助成金交付要綱」(以下、「本件要綱」)に基づき、Y理事長に対して、平成31年度の文化芸術振興費補助金に係る助成金(映画製作への支援に係るもの)(以下、「本件助成金」)の交付要望書を提出した。要望書を受理したY理事長は、外部有識者で構成される芸術文化振興基金運営委員会(以下、「基金運営委員会」)の答申を受けて、平成31年3月29日付けで交付内定(以下、「本件内定」)をし(1000万円)、Xに通知した。基金運営委員会は、その下に設けられた分野別の部会及び専門委員会における、芸術の専門家による芸術的観点からの専門的知見に基づく審査の結果を踏まえて、Y理事長の諮問に対する答申を行うこととされている。本件内定の内容等を受諾したXは、令和元年7月2日までに交付申請書をY理事長に提出したが、Y理事長は、令和元年7月10日付けで、本件助成金を交付しない旨の決定(以下、「本件処分」)をした。¶002

(3)

本件処分に係る通知書によれば、不交付の理由は、「本助成対象活動である映画『宮本から君へ』には、麻薬及び向精神薬取締法違反により有罪が確定した者が出演しており、これに対し、国の事業による助成金を交付することは、公益性の観点から、適当ではないため」である。ここで言及されている出演者(以下、「本件出演者」)は、本件内定前の平成31年3月12日、コカインを使用したとして麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、本件内定後の令和元年6月18日、有罪判決の宣告(懲役1年6カ月、執行猶予3年)を受け、その後確定していた。¶003

(4)

令和元年12月20日、Xは、Y理事長のした本件処分は裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した違法な処分であるとして、その取消しを求めて訴訟を提起した。¶004

Ⅱ 訴訟の経過

1 第1審判決

(1)

第1審(東京地判令和3・6・21判時2511号5頁)は、本件処分がY理事長の裁量権の範囲の逸脱又は濫用に当たるか否かにつき、「諸事情を総合的に考慮して、交付内定の審査における芸術的観点からの専門的知見に基づく判断を尊重する本件要綱の定めや仕組みを踏まえてもなお助成金を交付しないことを相当とする合理的理由があるか否かを検討するべき」とする。¶005

(2)

そのうえで、①本件映画につき、芸術的観点からの専門的知見に基づく審査の結果を踏まえて本件内定がなされたこと、②本件助成金の交付によって本件出演者が利得を得るものではなく、「薬物乱用の防止」という公益との関係で、違法薬物に対する許容的な態度が一般に広まるおそれがあるとはいえないこと、③本件処分によりXに生じる不利益は、映画製作事業の実施に係る経済的な面においても、映画表現の重要な要素の選択に関する自主性の確保の面においても小さいものとはいえないこと等の諸事情に照らし、本件処分には「合理的理由」があるということはできず、本件処分はY理事長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものであるとして、違法とした。¶006

2 控訴審判決

(1)

控訴審(東京高判令和4・3・3判タ1505号41頁)は、公益性の観点(芸術的観点以外の観点)から本件助成金の不交付決定をしたY理事長の裁量権の行使につき、「その判断が裁量権の行使としてされたものであることを前提とした上で、その判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討し、その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合、又は、事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものとして違法とな」るとする。¶007

(2)

そのうえで、①本件出演者は、本件映画のストーリーにおいて重要な役割を果たしていたこと、②本件出演者は著名人であり、その有罪判決等が広く報道されたこと、③本件出演者が犯したのは重大な薬物犯罪であること、④本件出演者が出演していた他の映画等の多くでは代役による再撮影等の対応が採られていたこと等に照らして、薬物乱用が深刻な社会問題となっている状況の下において、Y理事長が、本件内定後に有罪判決が確定した事実を踏まえ、「薬物乱用の防止」という公益の観点から本件処分をしたことにつき、重要な事実の基礎を欠いているとか、その判断の内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠いているということはできないとした。そして、本件処分はY理事長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとは認められず、本件処分は適法であるとして、原判決を取り消した。¶008

そのため、Xが上告。¶009

Ⅲ 判旨(破棄自判)

1 本件助成金の性質とその交付に係るY理事長の裁量

「本件助成金については、振興会法や補助金等適正化法〔補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律(以下、「適正化法」)――引用者〕に具体的な交付の要件等を定める規定がないこと、芸術の創造又は普及を図るための活動に対する援助等により芸術その他の文化の向上に寄与するという本件助成金の趣旨ないしYの目的(振興会法3条)を達成するために限られた財源によって賄われる給付であること、上記の趣旨ないし目的を達成するためにどのような活動を助成の対象とすべきかを適切に判断するには芸術等の実情に通じている必要があること等からすると、その交付に係る判断は、理事長の裁量に委ねられており、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した場合に違法となるものというべきである。」¶010

2 消極的な考慮事情としての「公益」

「そして、Yは、公共の利益の増進を推進することを目的とする独立行政法人であり(振興会法3条の2、独立行政法人通則法2条2項)、理事長は、本件助成金が法令及び予算で定めるところに従って公正かつ効率的に使用されるように努めなければならないこと(振興会法17条、補助金等適正化法3条)等に照らすと、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動についても、本件助成金を交付すると一般的な公益が害されると認められるときは、そのことを、交付に係る判断において、消極的な事情として考慮することができるものと解される。」(下線は引用者。以下同。)¶011

3 公益の抽象性と萎縮的な影響のおそれ

「もっとも、本件助成金は、公演、展示等の表現行為に係る活動を対象とするものであるところ(振興会法14条1項1号)、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動につき、本件助成金を交付すると当該活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されることを理由とする交付の拒否が広く行われるとすれば、公益がそもそも抽象的な概念であって助成対象活動の選別の基準が不明確にならざるを得ないことから、助成を必要とする者による交付の申請や助成を得ようとする者の表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性がある。このような事態は、本件助成金の趣旨ないしYの目的を害するのみならず、芸術家等の自主性や創造性をも損なうものであり、憲法21条1項による表現の自由の保障の趣旨に照らしても、看過し難いものということができる。そうすると、本件助成金の交付に係る判断において、これを交付するとその対象とする活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視し得るのは、当該公益が重要なものであり、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある場合に限られるものと解するのが相当である¶012

以上に説示したところは、本件要綱に一般的な公益の考慮に関する定めがあるか否か等によって左右されるものではない。」¶013

4 裁量権の範囲の逸脱・濫用の有無の審査

(1) 本件処分において重視された考慮事情

「Yは、本件出演者が出演している本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、Yが『国は薬物犯罪に寛容である』といった誤ったメッセージを発したと受け取られて薬物に対する許容的な態度が一般に広まるおそれが高く、このような事態は、国が行う薬物乱用の防止に向けた取組に逆行するほか、国民の税金を原資とする本件助成金の在り方に対する国民の理解を低下させるおそれがあると主張する。このことからすると、Y理事長は、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、本件有罪判決が確定した本件出演者が一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし、上記のような公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視したものと解することができる。」¶014

(2) 公益の重要性とそれが害される具体的危険の有無

「しかしながら、本件出演者が本件助成金の交付により直接利益を受ける立場にあるとはいえないこと等からすれば、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付したからといって、Yが上記のようなメッセージを発したと受け取られるなどということ自体、本件出演者の知名度や演ずる役の重要性にかかわらず、にわかに想定し難い上、これにより直ちに薬物に対する許容的な態度が一般に広まり薬物を使用する者等が増加するという根拠も見当たらないから、薬物乱用の防止という公益が害される具体的な危険があるとはいい難い。そして、Yのいう本件助成金の在り方に対する国民の理解については、公金が国民の理解の下に使用されることをもって薬物乱用の防止と別個の公益とみる余地があるとしても、このような抽象的な公益が薬物乱用の防止と同様に重要なものであるということはできない。」¶015

(3) 重視すべきでない事情の重視

「そうすると、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、本件出演者が一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし上記のような公益が害されるということを、消極的な考慮事情として重視することはできないというべきである。そして、前記事実関係等によれば、理事長は基金運営委員会の答申を受けて本件内定をしており、本件映画の製作活動を助成対象活動とすべきとの判断が芸術的な観点から不合理であるとはいえないところ、ほかに本件助成金を交付することが不合理であるというべき事情もうかがわれないから、本件処分は、重視すべきでない事情を重視した結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものであるということができる。」¶016

「以上によれば、本件処分は、理事長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法というべきである。」¶017

Ⅳ 検討

1 はじめに

本事案は、Xによる訴訟提起の段階から大きく報道され、世間の注目を集めた事件の最高裁判決である。本事案の主たる争点は、芸術的観点からの専門的知見を踏まえて助成金の交付の対象として相当とされた活動について、芸術的観点とは別の観点である公益性の観点からこれを消極的に評価して、助成金を交付しないとしたことが、Y理事長の裁量権の適法な行使といえるか否かである。本評釈では主に憲法の観点から、本判決の論旨を理解しその意義及び射程を明らかにするために、第1審判決及び控訴審判決との比較も行いながら、本判決の検討をすることにしたい。¶018

2 本件要綱の定めと芸術的観点

本件要綱は、本件助成金の交付内定と、内定者が交付申請をした場合における交付決定という2段階の手続を定めている。¶019

(1) 交付内定の審査

1段階目の交付内定について、本件要綱4条は、「理事長は、……芸術文化振興基金運営委員会の議を経て、助成金の交付の対象となる活動(以下「助成対象活動」という。)及び交付しようとする助成金の額を内定し、助成金交付内定通知書……により、助成金交付要望書を提出した者に通知するものとする」と規定する。¶020

基金運営委員会には、分野別に4つの部会と、それぞれの部会ごとに複数又は1つの専門委員会が設けられており1)現在の基金運営委員会の組織については、独立行政法人日本芸術文化振興会のウェブサイト〔https://www.ntj.jac.go.jp/kikin/about/purpose.html〕を参照。、いずれも助成対象分野の芸術の専門家から構成される。基金運営委員会は、関連する部会に交付内定の審査を付託し、さらに部会から専門委員会に同審査が付託される。本件映画(劇映画)については、基金運営委員会から映像芸術部会、映像芸術部会から劇映画専門委員会に同審査が付託されている。¶021

専門委員会による審査は、付託された助成金交付要望書について、専門委員による書面審査及びその結果に基づく合議審査により行われ、助成対象活動の選定を行う。各部会では、専門委員会での審査結果をもとに、採択すべき助成対象活動・助成金額について審議が行われ、この結果を基金運営委員会に報告する。審査には基準が設定されており、劇映画の場合、企画意図に即した優れた内容の作品であること、スタッフ・キャスト等に高い専門性、新たな創造性が認められること等が基準とされる。そして基金運営委員会は、専門委員会と部会における審査の結果を踏まえて、Y理事長に対し、交付内定の是非に係る答申を行うこととされている。¶022

(2) 基金運営委員会の議を経ることの趣旨

この交付内定の手続において、本件要綱4条が「芸術文化振興基金運営委員会の議」を経ることを定めていることの趣旨につき、第1審判決は、「創作性・芸術性の高さ等について的確に判断するためには、各分野における芸術の専門家においてその評価を行うことが不可欠」であること、「芸術団体等が時に社会の無理解や政治的な圧力等によってその自由な表現活動を妨げられることがあったという歴史的経緯」から、「芸術団体等の自主性について配慮するとともに、各分野における芸術の専門家が行った評価についてはこれを尊重することが求められる」ため等であるとする。控訴審判決も同様に、「本件助成金の公正かつ効率的な使用を実現するために、助成の対象となる各分野における芸術の専門家による芸術的な観点からの専門的知見を的確に反映させることが必要不可欠であると考えているからであると解される」としている。¶023

(3) 交付決定

2段階目の交付決定について、本件要綱は、交付内定を受けた者(内定者)に交付申請をさせて交付決定をすることとしている(7条1項・8条1項)。そして、交付内定後の事情の変更や不正の事実の発覚等により、そのまま交付決定をすることが相当でない場合について、交付内定の取消事由も、本件要綱に具体的に定められている(6条1項・7条3項・8条3項に定めがある〔本件当時〕。なお、交付内定の取消しの際に、Y理事長は、基金運営委員会の議を経る必要はない)。¶024

他方、本件当時、本件要綱には、芸術的観点とは別の観点である公益性の観点について、交付内定の取消事由として規定されておらず2)Y理事長は、本件処分後の令和元年9月27日、本件要綱を改正し、「公益性の観点から助成金の交付決定が不適当と認められる」場合に交付内定及び交付決定の取消しができることとした(改正後の要綱8条3項4号・17条1項6号)。その後、本件要綱は数次の改正がなされている。なお、Ⅳ6も参照。、また、交付内定の取消しによらずに交付申請に対する不交付決定をすることについての定めも置かれていなかった。¶025

そうであったにもかかわらず、本件処分がなされたのである。¶026

3 交付に係る判断における公益性の観点

(1) 公益ないし公益性の考慮

しかし、本事案の各審級の裁判所は、共通して、要綱等に具体的な定めがなくとも、公益性を害するおそれがあるという事情は、交付に係るY理事長の裁量権の行使に際しての(消極的な)事情として考慮できると判示した。¶027

第1審判決は、「①本件要綱に交付内定の取消事由が定められた上記の趣旨からすると、取消事由として規定されていない事由を考慮して交付内定の取消し又は不交付決定を行うことが一切許されないものとは解し難く、また、②文化芸術振興費補助金という公金を財源とする助成事業の性質上、公益性の観点から交付決定が不適当である場合について交付決定を行うことは助成の適正性の観点から相当でない」とした(番号は引用者。以下同)。¶028

控訴審判決も、交付内定後であっても、「交付申請の審査の手続において、公益性の観点(芸術的観点以外の観点)から本件助成金を交付することが不適当であると認めたときは、本件助成金の不交付決定をすることができるものと解される」とした。¶029

そして本判決も、公益についての説示(→Ⅲ3)をしたうえで、それは「本件要綱に一般的な公益の考慮に関する定めがあるか否か等によって左右されるものではない」と判示している。¶030

(2) 公益を考慮できる理由

それではなぜ、要綱等に具体的な定めがなくとも、交付決定の手続において公益を考慮することが認められるのだろうか3)本件要綱の法的性質が問題となるが、この点について詳しく述べた控訴審判決は、①振興会法17条により準用される適正化法24条の2により、本件助成金の交付に関するY理事長の処分については行政手続法第2章及び第3章の規定は適用されないこと、②本件要綱は、振興会法その他の法令に根拠を持たないYの内部的な手続細則にとどまることを理由に、本件要綱によってY理事長の裁量権の行使が法的に制限されるものではないとしている。。この点について述べているのが、本判決の判旨Ⅲ2である。すなわち、①Yが公共の利益の増進を推進することを目的とする独立行政法人であること(振興会法3条の2、通則法2条2項)、②Y理事長は本件助成金が法令及び予算で定めるところに従って公正かつ効率的に使用されるように努めなければならないこと(振興会法17条、適正化法3条)を指摘したうえで、「本件助成金を交付すると一般的な公益が害されると認められるときは、そのことを、交付に係る判断において、消極的な事情として考慮することができるものと解される」とし、判旨Ⅲ3で、このことは、公益の考慮についての定めが本件要綱にあるか否かに左右されないとしている。¶031

(3) 関連法令の定め

ここで引用された条文を見ていこう。まず、振興会法3条の2は、「振興会は、通則法第2条第2項に規定する中期目標管理法人とする」と定めており、通則法2条2項は、「中期目標管理法人」について、「公共の利益の増進を推進することを目的とする独立行政法人として、個別法で定めるものをいう」と規定する。法人は、目的の範囲内において権利を有し義務を負うのであり(民34条・33条2項)、中期目標管理法人は、その目的のなかに「公共の利益」すなわち「公益」が含まれているため、その活動一般に対して、「公共の利益の増進を推進」という限定が及ぶということであろう。別の角度からいえば、振興会の具体的な「目的」については、振興会法3条に定めが置かれているものの4)振興会法3条:「独立行政法人日本芸術文化振興会(以下『振興会』という。)は、芸術家及び芸術に関する団体が行う芸術の創造又は普及を図るための活動その他の文化の振興又は普及を図るための活動に対する援助を行い、あわせて、我が国古来の伝統的な芸能(第14条第1項において『伝統芸能』という。)の公開、伝承者の養成、調査研究等を行い、その保存及び振興を図るとともに、我が国における現代の舞台芸術(同項において『現代舞台芸術』という。)の公演、実演家等の研修、調査研究等を行い、その振興及び普及を図り、もって芸術その他の文化の向上に寄与することを目的とする。」、そこで示されている目的をもって「公共の利益」であるとは捉えられておらず、それとは別個に「公共の利益」が存在すると解されているのである。¶032

次に、振興会法17条は、適正化法の規定を「振興会が支給する資金について準用する」旨を定める。そして適正化法3条は、1項で交付者側の責務として、「その所掌の補助金等に係る予算の執行に当つては、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに特に留意し、補助金等が法令及び予算で定めるところに従つて公正かつ効率的に使用されるように努めなければならない」と規定する5)前田務編『補助金等適正化法講義』(大蔵財務協会、2020年)46頁は、適正化法3条について、「訓示的規定の観があるが、本条こそ本法の全神経が集約されたものともいえるのであって、本法全体を通じての指導精神として貴重な解釈原理を提供しているものということができる」としている。。ここでいう「法令」に通則法が含まれ、その目的である「公共の利益の増進を推進」を読み込んで解釈したものだと解されるが、「公正かつ効率的」の部分にそれを読み込んだ可能性もある6)行政活動はすべて公益の実現をその目的としていること(塩野宏『行政法Ⅰ〔第6版〕』〔有斐閣、2015年〕44頁、興津征雄『行政法Ⅰ行政法総論』〔新世社、2023年〕3頁~4頁などを参照)が、「公正かつ効率的」の部分に公益を読み込む理由になろう。¶033

(4) 下級審判決との比較

結論は異にしたが、控訴審判決も、本判決と基本的に同じ法律と条文を挙げて公益を考慮できるとしていた。他方、第1審判決では、やや異なった説明がなされていた。第1審判決が挙げた公益を考慮できる理由(→Ⅳ3(1))のうち、①は、「本件要綱に交付内定の取消事由が定められた上記の趣旨」から、「取消事由として規定されていない事由を考慮して交付内定の取消し又は不交付決定を行うことが一切許されないものとは解し難」いとしたが、ここでいう「上記の趣旨」とは、「助成の必要性又は適正性(適正化法1条、6条、10条等参照)の観点から、交付内定の審査における芸術的観点からの専門的知見に基づく判断を尊重する本件要綱の定めや仕組みを踏まえてもなお助成金を交付しないことを相当とする事由を類型的に掲げた」というものである。¶034

適正化法1条は目的規定、10条は事情変更による補助金等の交付の決定の取消し等について定めており、助成の必要性又は適正性については同法6条が規定している。すなわち、同法6条1項は、「補助金等の交付の申請があつたときは、当該申請に係る書類等の審査及び必要に応じて行う現地調査等により、当該申請に係る補助金等の交付が法令及び予算で定めるところに違反しないかどうか補助事業等の目的及び内容が適正であるかどうか、金額の算定に誤がないかどうか等を調査し、補助金等を交付すべきものと認めたときは、すみやかに補助金等の交付の決定……をしなければならない」と規定している。¶035

この適正化法6条1項にいう「適正」は、事業の経済的効率性の見地からの適正性の審査であるとされるので7)前田編・前掲注5)66頁~67頁、小滝敏之『補助金適正化法解説――補助金行政の法理と実務〔全訂新版(増補版)〕』(全国会計職員協会、2013年)126頁等を参照。、そこに公益を読み込むことは困難である。控訴審判決及び本判決が、公益を考慮することの根拠規定に適正化法6条1項を挙げていないのはそのためではないかと考えられる。また、適正化法6条1項の「当該申請に係る補助金等の交付が法令及び予算で定めるところに違反しないかどうか」の部分の「法令」のなかに、通則法や振興会法を読み込むというかたち(上述した適正化法3条の場合と同様の解釈)で、公益を考慮することの根拠にすることは難しい(あるいは必要はない)と考えた可能性もある。¶036

(5) 小括

以上みたように、第1審判決、控訴審判決、本判決はいずれも、本件助成金の交付について、芸術的観点からの専門的知見を踏まえて助成金の交付の対象として相当とされた活動であっても、Y理事長は、芸術的観点とは別の観点である公益性の観点から当該活動を消極的に評価し、助成金を交付しない決定をすること自体は否定されないという立場を採っている。Y理事長には、公益性の観点から交付に係る判断をする裁量が認められるのである。¶037

Y理事長にこの裁量が認められるとして、次に、いかなる場合に、その裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと評価されるのかが問題となる。¶038

4 本件処分の適法性に関する判断枠組み

(1) 萎縮効果と表現の自由

「公益」は抽象的・多義的な概念である。補助金等の支出に際して、公益を害するおそれを理由に交付の拒否等が広く行われてしまうと、どのような事態が生じるのだろうか。この点について本判決は、「公益がそもそも抽象的な概念であって助成対象活動の選別の基準が不明確にならざるを得ないことから、助成を必要とする者による交付の申請や助成を得ようとする者の表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性がある」と指摘している(→Ⅲ3)。では、助成金を受ける側に萎縮的な影響が及ぶことの何が問題なのだろうか。本判決は、助成金を支出する側と、助成金を受領する側という2つの視点から、その問題を次のように説明している。¶039

まず前者は、「芸術の創造又は普及を図るための活動に対する援助等により芸術その他の文化の向上に寄与するという本件助成金の趣旨」(→Ⅲ1)ないし振興会法3条が定めるYの目的を「害する」という問題である。上述(→Ⅳ3(3))したように、Yは目的の範囲内でのみ活動能力を有する法人であるから、自らの目的を害する活動は、Yの活動範囲を超えることになる。後者は、「芸術家等の自主性や創造性をも損なう」という問題であるが、判決文において、前者の問題「のみならず」、後者の問題も生じる「のであり」、それは「憲法21条1項による表現の自由の保障の趣旨に照らしても、看過し難い」と表現されていることを踏まえると(→Ⅲ3)、前者は法令上の問題、後者は憲法上の問題を示しているように見受けられる8)芸術家等の自主性、創造性を十分に尊重すべきことは、文化芸術基本法の基本理念を定める2条1項及び2項で示されているが、これは憲法21条1項を踏まえてのことだとされる。河村建夫 = 伊藤信太郎編著『文化芸術基本法の成立と文化政策――真の文化芸術立国に向けて』(水曜社、2018年)30頁~31頁、91頁~92頁などを参照。なお、基金運営委員会が定めた「文化芸術振興費補助金による助成金交付の基本方針」(平成31年4月1日改訂)の2では、「芸術文化団体等の自主性については、十分尊重されなければならない」とされている。。換言すれば、法令と憲法が相まって、本件助成金のような芸術助成において、芸術的観点を重視すべき理由を構成している。¶040

ここで憲法についての明示的な言及がある点が、憲法学から見た場合の本判決の重要なポイントであり9)憲法21条1項そのものではなく、その「趣旨」に照らして「看過し難い」としていることの意味も問題になるが、①直接的な規制とは異なり、憲法21条1項に違反するとはいえないが、かといって無視してもよい事態ではないということを表現したものだと解されるとともに、②そこでイメージされている「表現の自由」には、芸術家等の表現者のみならず、表現内容が流通する社会全体もまた想定されているようにも見受けられる。、これが後述する判断枠組みの部分において、Y理事長の裁量を統制する機能を果たしている(→Ⅳ4(3))。¶041

(2) 下級審判決との比較

なお、同じく公益の多義性等についての懸念を表明していた第1審判決は、「公益性は多義的な概念である上、具体的にどのような場合であれば公益性に反するのかの判断も個別の事案や価値観等によって分かれ得ることから、Y理事長が内定者に対し公益性を理由に交付内定の取消し又は不交付決定をすることは、その運用次第では、特定の芸術団体等に不当な不利益を与え、あるいはその自主性を損ない、ひいては芸術団体等による自由な表現活動の妨げをもたらすおそれをはらむものであることを否定することができない」などと判示し、やはり萎縮効果等への懸念を表明していた。表現の自由を念頭に置いているとは思われるが、それへの明示的な言及は(他の箇所も含めて)なされていない。¶042

他方、公益に対する懸念を見せなかった控訴審判決では、第1審判決の上記引用部分は削除されている。¶043

(3) 判断枠組みへの照射