Ⅰ はじめに
周知のとおり、アメリカでは2022年6月、「最も影響力のある最高裁判決(The Most Influential Supreme Court Cases)」1)のトップ3にも入っていた、あのRoe v. Wade判決2)が覆された。人工妊娠中絶を受ける自由は憲法の保障する「基本的権利」であるとしたRoe判決は決定的に誤りであったとし、判例変更したDobbs v. Jackson Women’s Health Org.判決3)である。この歴史的判決によって、アメリカでは、「先例拘束性の原則(principle of stare decisis)」をめぐる議論が活発化している4)。日本でも、最近、いわゆる部分社会論に基づき、地方議会による議員の出席停止は司法審査の対象とならないとした昭和35年大法廷判決5)を覆した令和2年11月の最高裁大法廷判決(岩沼市議会事件判決)6)が出た。しかし、同判決が、Dobbs判決とは異なり、判例変更の可否を独立した論点としなかったこと、さらには、変更の方向が部分社会論に批判的な学界多数説7)に沿うものであったことなどから、日本では、先例拘束性の原則に関する議論そのものが活発化したわけではない。そもそもこの原則については、憲法の教科書などでも比較的あっさりとした記述がなされるにとどまるなど8)、これまで日本において十分に成熟した議論がなされてきたとは言い難いようにも思われる。が、先例拘束性をいかに捉えるかは、主権者国民や他の国家機関との関係における最高裁判所の役割9)、さらには憲法の動態や「法の支配」のあり方にもかかわる憲法訴訟上の重要論点でありうる。そこで本稿では、同原則や憲法判例の変更に関する従来の学説や判決を振り返り、今後の議論の足掛かりを構築することとしたい。¶001