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はじめに

巽智彦『第三者効の研究――第三者規律の基層』(有斐閣、2017年)(以下「巽著」という)1)本書について、先行書評等は見当たらない。ただし、正木宏長=中原茂樹=大橋真由美「《学界展望》行政法」公法研究80号(2018年)258頁、279頁~280頁[大橋]、下山憲治=福永実=日野辰哉=中嶋直木「行政法(特集・学界回顧2018)」法時90巻13号(2018年)23頁、30頁に言及がある。また、本書の元となった博士学位申請論文「行政訴訟における第三者規律」の審査結果要旨(主査:山本隆司教授)が東京大学学術機関リポジトリhttps://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/49964#.YoGytejP1Zc >に公開されている。巽氏自身による短い紹介として、UTokyo BiblioPlazahttps://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/G_00001.html >に掲載されたものがある。なお、本稿におけるウェブサイトの最終閲覧日は、2022年9月5日である。は、行政事件訴訟法(行訴法)32条の定める取消判決の第三者効に関する浩瀚なモノグラフであり、日本とドイツの行政法および民事訴訟法の学説(史)・制度(史)を渉猟して、第三者効の性質や限界の解明にかなりの程度成功している。このテーマでこのレベルの研究書を物することは容易ではなく、第三者効をめぐる議論の準拠点として今後長きにわたり参照されるべき業績であることは間違いない。¶001

筆者(興津)も、巽氏と相前後して第三者効に関する研究を行い、行政法学説とともに民事訴訟法学説をも参照しつつ、第三者効の性質を分析する拙稿を公表した2)興津征雄「行政訴訟の判決の効力と実現――取消判決の第三者効を中心に」『現代行政法講座Ⅱ 行政手続と行政救済』(日本評論社、2015年)209頁(以下「興津・講座」という)、南博方(原編著)『条解行政事件訴訟法〔第4版〕』(弘文堂、2014年)646頁[興津征雄](以下「興津・条解」という)。刊行年は興津・講座が後だが、同論文の原稿は2012年7月に脱稿しており、これを元に興津・条解の原稿を執筆した。。筆者が参照したのは日本の戦後の学説(行訴法およびその前身である行政事件訴訟特例法下のもの)に限られており、理論枠組みも巽著ほど洗練されてはいないが、問題意識や構造把握においては巽氏と多くを共有している(と少なくとも筆者は信じている)。しかし、得られた結論は、巽著と拙稿とで異なっている。すなわち、取消判決の第三者効の性質につき、巽著はそれを形成力であるとする日本の行政法学の通説を再構成した上で支持するのに対し、拙稿では通説を批判し、第三者効の性質は既判力であるとする私見を提示した。このたび必要があって3)興津・条解の改訂のためである。本稿は、南博方(原編著)『条解行政事件訴訟法〔第5版〕』(弘文堂、近刊)32条解説[興津征雄]のスピンオフ論文としての性格を有する。巽著を読み直したところ、巽著の精緻な検討に反省を余儀なくされるところが少なくなかったものの、それでもなお、通説およびそれを擁護する巽説への対抗言説として私見を維持する意義があると考えた。¶002

筆者の研究は巽著の公刊前に開始され、拙稿の公表前に巽著の原論文4)巽智彦「第三者規律の基層」(東京大学大学院法学政治学研究科助教論文、2014年)。これは未公表論文だが、巽氏の厚意で原稿の提供を受けた。同論文は、単行本になる前に、以下の形で公表されている。巽智彦「ドイツ行政訴訟における判決効の主体的範囲――『引き込み型』から『効力拡張型』へ」行政法研究7号(2014年)47頁、同「ドイツ行政裁判所法上の規範統制手続の裁判の一般的拘束力と参加制度」成蹊法学81号(2014年)134頁、同「対世効と紛争の画一的解決の必要性――行政法関係における画一的規律の分析の基礎として」成蹊法学82号(2015年)242頁、同「形成概念と第三者規律――行訴法上の第三者効および第三者再審を手掛かりとして(1~6・完)」国家128巻5=6号413頁・7=8号611頁・9=10号831頁・11=12号1040頁(以上2015年)、129巻3=4号209頁・5=6号403頁(以上2016年)、同「行政法関係における紛争の画一的解決の仕組み」公法研究78号(2016年)249頁。これらが巽著の基礎となっていることにつき、巽著ⅳ頁。を参照することができたものの、その段階ではすでに拙稿の内容が固まってしまっていたため、巽論文を細かく引用して対応関係を検討することができなかった5)興津・講座240頁注95参照。。そこで、この書評論文において、第三者効の性質(形成力か既判力か)の理論構成に絞って巽著の理論的意義を紹介するとともに、私見との相違を明確にし、あわせて筆者から巽著に対し若干の疑問を指摘することにしたい。¶003

Ⅰ 形成判決の効力論

筆者が巽著と共有する問題意識は、取消判決の第三者効の性質に関する日本の行政法学の通説の是非である。通説は、行訴法32条1項により第三者に拡張される効力は既判力ではなく形成力であると主張する6)興津・講座211頁注3および対応する本文を参照。巽著9頁~10頁も参照。。しかし、判決の効力のうち、既判力ではないということによってどのような効果の拡張が否定され、形成力であるということによってどのような効果の拡張が肯定されることになるのかは、従来の通説においては必ずしも明確かつ具体的に説明されているとはいいがたかった。巽著と拙稿は、それぞれ民事訴訟法学における形成判決の効力論を参照することにより、まず通説の言明の意味を解明することを目指している。¶004

巽著は、そのために、民事訴訟法学の概念を換骨奪胎していくつかの概念を導入し、それらの概念を基礎として分析枠組みを構築している。基準性と排除効しかり、単一要件と二重要件しかり、である。これらの概念や枠組みは巽著の中で丁寧に説明されているので、ここでくり返すことは屋上屋を架す嫌いなしとしないが、多くの行政法学者にはなじみのない概念であると推測されるし、巽著の論証は理論と歴史が入り組んだところがあるので、あえて理論面のみを抽出し図式的に要点をまとめておく。¶005

1 判決効の実体的側面(基準性)と訴訟法的側面(排除効)

そもそも、判決の効力にはどのような効果があるか。巽著の明快な整理によれば、判決効には大別して「実体的側面」と「訴訟法的側面」がある7)巽著3頁・10頁。。前者は「当事者および第三者に紛争解決のための実体的地位を与える効果」であり、形成力による法関係の変動を典型とする。後者は「その実体的地位を訴訟上攻撃しえないという効果」であり、ある裁判の判断内容について後訴裁判所に異なる判断を禁じる既判力の作用を典型とする8)以上2文の「」内は、巽著3頁が引用する高田裕成「身分訴訟における対世効論のゆくえ」新堂幸司編著『特別講義民事訴訟法』(有斐閣、1988年)365頁注3からの引用である。。巽著において、前者は「基準性」、後者は「排除効」と呼び換えられ9)巽著181頁。、巽説を貫く鍵概念となっている。¶006

このような判決効の二つの側面は、次のような事案に即して例解されている。¶007

たとえば、Xが所有していた甲土地について、租税滞納処分として差押えがされ、公売によりZがその所有権を取得したケースにおいて、Xが行政庁(またはその所属する行政主体)Yを被告として当該公売処分の取消訴訟を提起し、Zが参加することなく取消判決が言い渡され確定した場合10)巽著29頁で扱われている大判昭和15・6・19民集19巻999頁の事例。には、第三者であるZに対して取消判決の効力が及ばなければ、当該公売処分はZとの関係では取り消されていないことになり、ZはXに対して、甲土地の所有権が自己に帰属していることを前提に、Xからの甲土地の返還請求を拒むことができることになる。しかし、それでは取消判決によるXの権利保護が貫徹されないので、XY間の取消判決によりZとの関係でも公売処分が取り消された(それにより甲土地の所有権がXに復帰した)ものとして扱うことが考えられる。この場合、Zに対して及ぶのは判決効の実体的側面である。判決効の実体的側面がZに対して及ぶことを前提に、Xが甲土地の所有権が自己に復帰したと主張して、Zに対し甲土地の返還請求訴訟を提起した場合、仮にZが公売処分の取消判決は不当であり、取消しの効果が生じるべきでないため甲土地の所有権はなお自己に帰属していることを主張立証し、裁判所がそれを認めてXの返還請求を棄却することができるとすると、やはりXの権利保護は貫徹されない。そこで、XのZに対する甲土地の返還請求訴訟において、裁判所は確定した公売処分取消判決に反する判断をすることができない(その帰結として返還請求を認容しなければならない)とすると、Zに対し判決効の訴訟法的側面が及んでいることになる。¶008

また別の例として、河川にダムを設置しようとする電力会社Zが河川法上の工作物新築許可や流水占用許可を受け、当該許可に対して既存の流水占用権者Xが許可権者である行政庁(またはその所属する行政主体)Yを被告として取消訴訟を提起し、Zが参加することなく取消判決が言い渡され確定したケースを考える11)巽著39頁。。この場合には、第三者であるZに対して取消判決の効力が及ばなければ、当該許可はZとの関係では取り消されていないことになり、Zは流水の占用やダムの建設を適法に継続することができることになる。しかし、それでは取消判決によるXの権利保護が貫徹されないので、XY間の取消判決によりZとの関係でも許可が取り消されたものとして扱うことが考えられる。この場合、Zに対して及ぶのは判決効の実体的側面である。Zに対して判決効の実体的側面が及ぶことを前提とすると、取消判決確定後のZによる流水占用やダム建設は無許可となり違法であるから、Zがそれらの行為を継続すれば、不利益処分(工作物除却命令)や刑罰の対象となる。Zが当該不利益処分の取消訴訟や刑事訴訟において、確定した許可取消判決が不当であり許可が適法であると主張することができず、また裁判所もその主張を取り上げて許可取消判決に反する判断をすることができないとすると、判決効の訴訟法的側面もZに及んでいることになる。¶009

第三者効の性質理解の第一のポイントは、行訴法32条1項の下で第三者に及ぶ効力が、判決効の実体的側面=基準性にとどまるのか、その訴訟法的側面=排除効も含まれるのか、である。巽著は、行訴法の制定前の学説状況と立案過程における議論の分析を通じ、行訴法32条の立法趣旨として、「第三者効の目的はあくまで判決効の実体的側面の問題の解決にあり、訴訟法的側面としての対世効は、第三者効それ自体の立法趣旨には含まれていない」12)巽著58頁。という結論を導き出す。しかし、同法34条により第三者再審が同時に導入されたことにより、「翻って第三者効は判決効の訴訟法的側面を含意するものと解さざるを得なくなった」13)巽著61頁。とも述べる。つまり、32条を単体で見れば、立案に関与した者の主観においては第三者効に訴訟法的側面までは含める意図はなかったが、34条も併せた行訴法の仕組みの体系的解釈としては、第三者効が訴訟法的側面をも含むと解さざるをえない、ということであろうか。¶010

筆者も取消判決の第三者効が訴訟法的側面をも含むという結論には賛成している14)興津・条解652頁。現在の学説は、判決効の実体的側面と訴訟法的側面の区別を意識しないものも少なくない(巽著65頁参照)が、意識していると見られるもののなかでは、行訴法32条の第三者効に訴訟法的側面を含めることは通説といってよい(園部逸夫編『注解行政事件訴訟法』〔有斐閣、1989年〕394頁[村上敬一]、南博方=高橋滋編『条解行政事件訴訟法〔第3版補正版〕』〔弘文堂、2009年〕558頁[東亜由美]など)。例外的に実体的側面のみにとどめると読めるもの(山本隆司「改正行政事件訴訟法をめぐる理論上の諸問題――拾遺」自研90巻3号〔2014年〕49頁、53頁〔「行訴法32条は法関係を原状回復させる効果を定めるにとどまり、法関係を確定させる効果までは含まない」〕)もあるが、その根拠は詳らかではない。。しかし、第三者効の立法趣旨を導く巽著の論法には疑問をもっているので、後にあらためて検討する(後記Ⅱ2)。¶011

2 単一要件と二重要件

判決効の訴訟法的側面について巽著が依拠するのが、民事訴訟法学者の垣内秀介が会社関係訴訟の判決効に関する論文15)垣内秀介「形成判決の効力、訴訟担当資格者間の判決効の波及、払戻金額増減の裁判の効力」神作裕之ほか編『会社裁判にかかる理論の到達点』(商事法務、2014年)359頁。で提示した分析枠組みである。巽著は、垣内論文の枠組みを応用してドイツの民事訴訟法学説における形成訴訟理論史を分析し、枠組みを自家薬籠中の物としている16)巽著145頁以下(第1部第3章「形成力の意義」)。が、巽著を読み解くためにも現行法の理解の上でも、まず垣内論文の枠組みを確認しておくのがわかりやすいので、先にこれを紹介する。¶012

垣内論文は、形成判決による形成結果が存在するために何が要件として必要とされるかを問うものである。形成結果とは判決効の実体的側面のことであり、取消判決でいえば、処分の取消しという結果(当該処分の効果が原則として処分時に遡って消滅し、当該処分の効果を基礎として形成された法律関係も原則として遡及的にその法的基礎を失うこと17)興津・条解652頁。)が認められるために何が要件とされるかという問いである。垣内論文は、民事訴訟法学説を分析し、形成結果の存在要件につき、単一要件説と二重要件説の2つの見解が対立していると説く18)垣内・前掲注15)369頁~373頁。。単一要件説とは、形成結果の存在を認めるために確定形成判決の存在があれば足りるとする見解である。二重要件説とは、確定形成判決の存在とともに、形成原因の存在が必要であるとする見解である。¶013

単一要件説と二重要件説の対立は、それ自体は判決効の実体的側面の要件理解に係る対立だが、同時に、実体的側面の後訴における不可争性としての訴訟法的側面にも波及する。¶014

すなわち、単一要件説によれば、形成結果を後訴において不可争化するには、形成判決が確定し、再審等によって取り消されずに存在してさえいればよい。形成原因の存在は形成結果の存在の要件ではないので、後訴において当事者が、前訴形成判決は形成原因が存在しないにもかかわらずにされた不当なものであり、形成結果の存在を認めるべきでないと主張したとしても、その主張は形成結果の存在には何の関係もない主張ということになり、前訴形成判決による形成結果はその限りで保護される。いいかえれば、単一要件説によれば形成判決の効力の訴訟法的側面は形成判決の形式的確定力19)興津・講座215頁~216頁。またはそれによって不可争性を獲得する形成力そのものによって担保されることになり、既判力を援用するまでもない。この場合の形成結果の不可争性は、確定形成判決が「後訴裁判所の判断を直接に拘束しているわけではなく、単一要件の構造が後訴裁判所の審理構造を規定しているに過ぎない」ため、巽著では「疑似的排除効」と呼ばれている20)巽著192頁。そもそも「排除効」という用語が、「既判力とは異なる実体法上の現象を包含するために」選択されたものである(巽著181頁注53)。¶015

それに対し、二重要件説によれば、形成結果を後訴において不可争化するには、確定形成判決の存在だけでは足りず、形成原因の存在が確定していることも必要である。仮に、形成原因が存在するという前訴裁判所の認定に何らの効力も生じなければ、後訴において当事者が形成原因の存在を否定する主張立証をし、裁判所がそれを認めることにより、前訴形成判決による形成結果が後訴で覆されてしまうことになる。これを防ぐには、前訴裁判所による形成原因の存在の認定が後訴裁判所をも拘束し、後訴裁判所はそれに反する認定判断をすることができなくなるという効力を認める必要がある。これは確定判決の存在ではなくその内容にかかわる効力であるから、形式的確定力ではなく実質的確定力すなわち既判力の作用である。要するに、二重要件説に立つ場合には、形成判決の既判力を援用しなければ、判決効の訴訟法的側面は担保できないわけである。¶016

単一要件説と二重要件説の対立は、当の民事訴訟法学でも必ずしも明確に意識されていない由であり21)垣内・前掲注15)370頁(注24)。、そのような名称のもとに定式化したのは、垣内論文が初めてのようである。垣内論文は、筆者が前稿を執筆した際にはまだ公表されておらず、校正時に参照できたにとどまる22)興津・講座212頁注11。ため、前稿では単一要件説・二重要件説というワーディングは用いていない。しかし、第三者効の訴訟法的側面を形成力と解する通説が単一要件説に相当する理解を前提としているのに対し、二重要件説に相当する理解を前提とすればそれを既判力と解することが可能であることは、前稿で示しておいた23)興津・講座220頁~221頁。。巽著は、垣内論文を前提として、形成力説をより洗練された枠組みに位置づけるものである。¶017

3 実体法上の通用力としての基準性

判決効の訴訟法的側面に関する以上の理解を前提として、実体的側面についても言及しておこう。形成判決の効力の実体的側面は、狭義の形成力すなわち「判決の確定により直接に、かつ初めて法関係が変動する」24)巽著182頁。効力と同視されることがある。しかし、巽著によれば、これは正確な理解ではない。判決効の実体的側面(巽著が「基準性」と呼ぶもの)は、狭義の形成力により変動した法関係(形成結果)の「実体法上の通用力」を意味する25)巽著183頁。。「通用」という言葉は、通常、既判力を典型とする判決効の訴訟法的側面の作用を説明するのに用いられる(たとえば「確定判決の判断に与えられる通用性ないし拘束力」26)新堂幸司『新民事訴訟法〔第6版〕』(弘文堂、2019年)683頁。巽著181頁注53参照。)が、実体的側面においても「通用」を観念するところに巽説の特色がある。すなわち、巽著にいう「実体法上の通用力」とは、形成結果の対抗可能性を意味し、「判決によって宣言された法状態(株主総会決議や代物弁済の遡及的失効)の存否ないし有効性を争い直すことなくしては当該法状態に反する主張をすることができない状況」27)巽著184頁。をいう。この意味での通用力(基準性)は、形成判決のみならず確認判決や給付判決についても認められる(したがって狭義の形成力とは区別される)28)巽著185頁。¶018

実体法上の通用力の概念は難解であるが、取消判決に即して筆者なりに例解すると以下のようになろうか。上に挙げた滞納処分としての公売処分の例(前記Ⅰ1)で、甲土地の所有者ZにXY間の取消判決の実体法上の通用力(基準性)が及んでいるとすると、Zは、Xが提起した甲土地の返還請求訴訟において、前訴取消判決が不当であり公売処分が有効であることを主張しないと(つまり形成結果の存否ないし有効性を争わないと)、同訴訟において敗訴してしまう。これは前訴取消判決の判決効の訴訟法的側面が及んでいるからではない。訴訟法的側面がZに及んでいるとすると、甲土地の返還請求訴訟において裁判所は前訴取消判決による形成結果(公売処分が取り消されたこと)に反する判断ができなくなるので、それを攻撃するZの主張は無意味となる。しかし、たとえ訴訟法的側面がZに及んでいなくても、前訴判決で公売処分の取消しという法関係の変動がいったん宣言された以上、Zが何もしなければ甲土地の所有権はXに復帰したことが以後の法関係の形成の前提になるというのが、判決の実体法上の通用力(基準性)の意味である。¶019

注目すべきなのは、このような実体法上の通用力(基準性)の法的根拠は、法関係の変動の要件と効果を定めた実体法規にあるため、そのような通用力(基準性)は明文規定がなくても一般第三者に及ぶということである29)巽著184頁~185頁。。「換言すれば、対世効規定は、基準性に関する限りでは確認規定であると解される」30)巽著185頁。。なぜなら、実体法規に定められた要件(それは判決であっても、私法上の法律行為であっても、単なる事実の発生でもよい31)巽著185頁注54およびそれに対応する本文。ただし、この点については、座談会での議論を踏まえ、以下の論点を指摘しておきたい。
私法上の法律行為についていうと、たとえば契約の解除が効果を発生するには、解除の意思表示に加えて、解除権(解除要件)の存在が必要である(民540条1項)。つまり、解除は二重要件構造をもつ。この場合、解除の意思表示があっただけで、実体法上の基準性が肯定できるか。解除の意思表示は、判決とは異なり、解除権の存在を確定する効力はもたないので、解除の意思表示があっただけでは解除権の存否は未確定であり、実体法上解除の効果が発生したかどうかも当事者には不知である(神の目から見ればどちらかの状態であるはずだが、神ならぬ当事者間で見解が食い違う場合には、どちらかの見解が優越するわけではない)。解除の相手方は、解除の意思表示を受けて直ちに法的なリアクションが求められるわけではなく、たとえば解除をした者が解除が有効であることを前提に契約の履行を拒むなどして初めて履行請求などをする必要があるにすぎない。この場合には、履行請求などの訴訟において、解除が効果を生じているかどうか(解除権が存在するかどうか)が審理され、判決において決着がつけられる。解除をした者が解除が有効であることを前提に不当利得返還請求などをする場合も同様である。このように考えると、二重要件構造をもつ法律行為については、意思表示があっただけで実体法上の基準性が生じるとはいいがたいように思われる。ただし、解除は形成行為であるため、意思表示がなければその効果を主張することができない(意思表示によって初めて主張禁止が解除される)という効果(排他性)を認めることはできる(排他性の構造につき、巽著129頁~131頁)。このような形成の意思表示がもつ効果と基準性との関係の解明が、一つの理論的課題となろう。
座談会では、垣内氏から、判決効の訴訟法的側面(排除効)から切り離された形で基準性を観念することができるかという問題提起があった(座談会Ⅲ2(1)Ⅳ1)。私法上の法律行為との対比は座談会ではされなかったが、法律行為は判決とは異なり排除効をもたないため、上記のように法律行為の基準性を考えると、排除効と基準性の関係をより分析的に考察する手がかりとなるのではないかと思われる。また、座談会では、筆者が行政処分の効力発生構造との関係を尋ねた(座談会Ⅲ2(2))。行政処分は、行政庁の意思表示または判断の表示によって効力(基準性)が発生し、取り消されるまでは有効と解されているため、単一要件構成になじみやすい(垣内・前掲注15)373頁はその旨を指摘する)。しかし、行政処分は判決とは異なり、確定(不可争化)しなくても効力を生じるため、単一要件構成をとったとしても基準性と(疑似的)排除効とは必ずしもセットにならず、ここでも排除効なき基準性の問題が出てくる。行政処分の公定力は、未確定の行政処分に排除効類似の効力を与え、それによって基準性を基礎づける理論構成と解釈することができる。もっとも、公定力概念に対する学説(史)上の批判が示すように、判決ですら確定前には排除効は与えられないのに、なぜ判決よりも簡易な手続で行われる行政処分にそのような排除効類似の効力が与えられるかは、十分に説明されているとはいいがたい(兼子仁『行政行為の公定力の理論〔第3版〕』〔東京大学出版会、1971年〕326頁~328頁)。なお、行政処分の効力発生構造については、本書評の執筆を契機とし、また特に座談会での議論に示唆を受けて、興津征雄「〈行政処分は取り消されるまで有効〉の意味――公定力概念無用論」行政法研究47号(2022年)掲載予定を執筆したので、あわせて参照していただければ幸いである。
このように、基準性と排除効の関係にはなお理論的に詰めるべき余地が多く残されているが、この概念枠組みにより、判決・法律行為・行政処分など異なる法行為の類型を横断的に比較しながら分析する可能性が開かれたともいえる。これも巽著の功績といえよう。
)が充足されることによって所定の効果が発生するという現象自体は、法に服する主体であれば何人も承認しなければならず、実体法規またはその解釈により特に対抗不能性(実体法上の通用力の制限)が認められない限りは、効果発生の主張に対しその対抗を受けた者にリアクションが求められるからである。これは形成判決の効力論において「一般的承認義務」と呼ばれるものに相当すると思われる32)巽著189頁注64参照。。筆者は前稿において、狭義の形成力とその実体法上の通用力(基準性)とを明瞭に区別するには至らなかったが、一般的承認義務の概念を手がかりに同様の見通しを示した33)興津・講座213頁。。その区別を含め、判決効の実体的側面については、巽著の分析に賛同したい。¶020

4 通説の意義

以上のような概念装置を前提にすると、第三者効の性質を形成力と解する通説(の巽著による再構成)の意義が明らかになる。通説のいう形成力とは、判決効の実体的側面をいい、第三者効は本来実体的側面の第三者への拡張のみを趣旨とするものであった。しかし、第三者再審の存在とその排他性ゆえに、第三者効は訴訟法的側面をも含むと解さざるをえない。それを正当化する理論構成としては、訴訟法的側面の第三者への拡張は単一要件構成に基づく疑似的排除効と解するほかない。第三者効の性質は既判力ではないという言明はこのことを意味する。¶021

なお、第三者効の性質を疑似的排除効であって既判力ではないと解することは、単に理論構成上の違いにとどまらず、解釈論上の帰結の相違をももたらす。すなわち、疑似的排除効によって得られるのは、前訴判決による処分の取消し結果の不可争性のみである。それ以外に、既判力によって禁止される同一処分の反復34)巽著198頁~199頁・204頁~205頁。と不当判決を理由とする損害賠償請求は、疑似的排除効によっては必ずしも禁止されない。ただし、損害賠償請求については、前訴原告私人による不当判決の騙取を理由とする場合には既判力か疑似的排除効かで結論に実質的な違いが生じない可能性がある35)巽著197頁~198頁。のに対し、前訴被告行政の訴訟追行の不備を理由とする場合には主張しうる損害の範囲に影響しうる可能性が指摘されている36)巽著201頁~203頁。¶022

巽著による通説の再構成は、形成判決の効力論と矛盾なく通説を説明するにはそのような理論構成をとるほかないという限りでは、まったくもって支持しうる。しかし、巽説は、第三者効の性質理解として再構成された通説(疑似的排除効説)が正当であることを自説としても主張している。私見が巽説と袂を分かつのはこの点である。以下、項目を改めてこの点を検討する。¶023

(2)へ続く)¶024