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Ⅰ 社会と性別

1 法の中の性別1)人権の観点から諸論点に深い考察を示す論考として、齊藤笑美子「性的マイノリティの人権」愛敬浩二編『講座立憲主義と憲法学2人権Ⅰ』(信山社、2022年)165頁(特に第Ⅲ節)。

2023(令和5)年10月25日、最高裁大法廷は、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(平成15年法律第111号。以下、「特例法」)の3条1項4号(以下、「生殖能力喪失要件」)が憲法13条に違反するとの決定2)「違憲判決」と言及されることもあるが、裁判形態としては「決定」である。違憲審査のあり方と絡んで注意が必要な論点だが、本稿では割愛する。を全員一致で下した(裁時1826号37頁、裁判所Web)。本稿では、この決定を手掛かりにして、日本社会における法的性別のあり方について、いくつかの論点を検討してみたい。その際、今回の違憲決定については、単純な称賛や非難という対応ではなく、いわばボールが最高裁から立法府と有権者に投げかけられたことを深刻に受け止めるという対応が望ましいのではないだろうか、という視点で考察してみたい。¶001

性別はこの世の中において、どこで、どのように通用しているのだろうか。社会生活上、性別区分が見られる場面としては、例えば、学校、公衆浴場、公衆トイレ、スポーツ、女性専用車両などが思い浮かぶ3)参照、松尾陽「女性専用車両は男性差別か?」瀧川裕英編『問いかける法哲学』(法律文化社、2016年)96頁。瀧川裕英「トイレと電車――公共空間におけるマイノリティ」法セ807号(2022年)14頁。。もちろんこのように目に見える区分だけでなく、私たちの日常は、意識すらされずに人間を性別で分類する場面にあふれている。この社会生活上の区分は、短期間で激変することはそうないが、時代や地域による大きな変化が見られることも広く知られているだろう4)例えば、徳川期の民衆における男女の隔離の緩さについては、渡辺浩『明治革命・性・文明――政治思想史の冒険』(東京大学出版会、2021年)207頁〜208頁。¶002

では、法律上、性別による取扱いの違いが定められている場面としてはどのようなものがあるだろうか。網羅的なものではないが、労働法分野では、労働基準法「第6章の2 妊産婦等」に関わる規定、雇用機会均等法8条の定める「機会均等のため女性労働者に行う措置」がある。刑事法分野では、犯罪捜査(身体検査)に関わる規定(刑訴115条・131条・222条。犯罪捜査規範107条等も参照)が性別に言及しているし、刑事収容施設も収容基準として性別による分離を定めている(刑事収容4条1項1号)5)「性同一性障害等」を有する被収容者の処遇については、参照、法務省矯成第2631号平成27年10月1日通知。¶003

民事法分野では、かつては民法に女性のみの再婚禁止期間規定や嫡出否認の資格を夫のみに与える規定が存在したが、いずれも2022年に改正されている(令和4年法律第102号)。現在では、異性間を前提とした婚姻制度が、性別区分を前提としているということはいえるだろう。また、戸籍法には出生届に「子の男女の別」の記載を求める規定がある(49条2項1号)。この性別は実際には戸籍の続柄欄として表示されるわけだが、この続柄欄の変更(更正)を可能にしたのが特例法である。¶004

2 性の様々な側面

人間の性には様々な側面がある。そこには例えば、上記の社会生活上の性別や法的な性別(公的登録上の性別)のほかにも、性別の表現6)社会生活上の性別と重なり合うことも多いだろうが、必然的に重なる必要はないし、表現したいかしたくないか、表現できるかできないかに応じて本人のアイデンティティとも常に一対一で対応している訳ではない。、生物学的な性別、性別に関する本人のアイデンティティ7)これは、日本語では性自認、性同一性ともいわれるが、いずれもgender identity(ジェンダー・アイデンティティ)の翻訳語である。、性的指向といったものが含まれるだろう。¶005

とはいえ、これらがものとして、実感されたり、意識せざるを得ないものとして表れてきたりするかどうかは、人によってかなり異なるだろう。ある人は、ある側面と他の側面の不一致や食い違いに大きな悩みを抱くかもしれないが、別のある人は、「性別というのは女か男かという単純な話である」と思っているかもしれない。それどころか、「自分の性別は何か」という問い自体、意識にのぼることすらないのが多くの人の現実かもしれない。¶006

そうだとしても、以上のようにあえて複数の側面を言葉にしてみることには大きな意義がある。私たちはみな、好むと好まざるとにかかわらず社会生活上の性別を生きている。その社会生活が、十全に自分らしいものとして実感されているかどうかは人によって様々である。その中で、数としては少数なのだとしても、現に、複数の側面の不一致を生きる人々(そして不一致の解消を求める人々や不一致と折り合いをつけながら生きようとしている人々、性別二分法自体を問い直そうとする人々)がいる。¶007

その不一致に各人はどう対応しようとしているのか、そして社会はそれに対してどのような構えをもつべきなのかは、性別二分法を当然の前提として、それを意識することすらなく生きる人々にとっても、重要な問題である。少なくとも、全ての人間が「個人として尊重される」(憲13条)という日本社会の根底を支える価値を重視しようとする人にとっては、無視することの許されない課題であるように思われる。¶008

ある人の性に関わる生物学的な組成や出生時の法的性別が、そのまま本人がどのような性を生きているか、生きようとするかを常に表すという訳ではないという事実から議論を出発させよう。そこから、万人が「個人として尊重」される社会はどのように形成していくことができるだろうか。¶009

Ⅱ 性別の越境と法8)歴史を遡った概観としては、三橋順子「トランスジェンダーと法」綾部六郎 = 池田弘乃編著『クィアと法――性規範の解放/開放のために』(日本評論社、2019年)133頁。

1 ブルーボーイ事件から性同一性障害概念へ

自らが生きようとしている性別に沿って、現実の生活を(再)構築しようという人々を、かつての日本法は必ずしも適切に支えてはこなかった。ここではブルーボーイ事件に触れておこう。この事件では、「男娼」9)この言葉については、同事件の弁護人の控訴趣意書を参照せよ(後掲判タ259号204頁)。として働いていた者たちの希望に応じて睾丸全摘出手術を行った医師が、旧優生保護法違反に問われた(第1審・東京地判昭和44・2・15判タ233号231頁、控訴審・東京高判昭和45・11・11判タ259号202頁)。第1審は、手術を希望していた者たちが当時の言葉でいう「性転向症(Transsexualism)」であったことは推認できるとしつつ、不可逆的である手術については、一定の厳しい前提条件ないし適応基準が設定されていなければならないとして、精神医学上の検査や一定期間の観察、複数の医師による検討等の具体的な条件に言及している。結論としてはこれらの条件を満たさずに行われた手術については、優生保護法違反といわざるを得ないとして、医師には罰金刑が下された10)本件の被告人医師は同時に、知り合いの暴力団幹部に麻薬を譲渡したことについて麻薬取締法違反にも問われていたが、そちらの罪状については執行猶予付きの懲役刑が科されている。。控訴審もこの判断を概ね是認している。¶010

この事件は、上記の通り一定の条件を満たせば性別適合手術を行うことが可能であることも判示していたが、現実には、日本国内ではこれ以降公的な医療として性別適合手術を行うことは極めて困難になった。¶011

この状況が大きく変わったのが、1998年の埼玉医科大学における「性転換手術」の実施である。それに前後して、1997年には日本精神神経学会「性同一性障害に関する特別委員会」が 「性同一性障害に関する答申と提言」を公表し、「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」(以下、「治療ガイドライン」)が策定された。¶012

この頃から、法的性別の変更のために審判による戸籍訂正(戸113条)を求めた動きがいずれも退けられてきたこと(東京高決平成12・2・9判タ1057号215頁等)も踏まえて、法的性別変更を可能とする立法を求める機運が高まっていく。立法運動は、幾多の困難に直面したが、2003年7月10日には特例法が制定されるに至る11)同法の制定経緯については、谷口功一『立法者・性・文明――境界の法哲学』(白水社、2023年)第Ⅱ部が必読である。。同法は翌2004年7月に施行され、この2024年で20年が経過することになる。¶013

2 性同一性障害概念から特例法へ

1つの法律を作るというのは大変な仕事である。ましてや議員立法(特例法もその1つである)が成立するためのハードルは極めて高い。立法過程で様々な妥協が必要となることもある。特例法についていえば、性別適合手術の問題もあるが、とりわけ「現に子がいないこと」という要件(旧「子なし要件」)には、強い反対も存在した。しかしながら、まずは法律を作り、法的性別の変更を可能にするという目標のため、当事者たちも苦渋の決断として最終的にこの法律の制定を後押しした。¶014

だからこそ、「施行後3年を目途」とした見直し規定を附則に盛り込むことが非常に重視されたのである12)上川あや『変えてゆく勇気――「性同一性障害」の私から』(岩波書店、2007年)117頁~118頁。。そして、この附則を足掛かりとして、実際に2008(平成20)年には特例法の改正が実現する。旧「子なし要件」は、「現に未成年の子がいないこと」(新「子なし要件」)へと緩和されたのである。¶015

特例法はその名の通り「性同一性障害者」をその対象としている。同法は「性同一性障害者」を、本人の持続的な認識・意思と医学的な診断とを組み合わせることで定義している(同法2条)。¶016

性同一性障害者であって、さらに一定の要件を満たした者は、法律上の性別を変更できる。その要件は、①成年要件(2022年4月からは「18歳以上」)、②未婚要件、③新「子なし要件」、④生殖能力喪失要件、そして⑤「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」(以下、「外観要件」)の5つである(同法3条1項1号~5号)。¶017

本稿に特に関わる④と⑤について、その立法趣旨は以下のように説明されている13)南野知惠子監修『「解説」性同一性障害者性別取扱特例法』(日本加除出版、2004年)93頁。。④は、元の性別の生殖機能により子が生まれるようなことがあれば、様々な混乱や問題を生じることにもなりかねないこと、そして元の性別のホルモン分泌による身体的・精神的な好ましくない影響が考慮されたことによる。⑤は、「例えば公衆浴場で問題を生じるなど、社会生活上混乱を生じる可能性」が考慮されたことによる。⑤は、その意味で「医学的な要件であるとともに、社会的な要件」という性格をもつという。¶018

3 特例法に関わる裁判例

この特例法の各要件については、それぞれ違憲訴訟が提起されているが、2023年10月14)本最高裁決定のわずか2週間ほど前には、法的性別を女性から男性へ変更することを求めた者に対して、生殖能力喪失要件を違憲とした上で、(その者が他の要件を全て充足していたため)変更を認めた審判例が登場している(静岡家浜松支審令和5・10・11〔2023WLJPCA10116001〕)。までは違憲との判断が下されたことはなかった15)最決令和2〔2020〕・3・11裁判所Web(令和元年(ク)第791号)(未婚要件は合憲)、最決平成19〔2007〕・10・19家月60巻3号36頁最決平成19・10・22家月60巻3号37頁(旧「子なし要件」は合憲)等。。ここでは、本決定によって明示的に変更された2019年合憲決定(最決平成31・1・23裁時1716号4頁)と、新「子なし要件」を合憲とした2021年合憲決定(最決令和3・11・30裁時1780号1頁)には簡潔に触れておこう16)違憲訴訟ではないが、特例法によって性別変更を行った者に対する差別的取扱いが問題となった事案として、東京高判平成27・7・1(2015WLJPCA07016002)がある。そこでは戸籍の記載に性別変更の事実が残り続けること(戸則35条・39条)が差別を惹起したことがうかがわれる。参照、池田弘乃『ケアへの法哲学――フェミニズム法理論との対話』(ナカニシヤ出版、2022年)19頁〜20頁。¶019

(1)「生殖能力喪失要件」合憲決定

2019年合憲決定では、生殖能力喪失要件が本人の「意思に反して身体への侵襲を受けない自由を制約する面もあること」は認めている。しかし、【1】変更前の性別で子をもうけると「親子関係等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねない」こと、また【2】「長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける」こと等への配慮に、同要件は基づいているとし、「現時点では、憲法13条、14条1項に違反するものとはいえない」と結論付けている。¶020

合憲判断に「現時点では」という修飾語を付した法廷意見は同要件の合憲性は「不断の検討を要する」ともいっている。さらに、鬼丸かおる・三浦守両裁判官による補足意見は、【1】について、極めてまれな事態であり混乱は相当限られたものであること、【2】について、国民の意識や社会の受け止め方にも相応の変化が生じていることを指摘し、「現時点では、憲法13条に違反するとまではいえないものの、その疑いが生じていることは否定できない」と一歩踏み込んだ判断を示した。¶021

(2)新「子なし要件」合憲決定

2021年合憲決定では、法廷意見は、旧「子なし要件」に関する合憲判断も参照しながら、2つの判例17)最大判昭和30・7・20民集9巻9号1122頁最大判昭和39・5・27民集18巻4号676頁の趣旨に徴して、新「子なし要件」が、憲法13条、14条1項に違反しないことは明らかであると判断したが、宇賀克也裁判官が注目すべき反対意見を述べている。宇賀裁判官は、同要件の根拠とされた「子に心理的な混乱や不安などをもたらしたり、親子関係に影響を及ぼしたりしかねないという説明は、漠然とした観念的な懸念にとどまるのではないか」と指摘し、同要件は「人がその性別の実態とは異なる法律上の地位に置かれることなく自己同一性を保持する権利」を侵害しているという。「漠然とした観念的な懸念」に基づいて議論を展開してはならないとの指摘、「性別の実態」との関係で自己同一性を考える姿勢は、いずれも非常に示唆的である。¶022

Ⅲ 令和5年違憲決定

1 違憲決定の内容

以上の議論を前提に、今回の違憲決定の内容を簡単に振り返ってみよう18)本件をテーマとした論考として、御幸聖樹「性同一性障害特例法の生殖不能要件と未成年の子なし要件の合憲性」法教519号(2023年)56頁、河嶋春菜「最高裁による性同一性障害特例法の違憲決定」法セ829号(2024年)40頁等がある。¶023

(1)性同一性障害治療の変遷

最高裁は、性同一性障害について、「医学的な観点からの治療を要するもの」であること、性同一性障害者の「社会適応度を高めて生活の質を向上させることを目的として精神科領域の治療や身体的治療が行われている」ことを確認する。続いて、特例法制定当時は日本精神神経学会の治療ガイドライン(第2版、2002年)において「段階的治療」という考え方が採られていたことが指摘される。¶024

この前提の下に、特例法の制定について、本決定は次のように把握する。すなわち「性同一性障害を有する者が、段階的治療の第3段階を経ることにより医学的に必要な治療を受けた上で、自己の性自認に従って社会生活を営んでいるにもかかわらず、法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の様々な問題を抱えている状況にあることに鑑み、一定の要件を満たすことで性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることを可能にし、治療の効果を高め、社会的な不利益を解消するために制定された」、と。¶025

ところが、特例法制定後、当事者の症状の多様さや身体的治療の必要性が人によって様々であることについての知見が蓄積19)医学的研究で明らかになったというより、当事者たちが以前から多様だと実感していた状況について、医療者側がきちんと認識したということであろう。され、治療ガイドライン(第3版、2006年)において段階的治療という考え方は採られなくなった。各当事者がどのような身体的治療をどのような順序でも選択できることになったのである。WHOのICD(国際疾病分類)も第11版(2019年承認)において、性同一性「障害」を、「性別不合」に変更した20)ICDにおける「性別不合」や米国精神医学会のマニュアル(DSM)における「性別違和」については、針間克己『性別違和・性別不合へ――性同一性障害から何が変わったか』(緑風出版、2019年)が詳しい。¶026

本決定は、性同一性障害者を取り巻く社会状況について、2023年に成立した「『性の多様性』理解増進法」21)「LGBT理解増進法」という略称は誤解を招く。参照、池田弘乃「『性の多様性』理解増進法制定に寄せて――自他のよりよき相互理解のために」アイユ387号(2023年)11頁。(令和5年法律第68号)等の国内事情のほか、国際的な環境の変化にも言及する。とりわけ特例法の制定当時は生殖能力喪失要件を設けていた国が多かったが、WHOの反対声明や欧州人権裁判所の判決を経て、現在では要件としていない国も相当数であることが確認される。¶027

(2)憲法13条適合性

以上の認識の下、本決定は特例法3条1項4号(以下、「本件規定」)の合憲性の判断へと向かう。まず、「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」が、人格的生存に関わる重要な権利として憲法13条で保障されていることが明言される。また、その性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、「個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益」であると認定される。そして本決定は、本件規定の目的について、前掲2019年合憲決定と同様に(前掲Ⅱ3(1)【1】、【2】)把握する。¶028

しかし、そこで懸念されている問題は、生じるのが「極めてまれなこと」であり、法令の解釈22)関連する問題を精緻に分析した論考として、大島梨沙「性別の取扱いの変更前の性別による生殖機能によって性別変更後に子が生まれた場合の法的親子関係」法政理論(新潟大学)52巻2号(2019年)1頁。や立法措置等で解決が可能であること、2008年改正によっても社会に混乱が生じていないこと、性同一性障害者への理解が広まりつつあること等を踏まえれば、社会全体にとって「予期せぬ急激な変化」とはいえないとされる。つまり、特例法制定当時に考慮されていた制約の必要性は低減しているというのである。¶029

その上で、特例法制定当時は、「段階的治療」の考え方に基づき、本件規定を要件として課すことは、医学的に合理的関連性を有していたが、その後の治療のあり方の変化によって、本件規定は医学的に合理的関連性を欠くに至ったのであり、その制約は過剰なものだと認定される。¶030

とすると本件規定は、「治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者」に対し、「生殖腺除去手術を受けることを甘受する」か「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄」するかという「過酷な二者択一」を迫るものになっている。¶031

本件規定による制約は、その必要性が低減していること、過剰な制約を課す重大なものとなっていることなどを総合較量すると、必要かつ合理的なものとはいえず、憲法13条に違反するというのが本決定の結論である。最高裁は、原決定を破棄した上で、原審が判断していない外観要件について審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻した。¶032

2 違憲決定をどう評価するか

本決定は特例法が定義する性同一性障害者について、その治療に関して確立してきた知見に照らすと、本件規定の制約が「現時点において」、違憲となったと結論付けている。翻って、本決定は、立法当初における本件規定は違憲ではなかったといっている。¶033

「私の性別」に沿って生きていこうとするときに、医療の手助けを得ようとする者、手助けを求めざるを得ない者がいる。その際、日本では、「性同一性障害」という診断名を通じて、医療的なケアや治療が提供されてきたのであり、その「治療の効果を高め、社会的な不利益を解消するために」特例法は制定されたというのが、最高裁の立論の出発点である。そして、その治療のあり方が特例法制定当時とは大きく変わったのにもかかわらず、要件の見直しが行われていなかったことによって、医学的に合理的関連性のない要件が残存してしまい、当事者の中に「過酷な二者択一を」迫られる者が出てきてしまっていた。¶034

もっとも、制約の態様や程度に関する「医学的な合理的関連性」の欠如については、以上のようなことがいえたとしても、制約の必要性の低減について、最高裁は十分な論証を提示できているだろうか。例えば、「本件規定がなかったとしても……性別変更審判を受けた者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれなこと」とはたしていえるだろうか23)ちなみに、そもそも生殖能力喪失要件自体では、様々な生殖補助技術を用いて性同一性障害者が子をもうけることを完全に防止はできない(このことは、宇賀裁判官の反対意見でも指摘されている)。すでにそれは子の認知等の形で問題になっていた。例えば、東京高判令和4・8・19判タ1511号144頁。問題があれば法令の解釈、立法措置等により解決可能だと本決定はいうが、それはまさに特例法と関連の親子法制等を立法府が一体的に検討すべきことを要請するのであって、司法府が特例法のみについてその内容を大きく変える判断に踏み切ることの正当性は十分論証されているのだろうか。¶035

このように考えると、最高裁があえて違憲判断に踏み切ったのは、2019年合憲決定における補足意見が、違憲の可能性について警鐘を鳴らし、国会に問いを投げかけていたのにもかかわらず、国会は動かなかったという経緯を重く見てのことなのかもしれない24)三浦反対意見による「平成31年決定は、本件規定の憲法適合性については不断の検討を要する旨を指摘した。しかし、その後を含め、上記改正以来15年以上にわたり、本件規定等に関し必要な検討が行われた上でこれらが改められることはなかった」との言及も参照。。2019年に「現時点では」合憲だった要件が、2023年には「現時点において」違憲となったのである。「このような規定の憲法適合性については不断の検討を要するものというべき」との2019年合憲決定の言葉を最高裁は果敢に実践したのである。¶036

3 少数意見について

(1)三浦守裁判官反対意見

本決定で、3人の裁判官は外観要件も憲法13条違反で無効とする反対意見を述べている。¶037

三浦裁判官の反対意見について、ここでは、本稿の視点から特に興味深いものとして、社会生活上の規範と法規範との関係について述べている箇所に触れよう。¶038

三浦裁判官は、公衆浴場について、「性別に係る身体的な外観の特徴に基づいて男女の区分がされている」という「実際の利用」のあり方は、「不特定多数人が裸になって利用する」性質に照らすと、「相当な理由がある」ことを確認する。ここで強調されるのは、「上記男女の区分は、法律に基づく事業者の措置という形で社会生活上の規範を構成している」こと、外観要件は、「この規範を前提として性別変更審判の要件を規定するものであり」、その逆ではないということである。この洞察は極めて重要である。¶039

しかし、この洞察は、三浦反対意見のように外観要件も違憲という判断につながるよりは、むしろ、社会生活上の規範に対する特例法の関係のあり方は、立法府の判断に委ねられるべきことを示唆するのではないだろうか。¶040

外観要件が「なかったとしても、性同一性障害者の公衆浴場等の利用に関して社会生活上の混乱が生ずることは、極めてまれなこと」といえるためには、法的性別と社会生活上の性別、とりわけ公衆浴場区分における性別は、必ずしも一対一対応ではない、という理解が社会で共有されていなければならない。その共有や確認の作業の場としては、立法府が適しているのではないだろうか。¶041

三浦裁判官が、巷間しばしば騒がれる公衆浴場とトイレに関わる俗説は「性同一性障害者の権利の制約と合理的関連性を有しない」と述べているのは全く正しい。その上でしかし、外観要件が無効となる理由が十分展開されているようには思われない。外観要件がなくなっても、混乱なく安心して暮らせる社会の維持について社会の「理解」を形成していくことは可能であるとの判断を筆者も三浦裁判官と共有したいが、その「理解」形成はまさしく社会においてなされるのであって、裁判所の判断がそれに置き換わることはできるものなのだろうか。¶042

(2)宇賀克也裁判官反対意見

宇賀裁判官は、リプロダクティブ・ライツは憲法13条により保障されるとの見解を示した上で、生殖能力喪失要件がこの権利への過剰な制約であるとの判断を示す。また、ドイツ連邦憲法裁判所や欧州人権裁判所の裁判例25)前者については、春山習「基本権としてのジェンダー・アイデンティティ」早稲田法学96巻1号(2020年)41頁参照。後者については、谷口洋幸「判例紹介性別変更要件の人権侵害性――AP・ギャルソン・ニコ対フランス事件」国際人権30号(2019年)133頁参照。にも言及しつつ、「身体への侵襲を受けない自由のみならず、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、幸福追求に不可欠であり、憲法13条で保障される基本的人権といえる」との踏み込んだ表現も見られる。¶043

三浦反対意見と宇賀反対意見は、立法府が、法的性別のあり方について検討する際に傾聴すべき(そしてそれ自体としては立法の指針として有益な)示唆を多く含む。しかし、両意見が一度に特例法の内容を大きく変えることになる判断を裁判所がなすことの論証に十分成功していると判断するのは躊躇される。¶044

Ⅳ 法と性別の未来

1 社会への信頼

日本において、法的性別変更の糸口となったのは、性同一性障害の診断とその治療という枠組みだった。そのことの是非はもちろん1つの論点である26)石田仁編『性同一性障害――ジェンダー・医療・特例法』(御茶の水書房、2008年)参照。。しかし、誰も変更できないという制度から、条件を満たせば変更できる制度へと変わったことの意義は、いくら評価しても評価しきれない。変更条件を社会状況の変化に応じて調整していくことも、立法当初から法律自体に(附則として)組み込まれていたこと、組み込むために当事者たちや心ある議員たちが懸命の説得と調整を行ったことをもう一度確認したい。今必要なのは、さらなる調整のための法改正・立法に向けて衆知を結集することなのではないか。¶045

医療の支援を必要としない人、必要としても性別適合手術までは必要としない人、必要とするが身体的・経済的事情によりできない人等々の様々な当事者の多様性があらためて切実な課題として浮上してきたのが特例法のこの20年であった。これらの人々も個人として尊重されなければならない。その尊重のためには、性別に関わる社会の現状を見据えて様々な調整とすり合わせが必要になってくる。その作業はまずもって立法府の使命であろう。¶046

これからの法と性別の関係はどのように考えていくべきだろうか。1つの試論として、法に頼り過ぎず社会生活における場面ごとの調整に重きを置くというアイディアを考えてみたい。¶047

公的登録上の性別変更について特例法から外観要件をなくす場合、社会生活における性別区分については、その場面ごとの適切な調整やすり合わせに委ねることが考えらえる。その際、公的登録上の性別を基準とすることもあれば、それとは切り離して、生活実態や身体(特に外性器)の形状を基準とすることもあるだろう。¶048

その調整にあたっては、一方で、「これは法律が定めるべき事柄ではない」と確認すべき領分も出てくることだろう。例えば仮に、誰がどのトイレに入るべきかを法律で規定することになったとしたら、それは日本社会をより良い社会にするのだろうか。国会が事実に即さない「漠然とした観念的な懸念」に突き動かされた立法に走らないことを強く望む。他方で、「領分によっては性別アイデンティティに沿った対応をしなくても、それだけで差別になることはないこと」(その反面で合理的理由なく差別しないこと)を法律で確認することはあってよいかもしれない。¶049

社会における人々の常識を信頼してみてよい場面が多くあることを確認することには大きな意義がある。性別の意味区分を全て国家に教えてもらうような社会は良い社会なのだろうか。それは、全ての人にとって安全な社会なのだろうか。もちろん社会的専制への備えは不可欠である。そのためにこそ立法と司法の役割分担と協働が大事になってくる。¶050

強い異論もあることは承知しつつ、私見をもう少しだけ展開しよう。公衆浴場や公衆トイレにとっての性別は、社会的規範に委ねられ、法は社会的規範に委ねられていることを確認するという形態で、混乱のない社会を維持していくことは十分可能なのが日本社会なのではないか27)経済産業省トイレ制限訴訟(最判令和5・7・11民集77巻5号1171頁)との関連については別稿を期したい。¶051

現在の日本において、社会的規範による区分とはどのようなものになるかを具体的に言語化してみるなら、公衆浴場については外性器の形状による区分であり、公衆トイレについては、社会生活上の性別による区分であろう。それらは基本的に理にかなった区分である。¶052