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事実の概要

昭和27年から大阪市の保健所に勤務していたY女(被告・控訴人・上告人)は、昭和28年8月、上司の家に下宿することとなり、同年9月以降、その息子で大学生のX(原告・被控訴人・被上告人)と性的関係ができ、結婚を約束しあう仲になった。Xの両親に結婚を反対されてYが翌年9月に他の下宿に移ってからも2人の関係は続き、この間Yは3度妊娠中絶をした。昭和32年3月、Xは大学を卒業して茨城県下に就職したが、その頃、Yは4度目の妊娠をした。同年11月、Yは、出産する決心をして上京し、X名義で家を借りる一方、Xは、休日に上京してYを訪ねたり、送金をしながら、Yを励ましていた。同年12月、YはA女を出産し、Xが命名した。Xは婚姻届等の準備のために奔走していたが、届出に至らないうちに、Yは大阪に戻り、再び保健所に勤務した。Xは、手紙や時にはお金を送っていたが、その後、B女との間に結婚の話が持ち上がり、式の日取りも決まった。Xは、Yとの関係を清算するため、Yと会ってBと結婚する旨を伝え、Y宅でYの家族らを交えた話合いをした。その結果、せめて子だけでも入籍させたいというYの強い希望で、いったんYとの婚姻届を出して子を入籍し、後に離婚するという便宜的手続を認めざるをえなくなり、その旨の誓約書をY宛で作成した。昭和34年10月27日、XとYの婚姻届が出された。同月29日、XはBと挙式して共同生活を始め、その後Yとは戸籍のことで書簡の交換をするにとどまった。¶001