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Ⅰ はじめに

近時、社会的制裁のあり方に注目が集まっている。例えば、インターネット上での「炎上」やキャンセルカルチャー(以下「CC」ということがある。)による言論の萎縮や抑制が語られるようになっている。新型コロナウイルス感染症の感染拡大時には「自粛警察」と呼ばれる自粛を事実上強いる現象が注目された1)松尾陽「事細かで穏やかな専制?──法的強制と社会規範のあいだで」法時95巻8号(2023年)16頁、成原慧「感染症対策のための規制、ナッジ、データそして民主主義」シノドス(2020年4月28日)等参照。。また、2022年6月のツイート削除請求事件最高裁判決(最判令和4・6・24民集76巻5号1170頁)では、草野耕一裁判官が、補足意見において、実名報道の制裁的機能とその限界について論じたことが注目を集めた。社会的制裁については、法治国家では許されない私刑に当たるであるとか、適正手続から逸脱していると批判されることもある一方で、社会的制裁として機能し得る措置や言動には様々なものがあり、その許容性について一概に論ずることは容易ではない。また、社会的制裁について刑事制裁など法的制裁と対比する文脈で付随的に論じられることはあったものの、社会的制裁の意義と限界や適正手続との関係について法学的な議論の蓄積も少ない。そこで、本稿では、情報法の視点から、「炎上」やCC、実名報道などを題材にして、社会的制裁の意義と限界を探求するとともに、社会的制裁における適正手続のあり方を模索したい。¶001

Ⅱ 社会的制裁とは何か

1 社会的制裁の定義

社会的制裁については、明確な定義が確立されているわけではないが、個人や団体が自らの行為の結果として受ける法的制裁以外の事実上の制裁的効果を有するものが広く社会的制裁と呼ばれることが多いように思われる2)村松幹二 = 清水剛「企業に対する社会的制裁」ジュリ1228号(2002年)79頁は、社会的制裁を、「個人または企業などが自らの行為により受ける全ての負の影響(ダメージ)」から法的制裁(刑事罰や行政処分など)を除いたものと広く定義した上で、製品の売上減少による損失、取引先からの信用の失墜、イメージの悪化による従業員の離職などをその例に挙げている。一方、西﨑健児「社会的制裁・行政処分と量刑」大阪刑事実務研究会編著『量刑実務大系(3) 一般情状等に関する諸問題』(判例タイムズ社、2011年)248頁は、刑事制裁と対比する見地から、社会的制裁を「社会的に容認されているものであり、制裁としての性質を持つものであって、捜査ないし刑事訴追に伴う負担ではないもの」と定義している。。このように広く理解された社会的制裁の概念には、内容や性質の異なる様々な措置や言動が包摂されることになるため、その許容性や適正手続のあり方を検討するに当たっては、その分類や整理が求められるだろう。¶002

法と経済学や法社会学では、社会的制裁に裏付けられた社会規範の役割も注目されてきた。社会規範は、さしあたり「国家機関以外の第三者によって社会的なサンクションを通じて分散的にエンフォースされる個人の行動を統制するルール」と定義することができよう3)Robert C. Ellickson, The Evolution of Social Norms: A Perspective from the Legal Academy, in MICHAEL HECHTER & KARL-DIETER OPP (ed.), SOCIAL NORMS 35 (2001).エリクソンは、ローレンス・レッシグら「『新たな』規範学派」ないし「新シカゴ学派」による社会規範の再定式化の試みを踏まえ上記の定義を示している。社会規範のサンクションには悪評や村八分などの負のサンクションのみならず、評判や名声などの正のサンクションも含まれる(Id. at 35-36)。。法と経済学の研究では、社会規範が一定の条件下で法よりも効率的に紛争を解決することのできる可能性が示されてきた4)ROBERT ELLICKSON, ORDER WITHOUT LAW: HOW NEIGHBORS SETTLE DISPUTES (1991).。また、今日の米国の法学研究では、経済学や社会学の知見を活かしつつ、民事法、刑事法、憲法などの様々な領域において評判やスティグマなどの社会的サンクションに支えられた社会規範による規制の機能について法的規制との関係を意識しつつ分析が行われるようになっている5)See, e.g., ERIC POSNER, LAW AND SOCIAL NORMS (2000)[エリク・A・ポズナー(太田勝造監訳)『法と社会規範——制度と文化の経済分析』(木鐸社、2002年)]; Lawrence Lessig, Social Meaning and Social Norms, 144 U. PA. L. REV. 2181 (1996); Lawrence Lessig, The Regulation of Social Meaning, 62 U. CHI. L. REV. 943, 949-951 (1995).成原慧『表現の自由とアーキテクチャ』(勁草書房、2016年)55頁~61頁も参照。¶003

2 古典的な社会的制裁の事例

古典的な社会的制裁としては、古くから、様々な地域において、村落共同体の規範に反したとされる人々を村落共同体における付き合いから排除する村八分(共同絶交)が行われてきた6)神崎直美『近世日本の法と刑罰』(巖南堂書店、1998年)371頁~372頁、五十嵐清 =田宮裕「村八分と名誉・信用の棄損」同『名誉とプライバシー』 (有斐閣、1968年) 204頁参照。¶004

また、近代社会においても、名誉毀損など他人の評価の低下を招く言動、解雇など職業的な地位や信用の剥奪、報道機関による被疑者や被告人の実名を伴う犯罪報道(実名報道)も、対象者に人格的・経済的な不利益を与えたり、負のスティグマを与えることなどにより、社会的制裁として機能してきた7)社会的制裁の類型につき、西崎・前掲注2)等参照。¶005

3 インターネット上における社会的制裁の事例

今日のインターネット上では、ソーシャルメディアなどプラットフォームからの特定のコンテンツ、個人または事業者の排除(deplatforming)が表現の自由など権利・自由を事実上制約するものとして、その是非について活発に議論されるようになっている8)Ganesh Sitaraman, Deplatforming, Yale Law Journal (Forthcoming, 2023).。我が国でも比較的早くから、グーグルの検索結果に特定のサイトが表示されなくなる現象が、村八分にちなんで、「グーグル八分」と呼ばれ、注目されてきた9)吉本敏洋『グーグル八分とは何か』(九天社、2006年)参照。¶006

また、SNSなどインターネット上では、しばしば「炎上」と呼ばれる現象が生じている。「炎上」とは、不適切な言動などを理由に特定の対象者に批判や非難が集中する現象を指すネットスラングである10)炎上のメカニズムにつき、田中辰雄 = 山口真一『ネット炎上の研究』(勁草書房、2016年)5頁参照。。「炎上」も、対象者の社会における他人からの評価を低下させたり、対象者に精神的苦痛を与えることなどから、社会的制裁として機能する側面があるということができよう。¶007

4 キャンセルカルチャー

社会的制裁として機能する措置や言動の中でも近年注目を集め論争の的となっているのがキャンセルカルチャー(CC)である。英語圏では、CCは、「不支持を表明し社会的圧力を行使する方法として集団でのキャンセルに携わる実践または傾向」11)Merriam-Webster.com Dictionary, cancel culture (last accessed 2 Aug. 2023).や「文化的に受容できない思想を促していると思われる個人や組織等に対して、公然とボイコットし、排斥(ostracize)し、または支援を取りやめる行為または実践」12)Oxford English Dictionary, cancel culture (Draft additions March 2021).などと定義されている13)志田陽子は、キャンセルカルチャーを「ある人について差別的傾向や不適切な言動があった事実などを指摘し、その職や社会的信用を剥奪するよう働きかけること」と説明している。志田陽子「『表現の自由』のワインディング・ロード——『自由』をめぐる、ねじれと理路」現代思想2022年3月号112頁参照。。キャンセルには、SNSでの批判の集中(炎上)から、SNSのアカウント停止、出版や公演の中止、友人からの絶交、解雇まで様々な方法や態様のものが含まれる14)John McDermott, Those People We Tried to Cancel? They’re All Hanging Out Together, NEW YORK TIMES (Nov. 2, 2019); Sanam Yar & Jonah Engel Bromwich, Tales From the Teenage Cancel Culture, NEW YORK TIMES (Nov. 2, 2019). 一方、志田は、「キャンセル」という言葉には、批判よりも強力な退場や撤回を求める意味合いが込められていると指摘する。志田・前掲注13)112頁参照。¶008

CCについて論じられる際には、様々な言動や行為が「キャンセル」と呼ばれるようになっているが、本稿では、キャンセルとキャンセルの呼びかけを区別して分析を行う。キャンセルとは、批判や抗議を受けて批判や抗議の対象者を解職・解雇したり、対象者の著作物を販売停止したり、対象者の講演・公演を中止したりするなど、対象者の社会的地位や発言機会を剥奪することである。なお、批判や抗議であっても、それらが集積することにより、「炎上」が生じるなどして、対象者がSNS等での発言機会を事実上剥奪される場合には、批判や抗議(の集積)をキャンセルと見ることも可能であろう。一方、キャンセルの呼びかけとは、ある者についてキャンセルを行うようにキャンセルを行う権限を有している主体や社会一般に向けて呼びかけることである。キャンセルの呼びかけは、一般に言論その他何らかの表現という形で行われるため、表現の自由としての保障を受けることが多く、法により規制を受ける場面は限られている15)成原慧「キャンセルカルチャーと表現の自由」法政研究89巻3号(2022年)734頁~736頁参照。¶009

Ⅲ 社会的制裁の意義と限界

1 総論

「炎上」やCCなど社会的制裁として機能し得る言動やその集積は、法治国家では許されない「私刑」に当たると批判されることもある。すなわち、近代の法治国家においては刑罰など制裁を科す権限を有するのは国家に限られているところ、「炎上」やCC、「自粛警察」は、法治国家において許されないはずの「私刑」を行っているというのだ16)例えば、ネット上の「炎上」につき、田中 = 山口・前掲注10)21頁参照。¶010

しかし、近代の法治国家において社会的制裁は全面的に認められてこなかったのだろうか。たしかに近代法は、国家に権力を独占させ、裁判所など国家機関に国民の権利保護・救済を委ねる一方で、私人による自力救済を原則として禁止してきた17)髙橋一修「自力救済」芦部信喜ほか編『基本法学(8) 紛争』(岩波書店、1983年)参照。。したがって、例えば、私人が、窃盗犯から自らの所有物を実力により奪い返したり、自らの権利を侵害した加害者を法の定める適正手続によらずに暴行したり殺害することは、正当防衛などごく限られた例外的な場面を除き許されないだろう。¶011

他方で、近代の法治国家においても、社会的制裁が一概に否定されてきたわけではない。世論の専制を警戒したJ.S.ミルも、何らかの行為のルールを課すべき状況において、法律を発動させることがふさわしくない場合に、道徳的サンクションとしての世論によるルールの強制の役割を期待していた18)J.S.ミル(関口正司訳)『自由論』(岩波書店、2020年)19頁、123頁~124頁、168頁参照。。今日の日本でも、他人の評価の低下を招く言動19)言論の応酬の過程で行われた名誉毀損の免責の余地について、佃克彦は、自力救済は原則的に禁止されるというのが法治国家の建前であり、言論の応酬への特段の配慮はある意味で自力救済を容認することにつながるため、慎重を要するという考え方もあるとしつつ、「しかし他方、言論に対しては言論をもって対応するべきであって、自力救済の原則的禁止の名の下に名誉毀損につき何でも司法的解決に委ねよというのでは、表現の自由を窮屈なものにしてしまうという懸念もある」と指摘している。佃克彦『名誉毀損の法律実務〔第3版〕』(弘文堂、2017年)566頁参照。、職業的な地位や信用の剥奪、マスコミの犯罪報道など社会的制裁の機能を伴う言動が一定の限度で受容されている20)刑事裁判の量刑判断においては、被告人が社会的制裁を受けたことが情状として考慮されることが少なくない。西崎・前掲注2)参照。。また、刑法学においても、国家による刑罰と並ぶ社会統制の手段として社会的制裁の役割が積極的に評価されることもある21)犯罪に対する社会的非難の手段として、近隣の人々の評価、社会における職業的地位と信用の失墜、マスコミの報道を通じた人々の反応など刑罰以外の社会統制の手段の役割を積極的に評価する見解として、平野龍一『刑法総論Ⅰ』(有斐閣、1972年)23頁、24頁参照。他方で、武内謙治 = 本庄武『刑事政策学』(日本評論社、2019年)180頁は、「実名報道により社会的制裁を加えることを正面から認める主張もあるが、こうした私的制裁は法治国家では許容しがたいことは言うまでもない」と指摘している。本稿も、実名報道による社会的制裁を正面から肯定することに困難が伴うことには同意するが、問題は、公権力の監視や社会への問題提起など他の正当な目的のために行われる実名報道により付随的に生じる社会的制裁の効果をどこまで認めるべきかという点にあるように思われる。。民法学においても、違法行為を抑止するに当たって、不法行為が明らかになることにより、事業者の信用失墜またはそれによる営業・取引への支障、個人の就職や結婚など社会生活への支障など社会的制裁の意義は大きいという評価や、その際には、違法行為を社会に知らしめるマスコミの役割は大きく、ネットで晒されることへの恐怖も無視できないとの指摘がある22)平野裕之『債権各論Ⅱ 事務管理・不当利得・不法行為』(日本評論社、2019年)105頁~106頁参照。¶012

以上で見てきたように、社会的制裁として機能する措置や言動にも様々な内容や性質のものが含まれるため、その種類ごとに、その許容性を具体的に検討していくことが求められるだろう。¶013

2 村八分の許容性

前近代から行われてきた古典的な社会的制裁である村八分は、近代の法治国家においては、一定の限度を超えた場合に、違法との評価を受けることがある。戦前の大審院判例には、村八分を対象者の自由および名誉を害する不法行為に当たるとした判例や23)大判大正10・6・28民録27輯1260頁。もっとも、同判決に対しては当時の代表的な民法学者から、「都市と異なり、村落における緊密な共同生活の向上発展は、専ら村民の協力自治にまつところが多いことを考えると、その協同生活の破壊者に対して、ある程度の私的制裁を加えることも、是認されることがあり得る。ひっきょう、共同絶交の原因・範囲・方法等を慎重に考慮して、その違法性を決すべきである」との批判も示されていた。我妻栄 = 有泉亨『債權法』(日本評論社、1951年)559頁~560頁参照。、村八分の決議の告知は対象者の名誉に対する害悪の告知に当たるとして脅迫罪の成立を認めた判例がある24)大判昭和9・3・5刑集13巻213頁。また、戦後初期の部落(町村の一部の地域に居住する住民の団体)からの共同絶交の不法行為該当性が争われた事件において、東京高裁は、「この地域的共同団体こそ人類の社会生活の基盤をなすものであって、その一員として社会生活を営むことは人類の奪うことのできない権利であるというべく、従って法の正当なる手続を経ないで単に住民多数の意思を以て他の住民からこの権利を奪い、または極端に制限し、ある意味における追放処分に附することは許されないことである。もっとも右地域の一住民が他の住民と交際しないことはその好むところに従うものであって自由であるであろう。しかしながらいかなる理由あるにもせよ、一部落四十五世帯中の三十四世帯という絶対多数の住民が共同して右部落の一世帯に対し村または部落のことに関しては何らの交際をしないということを決定し、右決定を実行することは、部落なる共同団体の自治的になし得ることの範囲から逸脱するものであって、その動機が控訴人の供出不協力に基因し控訴人の反省を求めるにあったとしても、右事実は右共同絶交の決定並びに実施を正当化するに足らぬものというべきである。何となれば、かかる共同絶交なるものは、当該部落内における追放処分であって、かかる処分が排斥された住民の社会的評価をいちじるしく傷け、その名誉を害することは説明をまたないところであり、法の正当なる手続によらずしてかかる重大なる利益剥奪の行為をなし得ないものであることは法治主義の原則の重大なる要請であるからである」と判示している25)東京高判昭和27・5・30下民集3巻5号730頁¶014

近年でも、隣保や自治区の地域住民による共同絶交の決議やそれに基づく行為について、社会通念上許される範囲を超えた村八分に当たるとして、共同不法行為の成立を認めた裁判例もある。近時の裁判例においては、村八分に至る経緯や理由、村八分に当たる行為の内容や影響などを考慮して、村八分が社会通念上受忍限度を超える不法行為に当たるか否か判断されているように見える26)大阪高判平成25・8・29判時2220号43頁大分地中津支判令和3・5・25判タ1501号210頁等参照。¶015

以上で見てきたように、村八分は、人格権ないしその一内容である名誉権の侵害に当たり、共同生活の維持の必要性など対抗利益と比較衡量した結果として違法性が認められる場合、あるいは、その程度が社会通念上受忍限度を超える場合には不法行為を構成すると解されてきた27)四宮和夫『事務管理・不当利得・不法行為(中)』(青林書院新社、1983年)324頁、353頁も参照。。前掲注25)東京高裁判決が示唆しているように、村八分が人格権の侵害に当たるとされてきたのは、部落や自治区のような地域共同体は、「地域内に生活する住民は好むと好まざるとにかかわらず」構成員とならざるを得ない性質があり、人々の社会生活にとって必要不可欠な基盤をなすものあって28)法制史学者の神崎直美は、近世の村八分について「当時の農村生活は、日常において近隣の相互協力なくしてはなりたたないため、村八分の適用はたいへん厳しい処置であった」と指摘している。神崎・前掲注6)371頁参照。、また、沿革上、地方公共団体から事務を委託されるなど(凖)公的な機能を担ってきたことなどから、その一員として社会生活を営むことは個人にとって欠かすことのできない人格権ないし人格的利益であるという認識が背景にあるように思われる。¶016

村八分に関する裁判例が村八分の有するこのような特性を考慮していたとすれば、村八分の違法性を広く認めてきた裁判例の姿勢が、例えば、「グーグル八分」のようなプラットフォーム事業者による特定のコンテンツの排除やユーザーのアカウントの停止(deplatforming)など、村八分以外の社会的制裁一般に及ぶものでは必ずしもないということができるように思われる29)なお、パソコン通信に関する裁判例ではあるが、電子会議室の主宰者がアクセス制限機能を用いて特定の会員を電子会議室から一時的に排除した行為について、対象者の「社会生活に重大な影響を与えたものということはできないから、法的に、いわゆる村八分と同視するほどの違法性が存すると認めることはできない」とされた裁判例もある。東京地判平成9・5・26判時1610号22頁(ニフティサーブ現代思想フォーラム事件)参照。¶017

3 実名報道の許容性

実名報道には、報道対象の被疑者や被告人への非難を招いたり、再就職を困難にさせるなど、対象者を社会的に制裁する機能を見出すことができる。前掲ツイート削除請求事件最高裁判決において草野耕一裁判官が述べるように、「実名報道に、一般予防、特別予防及び応報感情の充足という制裁に固有の効用があることは否定し難い事実であろう」。さらに、草野裁判官によれば、「犯罪に対する制裁は国家が独占的に行うというのが我が国憲法秩序の下での基本原則であるから、実名報道の制裁的機能が生み出す効用を是認するとしても、その行使はあくまで司法権の発動によってなされる法律上の制裁に対して付加的な限度においてのみ許容されるべきものであ」るとされる30)前掲最判令和4・6・24。草野裁判官は、実名報道には、①制裁的機能、②社会防衛機能、③外的選好機能があると述べた上で、実名報道の制裁的機能について、本文で引用したような理由から、それが「もたらす効用をプライバシー侵害の可否をはかるうえでの比較衡量の対象となる社会的利益として評価」し得る余地は限られていると評価している。もっとも、草野裁判官の補足意見は、直接には、ツイートにより報道記事が転載された場面を念頭において、「報道内容に対して継続的なアクセスを可能とすること」による付加価値(報道の保全価値)との関係で実名報道「を継続すること」の効用について論じたのであって、実名報道そのものの意義について一般論を展開したというわけでは必ずしもないことに留意する必要がある。成原慧「判批」法教508号(2023年)55頁参照。¶018

しかし、実名報道の機能は、草野裁判官が同事件の補足意見において挙げている制裁的機能・社会防衛機能・外的選好機能に尽きるものではないだろう。実名報道には、例えば、実名を付して事件の内容や背景を具体的に報じることにより社会に問題提起をしたり、被疑者や被告人を特定して事件報道を行うことにより捜査機関を含む公権力に対する監視に資するといった役割も期待されてきた31)日本新聞協会編集委員会『実名と報道』(2006年)5頁~10頁は、実名報道の根拠として不正の追及と公権力の監視、歴史の記憶と社会の情報共有などを挙げている。同『実名報道』(2016年)15頁~24頁も参照。このような実名報道の論拠について批判的に検討したものとして、曽我部真裕「『実名報道』原則の再構築に向けて『論拠』と報道被害への対応を明確に」Journalism317号(2016年)83頁以下参照。。従来の我が国の判例が、実名報道を広く許容してきた背景にも、表現の自由や報道の自由を重視する姿勢に加え、上述のような実名報道の果たし得る公益的な機能への期待があったということができるだろう。¶019

もちろん、実名報道も、名誉毀損やプライバシー侵害に当たる場合もあり、対象者への影響も考慮して、慎重な報道が求められるだろう32)判例・実務とは距離があるものの、犯罪や社会悪を暴き裁くのは原則として権力行使の手続的拘束を受ける国家機関に限られており、憲法は統治過程のチェック機能と無関係の場面において新聞社を含む私人が社会悪の摘発を公然と行うことを容認していないとの注目すべき見解として、奥平康弘「なぜ、新聞は自由なのか?」同『ヒラヒラ文化批判』(有斐閣、1986年)227頁~228頁参照。。しかし、実名報道が、対象者の名誉毀損やプライバシー侵害に当たる場合にも、常に違法であるとは限らず、報道の目的や実名使用の必要性などを考慮して、表現の自由や報道の自由の価値と衡量しつつ、その違法性について個別具体的に判断することが求められる33)最判平成15・3・14民集57巻3号229頁(長良川少年推知報道事件)参照。¶020

4 「炎上」の許容性

SNSなどインターネット上で特定の個人に対する批判や非難が大量に投稿されるなど「炎上」が生じた場合、対象者が多大な精神的苦痛を受けることがあるが、「炎上」を構成する個々の投稿自体を見ると、単独では名誉毀損や名誉感情侵害には当たらず違法性を認め難いことも少なくない。¶021

昨今のインターネット上の誹謗中傷の深刻化を踏まえ、このような場合に、「炎上」が全体としてもたらす対象者への深刻な影響を考慮して、個別の投稿の違法性を認めることができるかどうか議論が行われるようになっている34)曽我部真裕ほか「〔座談会〕誹謗中傷問題の現状と侮辱罪改正の課題」ジュリ1573号(2022年)27頁~28頁、仮屋篤子「インターネット上の侮辱」ジュリ1573号(2022年)56頁、深町晋也「オンラインハラスメントをめぐる刑法上の課題」世界962号(2022年)216頁~220頁等参照。。この点につき、2022年に公表されたインターネット上の誹謗中傷をめぐる法的問題に関する有識者検討会の「取りまとめ」は、投稿に用いられた文言それ自体の侮辱性が高いとはいえず、それのみをもっては社会通念上許される限度を超える侮辱行為とはいえない投稿が特定の者または複数の者により行われている場合であっても、そうした侮辱的投稿が大量になされているときには、一連の投稿が全体として大量に行われていることを考慮して、名誉感情の違法な侵害に当たると認められる場合があるとの見解を示している。もっとも、こうした大量の投稿の中に正当な批判を内容とする投稿が含まれている場合、これを社会通念上許される限度を超える侮辱行為であると判断することはできないとされる35)インターネット上の誹謗中傷をめぐる法的問題に関する有識者検討会「取りまとめ」(令和4年5月)66頁~70頁参照。「炎上」による共同不法行為の成立の可能性および「炎上」に対する差止めの可否につき、村田健介「インターネット時代における名誉・名誉感情侵害」法教502号(2022年)14頁~15頁も参照。¶022

有識者会議の「取りまとめ」の見解に依拠するとしても、「炎上」を構成する個々の投稿の違法性を判断するに当たっては、一連の投稿から構成される「炎上」全体の影響も考慮しつつ、当該投稿が対象者に重大な精神的苦痛を与えるものであるかどうか、投稿の内容が正当な批判に当たるのかといった点について、個別具体的な判断が必要になる。その結果として、「炎上」を構成する投稿であっても、重大な精神的苦痛を招くものではないか、あるいは、重大な精神的苦痛を招くものであっても、公共性の高い表現であることから表現の自由が優越するものである場合には、違法な権利侵害には当たらないということになるだろう36)インターネット上の誹謗中傷をめぐる法的問題に関する有識者検討会・前掲注35)71頁も参照。。ここでも、精神的苦痛を招く「炎上」を生み出すような言動が一律に許されないと考えられているわけではないように思われる37)「炎上」はしばしば「誹謗中傷」と呼ばれる言動の集積により生じるが、「誹謗中傷」は、刑法上、名誉毀損罪、侮辱罪、脅迫罪等に該当する限りで断片的に処罰されるに過ぎない。また、名誉毀損罪について表現の自由との調整規定(刑230条の2)が設けられているほか、侮辱罪の構成要件に該当する場合でも、「正当な」表現と認められるときは、正当行為(刑35条)として違法性が阻却される可能性がある。亀井源太郎「SNSと刑事法──侮辱罪を中心に」法教503号(2022年)20頁以下。¶023

5 キャンセルカルチャーの許容性

CCと呼ばれる現象の中にも様々な内容や態様のものが含まれるため、CCという概念は、おおよその問題を発見するためには有用ではあるものの、それに含まれる様々な言動の当否(正当化の問題)は別途検討する必要がある。¶024

解雇や会場利用停止などキャンセル自体については労働法や契約法などにより規制を受ける場面が少なくないだろう。例えば、使用者が労働者の不適切な言動などを理由に労働者に懲戒解雇など懲戒処分を課そうとする場合には、就業規則の規定に基づき労働者の義務違反(懲戒事由該当性)および使用者の懲戒権が認められなければならず、その上で、懲戒権の行使が権利濫用に当たらないことが求められると解されている38)労働契約法15条・16条、荒木尚志『労働法〔第5版〕』(有斐閣、2022年)512頁~532頁参照。。また、施設利用契約が成立しているにもかかわらず、ホテルや展示会場運営事業者が、抗議や不買運動をおそれて施設の利用を拒否することは、契約の内容や状況次第では債務不履行に当たる場合がある39)東京高判平成22・11・25判時2107号116頁(プリンスホテル事件)、東京地判平成27・12・25 LEX/DB25532293(ニコンサロン事件)参照。前者の裁判例につき、松田浩「判批」平成23年度重要判例解説も参照。¶025

一方、キャンセルの呼びかけは、一般に言論その他何らかの表現という形で行われるため、表現の自由としての保障を受けることが多く、法により規制を受ける場面は限られている。キャンセルの呼びかけの違法性については、脅迫や名誉毀損など違法行為に当たらない限り、表現の自由として保障されることに鑑みて、個別の言動の内容や態様(呼びかけの目的や意義、実名等の情報の公表の必要性、情報の伝達範囲やそれによる具体的被害の程度、言動の反復・継続性、執拗性など)に照らして受忍限度を超えて対象者の人格的利益を侵害するか否かにより判断すべきであろう40)成原・前掲注15)759頁~760頁参照。¶026

Ⅳ 社会的制裁における適正手続

1 総論

近代法においては、個人の尊重や平等など実体的正義とともに、適正手続など手続的正義が重視されてきた。近代憲法において適正手続の保障は、主に刑事手続の場面を念頭に規定されてきた。今日では、行政手続についても適正手続が重視されるようになっており、我が国でも、適正手続を保障した憲法31条が判例により行政手続にも適用される余地があると解されているのに加え、行政手続における公正性・透明性の向上を図るべく、行政手続法が制定されている41)行政手続における適正手続のあり方につき、塩野宏『行政法Ⅰ 行政法総論〔第6版〕』(有斐閣、2015年)292頁~350頁参照。。もっとも、成田新法事件で最高裁が述べるように、憲法31条「による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではない」ことに留意する必要がある42)最大判平成4・7・1 民集46巻5号437頁(成田新法事件)。¶027

憲法上の適正手続の要請が私人間に直接適用されるとは言い難いが、後述のように、企業による懲戒解雇など、私人の行為であっても、労働契約法など法令に基づき適正手続の要請に服すると解されている場面はある。もっとも、私人間の手続やプロセスは、行政手続と比べても、刑事手続との性質の相違が大きく、また、多種多様なものが含まれるため、私人間の手続やプロセスに適正手続の要請が及ぶかどうか、仮に及ぶとして、いかなる手続が要請されるのかについては、一律に判断することはできず、関係する法令の規定に照らしつつ、手続的規律を受ける私人の自由にも配慮しながら、具体的な場面ごとに検討していくことが求められるだろう。¶028

2 キャンセルカルチャーと適正手続

米国の法学者アラン・ダーショヴィッツは、「キャンセルカルチャーは『意識の高いリベラル』(woke)の世代の新たなマッカーシズムである」と評している。彼によれば、CCは、マッカーシズムと同様に、適正手続や告発に対して反証する機会なしに、人々のキャリアを終えさせ、遺産を破壊し、家族を壊し、自殺さえ引き起こしている43)ALAN DERSHOWITZ, CANCEL CULTURE: THE LATEST ATTACK ON FREE SPEECH AND DUE PROCESS 1 (2020).。そして、CCは、無罪の推定、反対尋問、証拠に基づく裁判など適正手続の要請を無視することにより、無実の人々をも処罰して、法の支配と基本的自由を脅かしているというのだ44)Id. at 41.Steven A. Koh, “Cancel Culture” and Criminal Justice, 74 HASTINGS L. J. 79, 97-101 (2022)も、CCについて、不十分な告知や不正確な事実認定などの問題を挙げる。。法哲学者の大屋雄裕も、CCの問題を、検証とそれを可能にする社会的決定のプロセスを無視し、一部の人々の思いつきをそのまま結論に結びつけようとする姿勢に見出している45)大屋雄裕「キャンセル・カルチャーが孕む二つの文脈」Voice 537号(2022年)150頁参照。¶029

ダーショヴィッツは、「マッカーシズムとスターリニズムが政府の権力を採用していたのに対して、キャンセルカルチャーは世論、ソーシャルメディア、経済的ボイコットによる威嚇その他の憲法上保護された私人の行為という形態の権力を採用しているという相違」を見出している46)DERSHOWITZ, supra note 43), at 4.。彼によれば、マッカーシズムでは、政府がキャンセルする主体だったため、キャンセルされた人々は、キャンセルの責任者を追及し、裁判所に救済を求めることも可能だった。一方、「キャンセルカルチャーでは、キャンセルする人々はしばしば目に見えず、匿名で、説明責任を欠いている。そこでは、ソーシャルメディアが裁判官であり陪審である」47)DERSHOWITZ, supra note 43), at 6.¶030

もっとも、キャンセルに対して適正手続の観点から規律をかけることが可能な側面は見出せる。例えば、懲戒解雇など一定のキャンセルについては、労働契約法など関係する法令により手続的規制を受ける場面が少なからずある48)荒木・前掲注38)532頁参照。。また、公の施設による会場等の利用停止処分が公法上の手続的規律を受けるのはもとより、ホテルなど私人による会場利用契約の解除にも、私法上の手続的規律が及ぶ側面はある。こうした法令に基づく手続的規律は、キャンセルにおける適正手続を保障するものとして機能することも可能であろう49)成原・前掲注15)756頁~758頁参照。¶031

3 名誉毀損における適正手続

一方、表現者への批判や抗議を含むキャンセルの呼びかけについては、基本的には表現の自由としての保障を受けるため、自由な発見を可能にするためにも、手続的規律は必要最小限に留められるべきであろう。もっとも、キャンセルの呼びかけについても、表現の自由と人格権の保護の調整法理に内在化されている手続的規範により、適正手続に類似する手続的規律を受ける場合も見出せる50)「“Publicity”(あることがらを『公表』するということ)は『権力』である」という見方から、マスメディアのpublicityも権力であるとして、報道機関の権力行使における適正手続のあり方を問う議論として、奥平・前掲注32)229頁~230頁参照。。例えば、ある者の表現が名誉毀損に当たる場合には、名誉毀損の免責要件の1つとして、摘示事実の真実性を証明するか、真実だと誤信したことにつき「確実な資料、根拠に照らし相当の理由がある」ことを立証することが求められ、誤信相当性の判断に当たっては報道機関やジャーナリストが被告・被告人の場合には裏付け取材をしていたか否かが考慮される51)最大判昭和44・6・25刑集23巻7号975頁(夕刊和歌山時事事件)、最判昭和47・11・16民集26巻9号1633頁等参照。。このような真実(誤信)相当性の判断手法は、名誉毀損に当たる表現を行う者に表現の根拠について適正手続に相当する要請を課したものと理解することも可能であろう。また、前述のように、村八分や実名報道も名誉毀損に当たる場合があるし、プラットフォーム事業者による特定の利用者のアカウント停止も、それに伴い対象者が不適切な言動を行ったためアカウント停止された旨が第三者に表示される場合には名誉毀損に当たり得ると考えられる場合がある52)松尾剛行「プラットフォーム事業者によるアカウント凍結等に対する私法上の救済について」情報法制研究10号(2021年)71頁参照。ことから、真実(誤信)相当性の法理に内在化された適正手続に相当する要請は、村八分ないしそれに相当する言動、実名報道、プラットフォームのコンテンツモデレーションにおける適正手続の確保を図る機能も果たすことが期待できるかもしれない。¶032