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事実の概要

少年(決定時17歳)は高校進学頃から皇室崇拝の考えを抱くようになり、学業を嫌って就職するも辞し、その後横浜市に出るも明日の生活にも困るようになり、ビラで存在を知った右翼団体に入党し、事務所に住み込んでいた。少年は雑誌中央公論に掲載された小説が皇室の尊厳を冒瀆するものであると考えるようになり、同社々長Aを刺して同人に傷害を与え、同小説に対する国民の糺弾の声を盛りあがらせようとの考えを強めていき、昭和36年1月30日夕方に登山ナイフ一丁を買い求め、2月1日午後9時15分頃、上記A方に到り、応接間でその機会を待っているうちにA方の家事手伝人B子に発見されたため、Aの所在を探そうと同女に上記ナイフを突き付けたままB子と共にホールに赴いたところ、居合わせたAの妻C子からAは不在である旨を申し向けられるや、もはやこのまま同人を刺すことを断念してその場から退去するわけにもいかないと考え、突嗟に殺意をおこし、同日午後9時20分頃、同ナイフでC子の左胸部を突き刺し、次いで上記B子の左背部を突き刺し、因って左背部刺創に基づく肺動脈損傷による出血のために死亡するに至らしめた。C子に対しては加療約2か月を要する肋膜損傷を伴う左側胸部刺創左気血胸左上膊屈筋切断創の傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げえなかった。¶001