事実の概要
大阪府箕面市の前身にあたる箕面村は、旧帝国在郷軍人会の分会(A)が大正5年、公有地である箕面小学校の隣接地に忠魂碑を建立(以下「旧忠魂碑」という)した際、Aに対し、当該土地を無期限で無償貸与し、慰霊祭開催時における周囲の空き地の使用を許可した。戦後、神道指令により同碑の碑石がいったん取り外されたが、昭和26年ころ原状に復された。その後同碑は、日本遺族会(B1)の支部である箕面市戦没者遺族会(B2)と、B2の下部組織である箕面地区戦没者遺族会(B3)が管理することとなった。昭和30年ころから、同碑の前でB2主催の慰霊祭が神式・仏式交互で営まれてきた。(1)昭和50年、箕面市は、Aの権利を包括的に承継したB2との合意に基づいて、市が購入した本件土地に忠魂碑を移設・再建(以下「本件忠魂碑」という)し、本件土地をB2に無償貸与した。市は、本件土地の購入に7882万6824円、忠魂碑の移設・再建に704万2120円の費用をかけた(本件売買・移設・再建・無償貸与=第1行為)。(2)昭和51・52年、本件忠魂碑の前でB3が主催した神式・仏式の慰霊祭に、市長Y1(被告・控訴人=被控訴人・被上告人)らとともに、一般職公務員である市教育長Y2(同)も参列し、玉串奉奠や焼香を行った(本件参列=第2行為)。なお、本件各慰霊祭の準備・開催のために市の財産が使用・消費されたことに関するY1の責任も争われたが(Y1は自治242条の2第1項4号にいう「当該職員」か)、主文に影響しない。¶001