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事実の概要

(1)X1・X2(抗告人)は夫婦であり、Y(昭和44年生。相手方)はその二女であってXらの推定相続人である。X1は複数の会社の代表取締役社長・会長の職にあり、毎月の定期収入のほか相当額評価の不動産、株式などを保有しており、X2も相当額評価の不動産を所有している。(2)Yには小学校に入学する頃から、虚言、盗み、家出などの問題行動が目立つようになり、小学校高学年次には児童相談所に身柄付で通告されることもあった。私立中学に進学後もYの問題行動はやまず、X1の判断に基づきスイスの寄宿学校に留学させられたが、そこでも問題行動を起こし、退学・帰国している。帰国後、Yは別の私立中学2年次に編入したが、その後も虞犯事件を間断なく引き起こし、そのつど東京家裁において保護処分等を受け、昭和60年には中等少年院送致処分、昭和61年には仮退院後の遵守事項違反による戻し収容決定を受けている(ここでの遵守事項違反の内容は、家出や暴力団の組員であって犯罪歴を有し、犯罪性を持つ特定の男性との交際などである)。この間、XらはYが非行を繰り返すことに困惑し、大学の心理学担当教授への相談、ヨットスクールへの通所、留学中のカウンセリング受診、帰国後の情緒障害の通院治療を受けさせたりしたが、これらは結局功を奏していない。(3)戻し収容の仮退院許可(昭和62年)後、Yは1週間ほどで家出し、いくつかのバーやキャバレーを転々とし、暴力団員Aと同棲したりするうち、昭和63年ごろに勤めていたキャバレーに客として通ってきたB(昭和38年生)と親しくなり、平成元年に入ってBと同棲を開始し、同年12月には婚姻届を提出した。(4)Bは数年前に暴力団に加入し、婚姻当時はその中堅幹部であり、暴力行為等処罰に関する法律違反により懲役刑に処せられたことがあるほか傷害罪により罰金刑に処せられた前科があった。Bは、平成2年11月頃、Yとともに帰郷し、トラック運転手として勤務するようになった。YとBの仲は、一時Bの暴力により険悪になったことがあるが、現在は一応平穏である。なお、YがBを伴ってXらの家を訪れたことがあったが、X2が面会を拒み、Bも面会を求めず、結局、BとXらは顔を合わせることがなかった。(5)以上のような事実関係の下で、XらがYを相続人から廃除することを求めて本件審判を提起した。その理由は、Yが少年時代からXらの正当な監督に服さず、極端な非行に走ってXらを精神的かつ物質的に痛めつけたこと、および、暴力団員と婚姻するに至ったことが被相続人たるXらに対して重大な侮辱を加えたものであるか、または推定相続人に著しい非行があるときに該当するというものである。(6)これに対して、第1審は、まず少年時代の非行歴については、Xらの家庭環境にも相当の問題があったことを指摘したうえで本件事実関係の下では一方的にYにのみ責任を帰することはできないとして廃除事由にあたらないとし、Bとの婚姻についても、「成人に達した子が配偶者として選択した者の過去の経歴が、親の社会的地位にふさわしくなく、当該婚姻が親の意に沿わないものであったとしても、その者の現在の生活態度が反社会的・反倫理的であって、その者との婚姻を継続する子と親との間に相続関係を維持することを期待することが社会的に酷であると認められる特段の事情のない限り、」その婚姻が、「被相続人に対する重大な侮辱その他の廃除事由に該当するということはできない」とした。(7)これに対してXらが抗告した。なお、第1審の審判後の平成4年5月にYとBは結婚披露宴を行っていて、その際YはXらが婚姻に反対であることを十分に知りながら、披露宴の招待状に招待者としてBの父と連名でX1の名も印刷してXらの知人等にも送付しており、このことが抗告審における事実に加わっている。¶001